拙稿では、それを人間集団の中での運動・感覚の共鳴と共感などをヒントにして論じていきます。筆者の興味の一つは、このような新しい科学の進展によって将来、人間どうしの不完全な相互理解を改善できる可能性です。もしそれが可能ならば、人類の心は、遠い未来のいつか、文字通りひとつになっていくのかもしれません。
それがどのように予想できるのか、現在の私たちには、もちろんはっきり分かりません。全知全能で全裸のハテナも、両手を開いて「???」とにっこり笑うだけで、何も答えてくれません。それは現在、誰が予想してもきっと間違うでしょう。
それでも筆者は、それについて考えてみようと思います。
もちろん、哲学の科学などという学問が現在あるわけではありません。筆者が今ちょっと思いついて言ってみただけです。
けれども楽観的に考えれば、これから数十年の科学の発展に支えられて、本当に、哲学の科学、のようなものが発展するかもしれません。それは哲学を変えると同時に科学自身の根っこをも変えていきます。現在の科学の根底になっている冷たい客観的物質世界を掘り返し、根をずっと深く人間個人の熱い身体感覚の中に下ろすでしょう。そこから、旧来の哲学が分裂させてしまった二つの世界、つまり物質と精神、を一つのものとしてつかみなおすことができるかもしれません。
人体も脳もそれを構成する物質すべての分子構造までが明らかになってきている現在、ますます人間、そして自分、という存在の神秘を感じます。しかし物質のうちで人間の脳だけが神秘だとか、人間だけが世界の正しい姿を認識できる、などということがありうるのでしょうか?
こういう問題が、最近の科学の進展で、ごくわずかずつですが分かってきました。いわば哲学の科学(科学の哲学ではなくて)のようなものが、ほんの少しだけ見えてきたわけです。