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「グラッ─」ときたら、大地震にそなえて

2010年01月21日 | 日記
 先日、市内の飲食店で昼食を食べていた時、店主の方との雑談で、阪神・淡路大震、ハイチ大地震のことが話題になりました。その会話のなかで店主の方が、子どものときの南海地震の体験を話してくれました。
 「グラッ─」ときた時、すぐに表に飛び出した。その直後に家が崩れた。もし、飛び出すのが少しでも遅かったら、倒壊した家屋の下敷きになっていたかもしれない、と、いまでもその時の恐怖を鮮明に覚えているそうです。店主の方の生家は茶屋町で干拓地のなかにあり、倒壊は地盤の影響があったのかも知れません。改めてもっと詳しく、体験談を聞いておく必要があると思いました。
 この南海地震は、ウィキペディア(Wikipedia)によると、1946年12月に発生した「昭和南海地震」であり、震源地は和歌山県潮岬沖、マグニチュード8.0の大地震。紀伊半島、四国、九州の太平洋側を中心に大きな被害を及ぼした。死者・行方不明者1,443人、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸と記録されています。ちょうど私の生まれた1946年11月の1ヵ月後に発生。母の故郷の那智勝浦、下里町でも大きな被害があったことと思います。
 店主の方の家も全壊か、半壊の戸数に数えられているのでしょう。この地震では岡山県で南部の干拓地を中心に死者52名などの被害を記録しています。
 阪神・淡路大震災は、今年1月15日で15周年。ウィキペティアによると、木造家屋の下敷きで約5.000人が即死、家具の転倒で圧死約600人と記載しています。死者7千人近い被害のうち、約8割の方が「グラッ─」ときた時に被害にあっています。この時にどう対処すればいいのか、家具の転倒防止対策を含め、この時に被害を最小限にする対策が強く求められます。玉野市でも自主防災組織が各地で作られていますが、この時の、「グラッ─」ときた時の適切なそなえ、準備を意識的に住民のみなさんに啓発していくことが大切だと思います。
 1946年当時ではなかった塩田跡の埋立地に町ができ、軟弱地盤に多くの家屋・建物が建設されているだけに、「グラッ─」きたときの、その瞬間に対応する、よりいっそうの対策が求められているのではないでしょうか。

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