ここで問題は、先に挙げた疑問、「現世的な関心が強くなれば宗教は不要になるのかどうか」に戻ってきます。現世ですることに忙しく、また楽しくて人生に疑問など持つ気になれなければ宗教は必要ないでしょう。そうでない場合に人は孤独になり、不安になる。そのとき宗教があれば、神仏に祈りたくなる。問題を単純化すればそういうことになります。
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ここで問題は、先に挙げた疑問、「現世的な関心が強くなれば宗教は不要になるのかどうか」に戻ってきます。現世ですることに忙しく、また楽しくて人生に疑問など持つ気になれなければ宗教は必要ないでしょう。そうでない場合に人は孤独になり、不安になる。そのとき宗教があれば、神仏に祈りたくなる。問題を単純化すればそういうことになります。
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そういう観点からは、現代人が神仏を信じられないということは困ったことだ、といえるでしょう。しかしこれまで述べてきたように、宗教の衰退は、(皮肉なことですが)かつて大宗教を持ちそれを基盤として安定した社会の形成と経済の発展に成功した先進国に共通の現象ですから、グローバリゼーションとともにますます世界的に広く進んでいくと思われます。
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神仏を信じている人々は、これらのストレスに弱くありません。神仏に見守られている人は、辛いことがあっても嫌なことがあっても、うつ病になったり自殺したりせずに、しっかりと安定した精神状態を保って生き抜いていくことができます。かつて宗教の盛んな時代には、このように神仏のおかげで孤独な人々も救われたでしょう。大多数の人々は神仏に祈ることを通じて種々のストレスから逃れることができた結果、社会の生産性は維持されていたと思われます。
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自分が毎日懸命に生き続けなければならないよりどころはどこにあるのか?神様あるいは仏様が教えてくれないとすれば、だれに教えてもらえばよいのか?分かりません。 そういう感覚を持つ孤独な人たちは、ちょっとしたストレスに耐えられないおそれがあります。学業、就職の失敗や失職、職場や家族の人間関係の軋轢、経済的破綻、慢性的な病気、うつ病、さらにはテレビ、新聞が報じる犯罪や戦争や疫病の心配などにも強いストレスを感じてしまいます。
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現代社会では、大家族が少なくなり、核家族や単身者が多数を占めるようになっています。一緒に住む家族がいない人は孤独になりやすいでしょう。電話や電子メールで別居している家族兄弟や親しい友人といつも話せる人は、単身生活であっても孤独は感じない場合があります。しかしいずれにせよ、過去の大家族や親戚付き合い、村落共同体の時代に生きていた人々に比べれば現代の都市生活者は孤独です。
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