ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

性玩具

2011年08月26日 | 社会・政治

 オーストリアで80歳の老人が婦女暴行・監禁の罪で逮捕されたそうです。
 監禁期間はじつに41年間にも及び、監禁されていた姉妹は、姉が12歳から53歳まで、妹が4歳から45歳まで、繰り返し暴行を受けていたとのことで、この種の事件では異例の長さなのではないかと思います。

 ここまで長期間発見されなかったのは、明白な理由があります。
 犯人が、姉妹の父親であり、すでに亡くなった母親も同じように監禁されていたと考えられるからです。

 二人の姉妹は、学校にも通わず、外出もせず、ひたすら父親の性玩具として41年間を生きてきたのです。

 その心中、察するに余りあります。

 強さと優しさ、そして正義や理非を体現すべき父親が、憎むべき強姦魔として自分たちに迫ってくるわけですから。

 今回事件が発覚したのは、今年5月、暴行しようとした父親を突き飛ばしたところ、父親が動けなくなり、やっと外部に通報できたからだそうです。
 80歳になってなお、53歳と45歳の娘に暴行を働こうとするなど、鬼畜の所業としか思われません。

 心配なのは、姉妹の今後の人生です。
 当然働いたこともなければ、友人もいないでしょう。
 まして恋人なんて、受け付けないと思います。
 相手が父親と同じ汚らわしい男だと言うだけで、怖気が震うでしょう。
 今後過去の記憶と戦いながら、遅すぎる人生のスタートを切らなければなりません。

 まずはカウンセリングを受けて社会に適応し、生活保護なりを受けて生きていくことになるんでしょうか。

 わが国でも強姦殺人のニュースは時折耳にしますが、監禁というのはあまり聞きませんね。
  私の記憶では、10歳で誘拐され、19歳で助け出されるまで9年間も監禁されていた新潟少女監禁事件くらいしか思い浮かびません。
 その代りと言っては変ですが、日本では痴漢や下着泥棒など比較的軽微な性犯罪が多いと聞きます。

  オーストリアでは2008年にも自分の娘を24年間にわたって監禁していた父親が逮捕されています。

 それにしても厭なニュースです。
 やれませんねぇ。
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「見せかけ」と「大切」

2011年08月26日 | 思想・学問

 思想の左右や穏便・極端を問わず、現代日本社会を批判するときに、よく使われるのが、見せかけの豊かさに騙されるな、という言説です。

 昔に比べておいしい物がたくさん食べられることや、住環境が住みやすくなったこと、車や家電、パソコンなどに囲まれ、生活が便利なことを指して、見せかけの豊かさという表現を使うことが多いようです。

 しかしこれはずいぶんと傲慢な言い方です。
 自分は豊かだ、と思っている人に、お前は本当は豊かではない、と言っているようなものです。
 余計なお世話。

 豊かさを感じるための指標としては、まず健康、収入、円満な家族、そして自由になる時間、それとその時間を有意義に過ごすための趣味など。
 これらが満足すれば、それは豊かな生活と言えるでしょう。

 それ以上に大切な何かがある、というような物言いをする人がいたら、眉つばだと思っていいでしょう。

 大切な何か、というのは、神社の奥に鎮座ましましている石ころだったり、薄汚い鏡だったり、要するに糞の役にも立たないけどある共同体でこれはご神体、と定めて、別に信じちゃいないけど、習慣だから拝むのさ、という風に扱われている物体と同じようなものでしょう。

 大切な何か、というのは、神道のご神体のごときもので、わが国の伝統に則った言い方で、役には立たないけどとりあえず有りがたいもの、というほどの意味だと考えられます。

 枕詞のような、特に意味のない慣用表現です。

 これが一神教の国では、大切な何か、ではなく、大切なのは、だったり、アッラーだったりするわけで、何か、という曖昧さは許されません。

 見せかけの豊かさにしても、大切な何かにしても、迷惑なのはそういう言葉に惑わされて生活の基盤を築こうとせず、無為徒食の徒となって、自分探しの貧乏旅行なんか始めちゃうやつが出現することです。

 また、突如脱サラして大借金の末、無農薬野菜なんぞを作って儲けようなんて浅はかな考えを起こし、当然売り物になるような野菜など作れるはずもなく、一家は路頭に迷い、見せかけの豊かさがありさえすれば十分幸せなんだと気付いた時はすでに遅く、一家心中せざるを得なくなり、その時初めて大切な何か、なんていうものはどこにも存在せず、大切なのは生命や収入なんだと気づくわけです。

 私の記憶では、戦後高度成長期に、公害やモーレツサラリーマンが問題になった頃、こういう言説が始まったように思います。
 特に選挙などでは、野党の候補者がよく使っていました。

 しかし今、20年にも及ぶ不況の中、こんな空虚な言葉で時代を語る愚は終わりにしなければなりません。
 私たちは再び経済成長を目指し、見せかけの豊かさを賛美し、大切な何かというものは現世には存在しない、一種の宗教のようなものなんだと気づくべきでしょう。

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どこにいるの?

