ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

いつちゆくらむ

2011年08月03日 | 文学

   私が住む街には、思いがけず雨が降りました。
 このところ盛夏とは思えない涼しさで、しのぎやすいですね。
 去年の猛暑が嘘のようです。
 真夏、思いがけない冷たい雨が降ると、なにがなし、物思いに沈みます。

 五月雨に 物思ひをれば 郭公 夜ふかくなきて いつちゆくらむ  紀友則 

 古今和歌集に見られる夏の歌です。

 夏の雨の夜、物思いに沈んでいるとホトトギスが鳴いている、こんな夜中にどこへ行くのだろう、というほどの意かと思います。

 おそらく、ホトトギスに自身を重ね合わせているのでしょうね。
 真夏の夜のメランコリーといったところでしょうか。
 
 真夏のメランコリーと言えば、

 あの夏の 数かぎりなき そしてまた たった一つの 表情をせよ

 
という、34歳の若さで事故死した歌人、小野茂樹の歌を思い起こします。

 過ぎていったひと夏の思い出を追慕したものでしょうか。

 その夏は彼にとって神聖なものであり、また、残酷にも二度と戻らない、儚い夢でもあるのでしょう。
 その夏を持てたことは、若くして逝った彼にとって幸せなことだったでしょうか。
 それとも、生に執着する悪因縁となったでしょうか。
 今となっては、誰にもわかりません。

 
夏は来ぬ 相模の海の南風に わが瞳燃ゆ わがこころ燃ゆ

 
こちらは、明治期に活躍した歌人、吉井勇の歌です。
 あまりにストレートで暑苦しいこの歌は、私の好むところではありませんが、あんまりあけすけで、かえって嫌味がありませんね。

 今で言うと、湘南乃風のような、ストレートで暑苦しいJーPOPにあたるのかもしれませんね。

 いつの時代にも、暑苦しい歌を好む者がいるものです。

 やまと歌は、人の心を種として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける。
  
 
有名な古今和歌集に見られる紀貫之仮名序の冒頭部分です。

 和歌は古く上代から興り、連綿と現代まで繋がっています。
 その間には様々な文学史上の運動がありましたが、わが国文学の主役の座こそ散文に譲ったものの、今もなお、わが国語は最も詩歌に適した言語であると、世界の文学者、言語学者に知れ渡っています。
 和歌といい俳句といい、これほど短い定型詩が、よくも豊かな文学世界を花開かせたものだと思います。

 ただ悲しいのは、私自身が、散文的理性の世界に生きており、詩歌的感性の世界に疎いことです。
 詩歌の才があれば、森羅万象を美しい言葉に乗せて歌うことができるでしょうに。

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
高田 祐彦
角川学芸出版
羊雲離散―小野茂樹歌集 (1968年) (地中海叢書〈第39篇〉)
小野 茂樹
白玉書房
吉井勇歌集―吉井勇自選 (岩波文庫)
吉井 勇
岩波書店
表BEST“金”盤 通常盤 (CD+MIX CD) 『湘南乃風 ~Single Best~』
トイズファクトリー
トイズファクトリー
裏BEST“銀”盤(2CD) 『湘南乃風 ~ Live Set Best ~』
トイズファクトリー
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奇妙な反省

2011年08月03日 | 社会・政治

  鬱陵 ( ウルルン ) 島を目指した日本の国会議員に対し、入国拒否して空港から帰しちゃった件について、韓国政府及びマスコミは奇妙な反省の弁を述べています。

 すなわち、日本は竹島をめぐって日韓の間で領土紛争が存在することを広く世界に認めさせることが最大の目的であり、韓国政府が過剰反応し、それをマスコミが大々的に報道したことで、かえって世界から注目を浴び、竹島問題は世界に知れ渡ってしまった、というのです。

 しかも日本人議員グループは、空港で足止めを食っている間、悠然とビビンバなどの韓国料理を食し、お土産に韓国海苔を買って帰ったそうで、その余裕ある態度が、馬鹿にされているようで腹が立つ、というのです。

 どこまでも自己中心的な思考から抜けられない人たちですねぇ。

 入国拒否された議員グループの心の内や、そんな仕打ちを受けた日本国民が傷つくかもしれない、という程度の想像力も働かず、日本の思いどおりになって悔しいなんて、性根が卑しいとしか言いようがありません。
 ていうかそもそも日本の思いどおりになんてなっていません。
 鬱陵 ( ウルルン ) 島が韓国領土だということには何の異論もありません。
 韓国領土である鬱陵 ( ウルルン ) 島に存在す竹島についての博物館を視察して、韓国のスタンスを勉強しようというだけのこと。

 韓国はわが国にとって友好国であり、まさかテロリストを想定して作られた法律を援用して入国拒否されるとは夢にも思わなかったことでしょう。

 このような非礼に強く抗議してもわかる相手ではありますまい。
 駄々っ子をたしなめるように、噛んで含めて優しく諭してやらなければなりません。
 面倒くさいですねぇ。

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少年

2011年08月03日 | 社会・政治

 北海道で高校三年生の少年が自宅に火をつけ、妹の16歳の少女が亡くなったそうですね。
 少年は取り調べに対し、家族に馴染めなかったとか、内向的な性格になったのは家族のせいだ、とか言っているようです。

