本宮哲郎という俳人がいます。
年はもう八十を超え、そろそろ枯淡の境地に遊ぼうかと言う頃あい。
しかし彼は、老境を迎えて、それまでの故郷を詠む牧歌的な句から、恋や色を艶やかに詠む句風に変じてきたのです。
行水の 女体ましろく 暮れてをり
恋の猫 月下の橋を 鳴きながら
どちらも若い俳人の手になるものかと勘違いするような、瑞々しい異性への恋情を感じさせます。
80を過ぎてこの句境に達するとは、人間精神の運動とは不思議なものです。
花冷えや 土の粘つく 田靴脱ぐ
舟が着き 代掻牛の 降ろさるる
葱苗を 選ぶ地べたに 正座して
伐り口の 樹液 八月十五日
高稲架に 風の抜け穴 日本海
これらが、本宮哲郎の代表的な句です。
どれも田舎の百姓の日々を力強く詠んだものです。
それが、萩原朔太郎もかくやと思わせるような、虚とも実ともつかない、幻想的な美を謳いあげています。
あるいは、老境に至ったからこそ、何の衒いもなく幻想美を詠むことができたのでしょうか。
わが国の文人は、若い頃には気負って野心に満ちた大作を物そうと力みがちですが、年をとると力が抜けて枯れた良い味わいを醸し出すことがよくあります。
文人ではありませんが、噺家なんてそういう人が多いですね。
若い噺家は元気一杯で、どうだ面白いだろう、と言わんばかりですが、例えば私が当代最高の噺家と考えている柳家小三治師匠などは、つまらなそうに、苦虫をかみつぶしたような表情で噺をします。
してみると、本宮哲郎にとっては、故郷を謳うことこそ力技であって、色恋を幻想美のスパイスを効かせて詠むことは、たやすいことだったのでしょうか。
日本海―本宮哲郎句集 (ふらんす堂俳句叢書―現代俳句12人集) | |
本宮 哲郎 | |
ふらんす堂 |
句集 伊夜日子 角川俳句叢書 52 | |
本宮 哲郎 | |
角川学芸出版 |
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萩原 朔太郎,河上 徹太郎 | |
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