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ドイツ「歓迎の文化」

『難民支援』より 成熟した市民社会を目指して

「歓迎の文化」は存続できるのか

 2016年はヨーロッパの難民・移民問題にとって転換点となる1年であった。バルカンルートの封鎖(3月)によって、前年の夏から続いた大量難民の流入は一時的に停止したものの、難民・移民絡みの事件が立て続けに起きたのである。

 3月、ブリュッセルで起きた空港・地下鉄同時テロは、ホームグローン・テロリスト必存在を明るみに出した。また、6月の国民投票で英国がEUから離脱した一因として、「ポーランド等からの移民が白分たちの仕事を奪う」という漠たる不安を挙げることができよう。また、フランス南部ニースのトラック暴走テロ事件(7月14日)、ドイツ南部ヴュルツブルク郊外の列車襲撃事件(7月18日)、ミュンヘンの銃乱射事件(7月22日)、アンスバッハのコンサート会場爆発事件(7月24日)も、アフリカやアジアにルーツを持つ若者たちが関与していた。

 2015年に大量の難民が押し寄せた際、ミュンヘンの市民は「歓迎の文化」を発揮して、難民を暖かく受け入れた。ところが、それから1年も経過しないうちに、この精神を打ち砕くほど衝撃的な事件が連続して起こったのだ。事態の急変を跡づける資料として、ドイチェ・ヴェレ(DW)の記事2本を取り上げてみたい。

「歓迎の文化」(2015年~2016年)

 1本目の記事は、ドイチェ・ヴェレである。この記事には写真が2葉配置されている。1枚の写真には、眠そうな顔をして腰を下ろしている8~9歳の子ども(少年2人と少女1人)。「(ンガリーの国境を越えてミュンヘン中央駅に着いたばかりの列車から降りた難民の子どもたち」というキャプションが付いている。もう1枚の写真には、にこやかな顔の若い女性が手渡すクマの縫いぐるみを、右手で受け取ろうとする7~8歳の少年。「到着した難民を支援するボランティア」というキャプションが付いている。ミュンヘンの市民が難民を温かく迎え入れる際のこのような写真は、読者の脳裏に焼き付いていると思われる。

 2本目の記事は、DW(2016年7月7日)である。掲載の日付に注目していただきたい。ドイツ南部で事件が連続して起きる1週間前である。「歓迎の文化に翳り」という見出しの記事にも写真が2葉付けられている。1枚の写真はペンキで塗りつぶされた看板で、かすかに「REFUGEES WELCOME」の文字が読み取れる。この写真は衝撃的であるとともに、ドイツ社会の反移民感情を読者に伝える意味で象徴的でもある。もう1枚は、女性のボランティアが難民受け入れ施設において、ペットボトルの水を手渡しリレーで運び込んでいるスナップ写真である。

 さて、それぞれの記事を読み直してみたい。まず、「歓迎の文化」が満ち溢れた写真の記事であるが、「難民対応の特別委員会開催」という控え目な見出しが付けられている。ハンガリーからの列車がミュンヘンに到着して、1週間に数千人の難民が中央駅に流入した事態を受けて、連邦議会設置の特別委員会で対応策が検討されたと報じている。州負担の軽減や難民の受け入れ方法について、具体的な予算措置や施策が講じられた模様である。

 難民に対して両手を差し伸べ受け入れる様子は、記述として3行に満たない。「何百に上る市民が食糧、衣類、歯ブラシ、おむつなどを持ち寄って中央駅に集まった」という記述である。それ以外は、特別委員会の審議内容に関わるもので、内相、社会相など与党側の説明、および連邦参議院議員の要請、野党の反論が詳細に報じられている。私たちは、この点にこそ注目しなければならないのではあるまいか。つまり、緊急事態に対応すべく特別委員会で議論し、具体策を煮詰めていくというプロセスの遵守である。

 それと同時に報道の姿勢にも注目しておきたい。2葉の写真で読者の目を惹きつけつつ、見出しと本文では沈着に事態の成り行きを報じているのだ。ドイツの目標としている社会が「成熟した市民社会」であるとするならば、それは賛否両論を出し合う過程を重視し、多様性を重んじることのできるよう、絶えず微調整を続けていく社会なのではあるまいか。そして、議会や行政に対する監視の姿勢を崩さず、真実を伝えようと努めるメディアの存在があるということではあるまいか。そのことをDWの記事は暗黙のうちに伝えているようでならない。

