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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

本章のテーマ

2012年01月24日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Khnopff_isabelleb00 私たちが聖人君子になるのはまず無理そうなので、むしろ、私たちはなぜそもそも、明日のことを思い煩ってしまうのか、について考えてみましょう。

明日のことを思い煩うということは、まず明日のことを人に語り、あるいは自分自身にそれを語るということでしょう。なぜ私たちは明日を気にかけ、意識して、それについて語るのか?

拙稿本章では、私はなぜ明日を語るのか、というテーマを考えていきます。

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明日のことを思い煩う

2012年01月23日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

私はなぜ明日を語るのか?

明日のことを思い煩うな、と聖人君子は教えました(マタイ伝六章、一九四二年 太宰治「新郎」での引用が有名 )。つまり、ふつうの私たちは、明日のことを思い煩うのです。いやむしろ、私たちは一日中、明日のこと、来週のこと、来月のこと、来年のことなど先のことばかり思い煩って暮らしている、といえます。

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明日の準備⇔意識

2012年01月22日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Khnopff_img_1601212_49610293_0 人がいないときでも、私たちは自分自身に明日の予定あるいはこれからすべきことなどを語りながらその準備をする。声に出さなくても頭の中で語っています。身体を動かさなくても気持ちの準備はします。気持ちがそのように明日に向かっていないと、明日の準備などできません。逆に気持ちをしっかり持つためには明日のことを考えていなければなりません。

私はなぜ明日を語るのか? それは、私がなぜ私の気持ちをしっかり持っているのか、なぜ私が意識をはっきり持っているのか、という問いになります。

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先々のことを語る

2012年01月21日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

このように明日、あるいは明後日、あるいは来週、来月、あるいは来年のことを人に語りながら私たちは暮らしています。むしろ私たちの会話は、先々のことを語ることでできあがっている、といえます。それ以外のことは、実はあまり話していませんね。人と人が話をするするときはいつも、明日のこと、近い将来のことあるいはもっと先のことを語ります。

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明日のことを語る

2012年01月20日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Khnopff_imagescax6wvuy 私は、明日の予定を鈴木さんに語ることによって、今日すべきことを鈴木さんの協力を得て実行できます。

私たちは、いつも明日のことを語る。それは、たいていは話し手と聞き手が今すぐにしなければならないことについて語っていることになります。たとえば、忘れないように明日の予定をちゃんと手帳に書き込んであるかどうか確かめる、というようなことです。

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