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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言語のはじまり

2006年12月20日 | 2言葉は錯覚からできている

未開人たちは身の回りの物質を指差しながら、表情や身振りで自分が何を感じているか表わし、同時に音声を出して「イヌ、イシ、アメ・・・」などと物質に音節列を対応させていったのでしょう。そして次には、が子犬を産む場面で「イヌ、コイヌ、ウム」といい、石を二つに割る場面で「イシ、フタツ、ワル」といい、が雪に変わる場面で「アメ、ユキ、カワル」というなど、目の前で起こる物質の変化を目で見ながら身振りで表わし、音声で言い表すようになっていきます。そのうちに語彙も増え、文法も精密になり、言葉の意味は正確になっていったのでしょう。

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ブラックホールは掃除機みたいなもの?

2006年12月18日 | 2言葉は錯覚からできている

Hatena11_2 まず話し手が言葉を使って、自分が今思い浮かべている何かを精密に指し示そうとすると、そう単純に相互理解はできません。

話し手が指し示そうとしているものを、聞き手は目で見るか、脳内で思い浮かべるわけです。それがなかなか同じものを思い浮かべられないのです。

「ブラックホールがさ」

「え、何それ?」

「だから、ブラックホールがね」

「ブラックホール? 何のこと?」

「何でも吸い込んじゃうんだ」

掃除機みたいなもの?」

という具合で、言葉はうまく伝わらないのです。

目の前に見える物質については、それでも割合うまく行きます。

言葉が通じない外国に行って苦労した人は分かるでしょう? イエス、ノー、オッケーくらいしか分からない。それでも、そこにあるものを指差せる場合だけ、なんとかカタコトで通じ合うのです。

「それそれ」

ボアソン?」

「そう、ドリンク。オッケー?」

「ヴヴドレボアソン?」

「イエス、イエス」

「ダコール」

とかぜんぜん通じそうになくても、目の前に並べられている清涼飲料水は買えます。

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「あー」とか「おー」とか

2006年12月17日 | 2言葉は錯覚からできている

閑話休題、さてここまでで、哲学はなぜ間違うのか、概論は終りにして各論に入りましょうか。おもしろくすると、話がますます、柔らかくなる? まあまあ。

最初のテーマにいきます。

言葉は錯覚からできている

人類が言葉のようなものをしゃべりはじめたころ、仲良く語り合う二人の未開人は気持ちのおもむくままに「あー」とか「おー」とか、適当な声を出していればお互いにうまく理解し合えたのでしょう。二人の脳の神経回路の活動は、相互に干渉し、共鳴し、同じような状態になって、ほぼ完全な相互理解ができていたはずです。二人は実質的にひとつの脳で動いているようになり、うまく共同作業ができたでしょう。

現代人が「あー」とか「おー」とか言うだけで共同作業ができるのは、赤ちゃんどうしが遊ぶときとか、大人どうしだと、セックスのときくらいでしょうか。それ以外のほとんどの場合、人間と人間はきちんと言葉を介さずに協力はできません。

しかし悲劇的なことに、言葉を使えば使うほど、人間どうしの相互理解はむずかしくなるようです。

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