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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

唯一であるこの現実

2012年11月11日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

つまり、ここにあるこの客観的現実しかない。そしてこの現実は私たち人類の身体が作りだしている。人類が無意識のうちに、協力して生存繁殖するために作りだした(拡張表現型である)巣穴のようなものでしょう。

それは唯一の現実である。自分たちが唯一の現実として作りだしたものは、当然、唯一です。そうであるならば、唯一であるこの現実の中で生きることだけが私たちにできることです。

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これ以外の現実

2012年11月10日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Millais__das_tal_der_stille ではこれ以外に現実はあるのか?これ以外の世界はあるのか? という質問が出るかもしれません。これらの質問にも答えはない。私たちにとって現実は一つだけです。一つだけと感じられるから現実といえます。現実の世界はこれ一つ、しかもこれでさえ人類に固有のものでしかない。そしてしかも他の世界などはない、というべきでしょう。

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実用的な現実

2012年11月09日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

この現実世界は人類の身体が実用的な共通認識を作ることができるように進化した結果できあがってきたものです。私たちが言葉を使って語り合う。会話する。討論する。論文を書いたり読んだりする。数十人が協力してマンモスを狩る。数万人が協力して宇宙ロケットを打ち上げる。そういう場合に身体が感じ取る実用的な共通認識としてできあがっています。人類の身体から派生する拡張表現型です。

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人類固有の客観性

2012年11月08日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Millais24 さてここで注意すべきことは、(ふつうの言い方で)ここにあるこれが現実だから私たちの身体がこれを現実と受け取っているのだ、という言い方は分かりやすくて実用的ですが、正確ではないという点です(拙稿23章「人類最大の謎」)。

科学が物質現象を完全に解明するかのように発展した現代では、物質から成りたっているこの現実世界の客観性は過去のどの時代よりも強くなっています。そこに暮らす私たち現代人は現実を絶対視し、この(いつでもどんな場合でもこのここにあるこれが現実だから私たちの身体がこれを現実と受け取っているのだ、という)言い方が何の問題もなく通用する、と思うようになっています。

しかしこの言い方は、人間どうしが語り合っているときにしか通用しません。

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語りとしての存在

2012年11月07日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

私たちがそう思うことによって現実は現実である。そういう仕組みで現実は現実になっている。逆に(拙稿の見解によれば)、そういう仕組み以外に現実は現実とならない。私たちの感じている現実はそういうものです。

現実を感じ取る私たちの身体の仕組みがこうなっているということは、現実が存在するかどうかよりもずっと重要なことです。私たちの身体の仕組みがこうなっているからこそ、このような現実について私たちが語り合うことができるのであって、そうでなければ現実に関するこのような語りはそもそも存在もしないでしょう。

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