2011年08月26日 | 社会・政治

 カダフィ大佐、どこにいるんでしょう。

 反政府軍はもうカダフィ大佐の居住地区を占領したそうですが、地下には迷路のようなトンネルが掘ってあり、一部は地中海にまで達し、船で逃げることも可能だとか。
 また、カダフィ一族の亡命を受け入れてもよい、と表明する国も出てきました。

 もはや事態は大詰め。

 ヒトラーはベルリンでの首都攻防戦のさなか、総統官邸地下壕で、第一次世界大戦の敗北を思い出しつつ、「今度こそ我々は、真夜中が来るまであきらめない」と頑張っていましたが、総統官邸に英国軍が西から、ソビエト軍が東から迫るなか、愛人のエヴァ・ブラウンと結婚し、ナチ高官とささやかなパーティを開いた後、新妻とともに自殺してしまいます。

 カダフィ大佐の徹底抗戦の態度には、ヒトラーにも通じるものがあるように思います。

カダフィ大佐です。

 
カダフィの娘と三男の邸宅ももうはや落ちたそうです。


娘の自宅です。ベンチにあしらわれた人魚の顔は、娘の顔を象っているそうです。

 悪趣味なソファですね。
 自動小銃をかかえて寝そべっている反政府軍兵士の無邪気な笑顔が、今次反乱の性格を物語っています。


三男の邸宅です。荒れ放題ですね。

 
カダフィ大佐側の傭兵の指揮官によると、カダフィ大佐は酒と女とドラッグにおぼれ、邸宅内で特に理由もなく面白半分に人を撃ち殺したり、ロシアン・ルーレットをやらせたりして喜んでいたそうです。
 怖ろしいですねぇ。

 驕れる者は久しからず、盛者必衰という「平家物語」の文句を地で行っているような人ですねぇ。
 いずれにせよ、早く逮捕してほしいものです。
 恐らく語らないでしょうが、彼が真実を語れば、それは驚愕すべき国家犯罪で満ちていることでしょう。

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新入生に読ませたい

2011年08月26日 | 文学

 数年前でしたか、東京大学教員に、学部問わず、新入生に読ませたい本は何か、というアンケートをとったことがありました。

 一位をとったのが、ドフトエフスキー「カラマーゾフの兄弟」でした。
 この結果をどう考えればいいんでしょうね。
 
 俗物の地主と、三人の息子をめぐる物語。

 長男は放埓な退役軍人、二男はニヒルな無神論者、三男は純真で真面目な修道僧。
 彼らが異性の問題、信仰の問題、社会制度の問題、ついには親殺しの問題にまで手を広げた、小説に詰め込める要素をすべて詰め込んだ総合小説ともいうべき大作です。
 骨太な大作ではありますが、私には毒気が強すぎたようで、読後しばし落ち込みました。

 作り物めいた虚構の美を歌う幻想文学や浪漫文学に慣れ親しんだ私には、あまりに鋭利な刃だったのです。

 東大の先生が学部関係なくこれを読めということは、過酷な、身も蓋もない現実を見据えて、力強く生きよということなのでしょうか。
 それはあんまり学生を買い被ってはいませんかねぇ。
 
 いやなものからは目を背けたいのが人の性。
 それをことさらに取りだして並べなくたって、生きているだけで分かってきましょう。

 私が東大の先生なら、迷うことなく、石川淳「紫苑物語」を勧めるでしょう。
 近代作家では最も美しい文章。
 三島谷崎川端も、彼の前では裸足で逃げだすでしょう。
 紡がれる不思議な世界。
 そして繰り返し語られる、精神の運動。

 新入生には、それが文学部以外の学生であればなおさら、文学は人生の生き方を指南したり、人間の生きざまを提示するだけのものではない、ということを知ってもらいたいと思います。
 まるで麻薬のように心に作用してしまう怖ろしいものでもあり、この世ならぬ美を構築するものであり、社会的には害悪を及ぼす、日陰の存在であることを、「紫苑物語」を通して知って欲しいと思います。

紫苑物語 (講談社文芸文庫)
立石 伯
講談社
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
ドストエフスキー
光文社
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社

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怒鳴らないで

2011年08月26日 | 社会・政治

 いよいよ菅総理が今日正式に退陣表明するようです。
 福島原発の事故では、東京電力社員といわず、原子力保安院職員といわず、海江田経済産業大臣といわず、誰彼かまわず怒鳴り散らし、正確な情報を挙げても信用せず、結局誰からも毛嫌いされ、裸の王様となってしまいました。
 出自が市民運動家ということで、誰でもいいから巨大な組織を悪者に仕立て、攻撃するのが習い性となっていたようです。
 悲しいかな、おのれが最大の組織の最大の悪者になってしまったことに気付かず。

 宇宙人総理、鳩山前総理から菅総理に交代したとき、少なくとも今度は地球人だろう、と思って期待したのですが、浅はかでしたね。
 地球人ではあっても、日本人ではなかったようです。
 悪代官面の官房長官も。

 日本人であることより地球市民であろうと志向する人々が、権謀術数渦巻く国際社会で日本の利益のために働くわけもなく、結果はJapan Passingという形で現れました。

 一般に管理職というのは、部下をおだててその気にさせ、気持ちよく働いて成果を上げるよう導くのが本道であろうかと思います。
 私が接した多くの上司も、そういうタイプが多かったように思います。

 しかしまれに、部下を相手に怒鳴り散らしたり、嫌味を言ったりし、抗議すると、もっと頑張ってもらいたいと思うがゆえの叱咤激励だった、などと醜い言い訳をする輩もいました。

 こういう人は本来人の上に立つ器ではないのに、タイミングが悪かったというか、他に適当な人がいなかったせいで管理職になってしまったもので、本人にとっても、部下にとっても、誠に不幸なことであると言わざるをえません。

 そのまれな不幸が、日本国政府のトップである総理大臣というポストで起きてしまったわけですから、そのための損失は測り知れません。
 とにかくやっとお辞めいただけるということで、初めて菅総理は国益に適う判断を下されたということで、喜ばしいかぎりです。

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