 次に、もう一方の記事の内容を精査してみたい。「難民歓迎」の文字が白いペンキで塗りつぶされた写真と、ボランティアの女性たちが支援活動をしている写真の2枚については前述したとおりであるが、写真掲載の順序に着目すると、どのようなことが浮かび上がってくるであろうか。

 「歓迎の文化」という語が計5回も出てくる記事であるが、「歓迎の文化に鸚り」という見出しから判断できるように、難民に対する地元住民の姿勢に多少の変化が生じていることを伝えている。社会心理学者の実施した調査を参考に、「自らの優先権を主張する地元住民が増えてきた」、あるいは「新参者に対してドイツ社会への順応(統合を求める声が大きくなった」としている(前回調査の36・2%に比べて今回は54・9%)。それにもかかわらず、この記事の後半は、「圧倒的多数、難民受け入れの準備あり」という小見出しから推測できるように、地元住民たちが「新参者」を受け入れたり、支援したりする気持ちは変わっていないことを伝えている。小見出しの直後に、「大いなる支援の手--多数のミュンヘン市民、到着した難民に寄り添う」というキャプションの付いた2枚目の写真が配置されている所以である。

 そして、ドイツには国民の二極化という現象が見られることを専門家(文化衝突の研究者)の言葉として引用している。つまり、「歓迎の文化」を理想型として掲げる人たちと、地元住民と移住者を峻別して昔ながらの秩序を取り戻すべきだと主張する人たちに、ドイツ国民が分極化しつつあるというのである。「今、政治に必要なのは、地元住民と移住者双方を団結させる施策である」という上記専門家の言葉を引用したうえで、この記事は、「そのために最も重要なことは、ドイツに住む人々全員が、これまで以上に社会の様々な場面に参加し、互いに分かち合いを深めていくことである」と締めくくっている。

ストレステストを受ける「歓迎の文化」(2017年~2018年)

 さて、ドイチェ・ヴェレの記事2本を読んできたわけであるが、「歓迎の文化」が次第に蘇りを見せていることは確かであろう。それではさらに、2017年~2018年の時点で、どのような変化が生じたのだろうか--。

 「難民を受け入れるべきか? 歓迎の文化にストレステスト」という見出しのついた記事を読んでみることにする。この記事は、ベルテルスマン財団が行った電話によるアンケート調査(ドイツ各地の15歳以上2014人を対象にっ`017年1月実施)の結果を分析している。

 まず、移民・難民に対する「歓迎の文化」の度合いについては、移民と難民との間で有意差のあることを指摘している。回答者の70%が、専門性の高い移民を同僚として「とても歓迎」もしくは「どちらかというと歓迎」としているのに対し、難民に対する肯定的な回答は59%止まりである。さらに難民に対しては、34%が「全く歓迎しない」もしくは「どちらかというと歓迎しない」と回答している。移民に対する22%を大きく上まわっている。

 次に、「ドイツも他のEU諸国も難民の受け入れを続けるべきか」という質問に対しては、2015年と2017年の回答に大きな開きがあるとしている。割り当て制については大差がないものの、「ドイツによる受け入れは限界に達している」と考える回答者が40%から54%に増加している。一方、「人道的な理由からドイツによる受け入れは継続すべき」と答えた人の割合は51%から37%に減少している。

 最後に、年齢層による難民受け入れの度合いについては、若年齢層と高年齢層で大きな相違が見られる。若年齢層(14~29歳)の場合、2015年と2017年の間に大きな差はないが、中年齢層(30~59歳)から高年齢層(60歳以上)になるにつれ、難民受け入れを否定的にとらえるようになっている。特に高年齢層の場合、2015年に過半数(53%)が肯定的だったのに対し、2017年の比率は3分の1以下(29%)に低下している。

