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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

科学も錯覚からできている

2007年02月03日 | 2言葉は錯覚からできている

脳科学はまだまだという話を長々としてしまいましたが、また、錯覚の話に戻ります。

錯覚は通常、人間の生活に役立ち不可欠なものです。私たち人間は、自分の脳が自動的に作り出す錯覚が映し出している世界を現実と思い込んで、便利に暮らしているといえます。

そもそも物理、化学などの基礎的な科学の実験観測も、脳が作る錯覚にもとづいています。科学者も、測定装置が発生するエネルギーの変化を写真あるいはデジタルメモリなどに記録し、それを彼または彼女の網膜で受け、脳で変換した錯覚を感知しているわけです。運動シミュレーションを使った錯覚の存在感で得られた空間と時間の感覚にそって、データを観察し理論を作っていきます。科学者が使っている錯覚が現実にうまく対応していなければ、間違った結論が出るだけです。ただ科学者は、同じことを何度も繰り返し理論モデルと照らし合わせながら、慎重に再現性を確認して実験観察を進めます。さらに多数の科学者の共同作業によって、繰りかえし実験や視点の移動、多面的観測事実の統合などを行って錯覚を相殺し、修正し、理論モデルと観測結果を合わせ込んで総合的に判断することで、観察者の作る錯覚から独立した物質に普遍の法則を発見していくわけです。

拝読ブログ:暇人の暇つぶし・おしまい

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幼稚園児がジェット機を操縦している

2007年02月02日 | 2言葉は錯覚からできている

たとえば幼稚園児がお腹をくすぐられて、「くくくっ」と笑いこけるときの神経回路の仕組みも単純そうに思えますが、それもまったくというほど分かっていません。くすぐられている子の隣でそれを見ている子も、「くう」とくすぐったそうな声を出しています。その子を次にくすぐろう、という手つきを見せながら顔を向けると、触れないうちから、もうたまらないというように身体をねじってその子は笑い出します。こういうとき、猿は笑いません(チンパンジーがくすぐられたときの表情や声の変化を「笑い」とみなす見解もあるが、触られる前には反応しない)。人間だけがこういう複雑なしかたで笑うのです。

このような人間特有の感受性の仕組みとして一番基本的な笑いなどの反射運動も、その脳内の仕組みは、具体的には、全然と言ってよいほど、分かっていないのです。そのため私たちは言葉を形成している自分たちの脳内の神経処理プロセスにまったく無自覚なまま、言葉を操ってむずかしい話を語っているわけです。幼稚園児がジェット機を操縦しているよりも、ずっと怖い話ではありませんか。

拝読ブログ:くすぐりエルモ

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コンピュータを知らない科学者

2007年02月01日 | 2言葉は錯覚からできている

それらを記述するためには、これら難解な名前の組織のさらに内部がそれぞれ数百種類の(将来さらに難解な名称がつけられるであろう)微細機構から成り立っていて相互に連絡しながら情報を処理している、その具体的メカニズムを解明していかなければなりません。世界中の科学者が今後、何十年もかけて取り組む仕事になるでしょう。

今から数十年前、脳内の神経活動に関する科学的知識は細胞集合説などと呼ばれる理論的な仮説だけだったことに比べれば、現在の脳科学は進歩したものだと思いますが、信号処理回路としての脳組織の微細な内部機構はまだまだ分かっていない、と言わざるを得ません。

コンピュータの仕組みを知らない国(そんな国は今どきないと思いますが) の科学者たちが、「あ、今、冷却ファンが回っているから、ずいぶん電気が使われていて内部温度が上がっているのだろう」とか、「記録装置のようなところと演算装置みたいなところの間で高速の電気信号がやりとりされているらしい」とか言いながら、初めて見るコンピュータを観察している、というような段階が、現代の脳科学です。内部の仕組みがさっぱり分らないのに、「コンピュータは神秘的だ」とか、「コンピュータ内部のどれかの部品には意識があるのではないか」などと言い合っているのです。実際、現代科学は、コンピュータに関しては原子電子のレベルからソフトウェアの設計思想まで完全に理解していますが、脳に関してそこまで達するには百年かかるでしょう。

拝読ブログ: 小・中学生のコンピュータ・オタク

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脳の具体的メカニズムの解明はまだまだ

2007年01月31日 | 2言葉は錯覚からできている

Hatena23_1 たとえば幼稚園児が芋虫をつついて「あっ、生きてる!」と叫ぶとき、つまり「命」という抽象語が表わす錯覚の存在感が活動しているときの脳の神経回路の仕組みは、よく分かっていません。網膜から視蓋に視覚信号が送られ、それが動眼神経を活動させて、瞳孔を開き、まぶたを全開して目を見開く。同時に視覚信号は視床外側膝状体に送られ、さらに扁桃体前部帯状回側坐核が活動し、脳幹から自律神経系に信号が送り出されて顔を赤くし、鼻孔が開く。並行して視覚信号は大脳皮質視覚野に送られて画像処理され、最後に大脳頭頂葉小脳側頭葉が活動して言語を形成し発声する。同時に、前頭葉から逆向きに神経信号がまた何度も戻っていく。こういう信号の流れはだいたい分かっていますが、それらがどう相互作用して認識を作り、「命」という存在感を作り、それから「生きている」という発声運動を形成し、その記憶をどう作っていくか、具体的な神経回路の活動メカニズムは全然分かっていません。

ここではわざと難解な脳の解剖用語を羅列してみましたが、筆者は脳科学や医学の専門知識をふりまわしたい用語マニアというわけではありません。こういう書き方をすれば脳内の神経信号がいかに複雑に処理されているかをイメージアップできるかなと思ったからです。問題は、この難解そうな名前がつけられている複雑な脳の各組織のさらに内部で行われているはずの微細で具体的な信号処理の中身が、現代科学では、まださっぱり分かっていない、もちろんその微細機構の医学用語など作られていない、ということです。

拝読ブログ:森氏の業績(?)一覧

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脳をはっきりと観察するために

2007年01月30日 | 2言葉は錯覚からできている

さて、ようやく本題に戻ります。

ここで定義しなおした「錯覚(以下、括弧は使わない)」という見方を使えば、人間が感じる物事をはっきりと、錯覚でしかないものと、錯覚ではない物質に関するもの、とに分類できます。人間が使う言葉では、錯覚でしかないものと、きちんと物質現象に対応しているものとが混在しています。ふつう、日常言語では、錯覚でしかないものが多く表現されています。錯覚だからいけない、ということではありません。それらの言葉は人間関係を適切に言い表し、社会、経済を作り出し、人生を豊かにする、実用的で重要な道具です。一方、きちんと物質現象を表現している言葉は、科学論文などに多い。ただし、こちらも物質現象を述べているからすばらしい、ということではありません。価値の低い科学文献は実に多いのです。

拙稿では錯覚という言葉に、だから良いとか、だから悪い、とかの価値観は含ませていません。脳の中で起こることをきちんと分類して、はっきりと観察するために、言葉遣いを改めただけです。

脳が作り出しているこれらの錯覚の仕組みは、将来いつかは神経細胞(ニューロン)一個一個のレベルから発生、分化と進化のメカニズムまで、すべてのレベルで解明されるでしょう。それは残念ながら、現代科学ではまだまだ無理です。観測技術も理論解析もまだ発展途上だからです。脳の各部分にある神経細胞のネットワークがそれぞれ何か信号処理をしているらしい、としか分かりません。

拝読ブログ:メモ:唯物論について

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