 この種の事件は昔から後を絶ちません。
 私が記憶しているところでは、進学校に通う高校生が自意識を肥大させ、かつて依存していた祖母を殴り殺し、自殺する、という事件が80年代前半にありました。

 家庭内暴力とか校内暴力とかが80年代には流行りました。

 20年前までは殺すのは子どもで殺されるのは親や兄弟と決まっていたのですが、近頃は子を殺す親も現れて、親子で殺し合いなんていう怖ろしい事態が出来しています。

 永井豪の漫画に「ススムちゃん、大ショック」という作品があり、子への愛情を多くの親が失くし、あっちこっちで児童虐待や殺害が起こる、というSFで、私は震えあがりました。

 そんなことが、わが国で起き始めているようです。

 高校生や中学生の少年というのは、昔でいえば元服したすぐ後くらいで、大人と見なされるべき存在です。
 それを子ども扱いするから、親がどうちゃら、大人がどうちゃら、学校がかんちゃら、管理がなんちゃら、と被害者意識を募らせて爆発してしまうのでしょうね。
 動物でいえば巣立ちの時期にきているのに、親元で良い子でいるのはさぞかし窮屈でしょう。
 そんな子には擬似的な自立を経験させたらどうでしょう。

 どんなに子どもに見えても、中学入学と同時に、親は子どもに対し、これから大人に準じて扱うからそう思え、と言って何事も自立させるように仕向けるべきでしょう。
 その代り、小学校まではある程度厳しくしつけなければなりません。

 ただし、しつけの際には絶対に体罰を加えないこと。

 体罰では恐怖の感情を植え付けることしかできず、性格がいじけてしまいます。
 それどころか、親に復讐してやろうと、憎しみを増加させるかもしれません。
 
 理性的に、しかし気迫をもって事の善悪や理非を説き、それは一度きりにして、後は何事もなかったかのように接しましょう。

 そして何事も褒めること。

 それと、子どもに感謝の意を表すこと。
 家事を手伝ってくれたらありがとうと言いましょう。

 そして中学入学と同時に、大人と同じように接し、家庭内のことには意見を求めるようにし、家庭内での役割を与え、それをこなしたら褒め、さぼっても叱らず、放っておきましょう。
 例えば皿洗いが役割だったら、どれだけ溜まっても、放っておきましょう。
 大人は役割を果たさなければ生きていけないのですから。

 でも結局、教育とは空しいもので、犯罪を犯すやつは犯しちゃうんですよねぇ。
 だからこそ警察があり、刑務所がなくならないのですよねぇ。

  子どもがいない私が言っても説得力はないでしょうねぇ。
  子どもなんて、こう育てたからこうなる、というものではなく、持って生まれた性質が8割くらいでしょうから、社会人として普通に生きていけるようになれば、上出来じゃないでしょうかねぇ。   

切れた糸―永井豪自選作品集 (角川ホラー文庫)
永井 豪
角川書店

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美術品もないのに

2011年08月03日 | 社会・政治

 美術品もないのに立派な箱モノ美術館を建ててはいけません。

 この言葉は、日本の某鉄道関係者が、中国の新幹線事故に関連して言った言葉です。

 日本の新幹線は、深夜から早朝にかけて、毎日線路や電線の整備を行っているそうです。
 高速で走ると、線路や電線の消耗は激しく、毎日点検して不備がみつかれば交換しないと極めて危険だからです。

 しかるに中国の新幹線は寝台車がついた24時間営業。
 保線の時間がありません。
 もし時刻表のわずかの隙をついて保線を行う能力があるのだとしたら、中国の鉄道技術は恐るべきレベルにあると言わざるをえませんし、メンテナンスを軽視していたのだとしたら、空いた口がふさがりません。

 そういえば箱モノ美術館で美術品を持たずに成功している例が一つだけありましたね。
 六本木の国立新美術館です。
 貸し会場専門の美術館。
 場所が良いからできる芸当です。

 中国版新幹線が国立新美術館ほど特異な存在であるはずもなく、見た目は立派でも中身は空っぽだったことが図らずも露呈してしまいました。
 てっきり誰も乗らなくなったのかと思いきや、事故直後の今が一番安全だろうという逆転の発想で、意外にも混雑しているそうです。

 中国では人の命が軽いと聞きますが、自分の命ですら軽いのですねぇ。

 日本が高速鉄道の技術を供与する際、運用面を含めて総合的に導入しないと危険だと再三警告したにも関わらず、日本が売らんかなの根性で嘘をついていると思ったらしく、日本、フランス、ドイツ、韓国などの先進的な高速鉄道の都合のよいところだけをつなぎ合わせた張りぼての列車を作り上げて中国独自の技術と宣言し、自国の進んだ鉄道技術を日本に供与してやってもよいなどと嘯き、挙句の果てには世界中の政府に特許申請する始末。

 中国がロシアから中古の航空母艦を買って大幅に改装し、中国初の自国製の空母だと言い張っているのを見るにつけ、外洋に浮かべたら沈んじゃうんじゃないの?とツッコミを入れたくなります。

 技術をパクることはできても、それを運用するノウハウまでは分からなかったということでしょうか。

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