昔の偉大な哲学者たちは難しい本を書きました。人々を悩ませる神秘的な謎を解決しようと懸命に考え抜いていると、難しい文章になってしまうのでしょう。
それで結局、誰もちゃんとした答えは書けませんでした。
なぜでしょうか?
昔の偉大な哲学者たちは難しい本を書きました。人々を悩ませる神秘的な謎を解決しようと懸命に考え抜いていると、難しい文章になってしまうのでしょう。
それで結局、誰もちゃんとした答えは書けませんでした。
なぜでしょうか?
現在の筆者の考えでは、冒頭に挙げたような、大昔からこの世のもっとも神秘的な謎と言われ続けてきた疑問は、実は謎ではありません。
しかも神秘的でもありません。
こういうことを疑問に思うこと自体が、間違いだったのです。
どれも難問です。人生の謎ですね。ハテナ女神は、なんと答えるでしょうか?
こういう類のいわゆる人生の神秘的な謎に答えるのが哲学だ、ということになっているようです。一般にはそう思っている人が多いでしょう。筆者も若い頃はそう思っていました。有名な哲学者の著作を読んで理解すれば、この世の謎や自分の人生の意義について何かが分かると思っていたのです。
しかし残念ながら、それは間違いでした。
この間違いを見抜くためには、ある程度の人生経験と、やや老練な観察眼が必要なようです。筆者は年をとってきたおかげで、この頃やっとこれが分かってきました。
まだ質問の権利はなくなっていなかったようです。今度はすこし落ち着いて、あなたはたぶん次のような事を聞くでしょう。
―なぜ私は楽にお金を儲けるとか、もうちょっとハッピーな人生を送れないのでしょうか? そういう人がたくさんいるのに!
―なぜ、こんなできの悪い私がこの世にいるのでしょうか?
―私はこのまま死ぬのはいやなのですが、やはりこのままで死んでしまうのでしょうか? 死んだら、どうなってしまうのでしょうか?
―こういう神秘的な謎を、人間は永久に解くことができないのでしょうか?