私たちが聖人君子になるのはまず無理そうなので、むしろ、私たちはなぜそもそも、明日のことを思い煩ってしまうのか、について考えてみましょう。
明日のことを思い煩うということは、まず明日のことを人に語り、あるいは自分自身にそれを語るということでしょう。なぜ私たちは明日を気にかけ、意識して、それについて語るのか?
拙稿本章では、私はなぜ明日を語るのか、というテーマを考えていきます。
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