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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

予測と現実

2012年02月24日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

さて、その明日が来てその株価は私の期待を裏切って、うなぎ上りに上がっていったとします。ああ、こんなはずはない。私の大事な株はひどい安値で売られてしまった。こんな現実は認められない、と私は地団太を踏むでしょう。もう目をつぶってしまいたい。昨日はあんなに確実だと思った予測は何だったのだ、と思います。しかしこれが現実なのでしょう。私はうつ状態になって頭を抱えてしゃがみこんでしまいます。

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ひそかに明日を語る

2012年02月23日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

19v_2h_vasnetsov こういう場合、私は現実の仲間と明日を語ることをしません。自分の内部にいる秘密の仲間とひそかに明日を語る。自分の内部にいる仲間は私と同じ明日がくるだろうという気持ちになっている。ほぼ確実に、そういう明日が来るはずだ、と私は感じます。

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明日を確信する

2012年02月22日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

時には仲間の皆が思っている明日と私が思っている明日とがだいぶ違うということがあります。皆は明日も株高が続くと思っているのに、私は下がると思っていれば今日売り抜けてしまえばよい、ということです。このとき売り注文を出している私はどんな明日が来ると思っているのでしょうか?

明日は私だけが成功者になっているはずです。そういうハッピーな私の気持ちが想像できます。だれが見ても、明日の私の状況を理解できる限り、明日私がハッピーであることは分かるはずです。現在、皆さんはそれが分かっていないけれども明日になれば分かる。だから私はそういう明日が来ると確信できる。そして明日はそうであろうとして今日の売り注文を出すのです。

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語りとしての明日

2012年02月21日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Khnopfffk3 私たちは(拙稿の見解では)だれもが自分の内部に信頼できる仲間を持っていて、その仲間の行動に共鳴することで自分の行動を実行する。あるいは逆にいえば、そういう自分の内部に共鳴行動を起こすものとして仲間というものがある、といえます。

私たちにとって、明日というものは、それを仲間と語り合えるからある、といえます。明日が来る、こういう明日が来る、と皆がそう思って互いにそう語り合うからそういう明日が来る。語りとしての明日が来る。

そうであれば私たちの身体は、仲間が皆そう思っている明日の状況に反応して、現在の気持ちを準備する。それは行動につながる。そうして私たちの身体が明日に備えて現在の行動を起こすから、明日が来る。そうしてそういう明日が来る、といえます。

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自分で考えるとは?

2012年02月20日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

経験と理論と、さらに重要なことは家族や友人、つまり仲間たちがこの予約購入の方法をもっともだと認めているということです。だれもが、それでいいだろう、と思っているということ。このことによって、明日に向けた私たちの現在の行動は実行されます。

この現在の行動を決めるために、私たちは明日について語る。仲間と明日の状況判断を共有します。仲間がいない場合も、実は全く同じです。自分という仲間にそれを語り、そのときの判断を参考にして私たちは現在の行動を決めます。自分で考える、ということはそういうことです。

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