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新自由主義化によって成功した北欧諸国

『ロスト近代』より 北欧型新自由主義の到来

大きな政府でも経済成長するようになってきた

 従来、自由市場経済の支持者たちは、「小さな政府」こそが経済成長を導くと主張してきた。租税負担率を低くしたほうが、市場が活性化され、結果として国富が増大すると考えられてきた。ところが近年になって、どうもこの考え方が通用しない。諸国のデータをみると、八○年代からゼロ年代後半にかけて、大きな変化が生じている。

 「租税負担率」と「経済成長率」の関係をみると、八○年代においては、たしかに租税負担率の低い国のほうが、経済成長率が高かった。ところが九〇年代になると、これら二つの指標の関係は中立的(無関係)となっている。ゼロ年代後半には、再び租税負担率の高い国の方が経済成長率において劣るようになるものの、標準的な偏差から大きく逸脱する国が増えてきた。租税負担率が四〇%前後の諸国では、経済成長率に大きな開きがある。

 二つの項の相関関係を示すものであって、税金を高くすれば経済成長率が高くなるという因果関係を示しているのではない。あるいは別の問題として、実際の社会保障費は、租税負担率とは乖離している可能性もある。財政赤字でもって社会保障費を捻出している日本のような国は、たとえ租税負担率が低くても、すでに充実した社会保障を実現しているとみなすべきかもしれなり租税負担率のみに注目するとヽ実際の福祉サービスの水準を見誤るであろう。

 ただ、こうした欠点を踏まえたうえで、経済成長率と政府規模の関係は、しだいに「偶然化」してきた、と理解することはできるだろう。政府を小さくしても、経済成長率が高まるわけではない。国富増大のための戦略として、「大きな政府」と「小さな政府」のどちらが望ましいのかについては、一概に言えなくなってきた。

 もう一つ、「経済成長率」を「国富」の基準とする考え方にも、かげりがみえてきた。経済成長率よりも、「幸福度」のような指標によって、国富を考えるべきではないか。例えばロバート・ライシュは、著書『勝者の代償』のなかで、アメリカの勝ち組は、家族とすごす時間を犠牲にしながらニュー・エコノミーに適応してきた、と指摘している。あるいは、経済学者リチャードーイースタリンによれば、ある一定の生活水準を超えると、豊かさと幸福は両立しなくなるという(イースタリンの逆説)。

 むろん、「大きな政府」にすれば、私たちの幸福度が増すというわけではないだろう。現在の北欧諸国が魅力的に見えるのは、それが「大きな政府」だからではない。北欧諸国は、この二〇年のあいだに、新自由主義の諸政策を大胆に導入してきた。検討すべきは、近年の北欧の諸国が、新自由主義化の政策とともに、どんな魅力を築いてきたのかという問題である。新自由主義の政策は、たんに経済成長率を高めるために採用されるのではない。新自由主義の政策は、もっと魅力的な理念と結びついているのかもしれない。

フィンランドの教育に学ぶ

 義務教育に関しては、さすがにアメリカに学ぼうという論者は少なく、北欧諸国から学ぶべきだという論調が強い。しかし八○年代以降のフィンランドの教育は、次第に新自由主義的な政策を取り入れたがゆえに、成功したのだという。これに対してイギリスでは、新自由主義よりも「新保守主義」の政策を強権的に取り入れた結果として、あまり成果が上がらなかったという。

 「新自由主義」とは、産業界のニーズに応じる教育であり、これに対して「新保守主義」とは、国家的管理の強化に応じる教育である。「新自由主義」は、例えば、伝統的な教科を否定して起業のための技能科目を導入し、「生きる力」を重んじる。あるいは、子どもたちが自ら学ぶことを奨励するために、コンピテンシーと呼ばれる知識の学び方を学ぶことを提唱する。これに対して「新保守主義」は、道徳的服従や伝統の再生を重んじて、教師が権威をもって教授することを重視する。あるいは、国家運営や職業訓練のために資するような知識や技能を身につけさせようとする。

 このように、新自由主義の教育理念は、新保守主義のそれと大きく異なっている。フィンランドでは従来、「社会民主主義」の教育理念が追求されてきた。すなわち、「子ども中心主義」「平等」「連帯/協同」「個性の発達」「真理」「情緒的健康」などの諸価値が、追求されてきた。ところが近年になって、フィンランドは、新自由主義の教育へと転換を図ってきた。すなわち、「脱中央集権」「民営化/競争」「利潤」「学習到達度」「就職力」等々の理念へと、教育の目標を転換してきた。

 具体的には例えば、フィンランドでは最近、次のような教育政策が導入されている。(1)学校の経営決定と運営責任は国家教育委員会ではなく地方自治体に移管する、(2)自由競争原理を取り入れ、学校選択制を導入する、(3)生徒の学習に即して指導する、(4)起業家的な技能をカリキュラムに含める、などの政策である。こうした改革の過程で、フィンランドでは、教育の現場である〈自治体/学校/教員/子ども〉に対して、大きな権限が与えられた。自己目標の設定と自己評価によって、自由と責任のある教育制度が実現されてきた。これは、国家が教育達成度の数値目標を掲げて「点取り競争」を強いるような管理方法とは大きく異なっている。こうした分権化と自治のモデルがフィンランドの教育を成功させたのだという。この評価が正しいとすれば、フィンランドの教育は、「新自由主義」の体現として成功したと言えるだろう。
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