 上記の調査結果から判断して、DWは以下のように締めくくっている。

 若年齢層の場合、移民の二世三世が増えていて、外国にルーツを持つ仲間との接触が当たり前になっている。それに対し高年齢層では、移住の背景を持つクラスメートは少なかったであろう。前者のなかには学生が多く含まれているため、難民の受け入れに抵抗を示さない回答者が比較的多いとともに、2015年から2017年にかけての変化も小さい。一方、後者の場合、2015年で受け入れ賛成だった回答者の割合(53%)が、2017年では29%に急降下している。これは、難民が増え続けると、不安要因も大きくなると感じる回答者が多いことを示している。

  気がつくと近隣に異文化・異宗教を持つ人々が増えてしまい、慣れ親しんだ文化や宗教が圧迫されている。生まれ育った町とは様変わりしてしまった。われわれの故郷、そして、われわれの国は将来どうなってしまうのか。

 2018年2月末から3月初めにかけて、ドイツの各紙はエッセン市のフードバンク活動団体(ノルトライン=ヴェストファーレン州に170あるフードバンクの1つ。ドイツ全体には934の支部があり、約6万人のボランティアによって支えられている組織)についてのニュースを大きく取り上げた。事の発端は、エッセン市のフードバンクが外国人に対する食料配布サービスの新規登録を停止し、ドイツ国籍保持者に限るとした決定であった。ツァイトは、理事の経緯説明を以下のように報じている。

  受給登録者(約6000人)のうち75%が外国人であり、ドイツ国籍の年金生活者や独り親などにサービスが行き渡らなくなる恐れがあるため、暫定的に今回の決定に至りました。私たちは、困っているエッセン市民のために活動しているのです。それ以上のことは国の責任ではないでしょうか。

 「意見を寄せてくれた市民の約80%は、私たちの決定を好意的に受け止めています」という同理事の釈明に対して、数多くの反論が寄せられていることも同紙は紹介している。例えば、州・市の難民統合や福祉の担当者、あるいは、ペルリン、ケルン、デュッセルドルフ、ブレーメンなどの食料支援ボランティア団体からも、打ち切り措置に反対する意見が出されたようである。代表的なものは、食料の受給者を国籍でなく困窮度で選ぶべきだという意見である。フランクフルター・アルゲマイネ紙は、メルケル首相までもが、「外国人を締め出すべきでない」と意見表明したことを報じている。

 続いて翌日の同紙は、「メルケルが認めようとしないこと」という見出しの記事で、この問題を論じている。

  エッセン市の事件で露呈したことは何か--。それは、メルケルが真実を認めようとしていないことである。つまり、自らの採った難民政策によってドイツ社会が隅々に至るまで不安定になってしまい、人々が不安感、焦燥感、不公平感、喪失感を抱くようになり、排外主義(外国人嫌悪症)に取り憑かれてしまったという実態である。

 2018年2月26日付けのフランクフルター・アルゲマイネ紙は、移住者(とりわけ若者)たちの傍若無人ぶりに人々が辟易している様子を、ザルトール理事の言葉で伝えている。

  (移住者たちは)そもそも列に並ぶということに慣れていないのです。お年寄りや母親たちを威圧しています。食料をもらうことは当然の権利だという勢いなのです。ここを国の施設だと勘違いしているのかもしれません。私たちボランティアも、いい気分ではありません。今まで10年以上、楽しく仕事をしてきましたが、最近、やる気がなくなっています。放り投げ出したい気持ちです。

  私たちを「外国人嫌い」とか「右翼急進派」とか「人種差別主義者」と非難する人たちもいます。それは見当違いです。マスコミは「押し合いへし合い」とか「悪い外国人」とかという表現を使いますが、真相を報道しているとは言えません。

 この記事に付された写真には、フードバンクのトラックが1台写っている。「フードバンクの理念--一人ひとりが、できる範囲の援助を」というモットーの文言が、赤いペンキで「NAZIS」と塗りつぶされている。

 「歓迎の文化」で始まったドイツの難民支援が2年半経過後、更なるストレステストを受けている。国・州・自治体の手が届かないところに草の根的支援が広がって、今でも難民支援の理念を貫き通そうと努力している人々がいることは確かである。しかし、日増しに大きくなるストレスに耐えきれず、支援活動から離れるボランティアが多くなっていることも無視できない。エッセン市のフードバンクにまつわる出来事は、その一例に過ぎない。
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