未唯への手紙
未唯への手紙
社員が満足して働ければお客の満足度も高くなる
『日本でいちばん大切にしたい会社2』より ネッツトヨタ南国株式会社(高知県)
ネッツトヨタ南国は、一般によく行われている飛び込み営業、訪問営業など、売る側の都合優先である「売らんがための営業」はいっさいやっていません。また、新聞の折り込みなど、チラシを撒くこともほとんどやりません。
そのような営業費や広告宣伝費と比較しても、現在のサービスのほうがコストがかからないばかりか、お客にも、また地域の方々にも喜ばれるからだそうです。
事実、広告宣伝費をほとんどかけなくても来店客数は年々増加し、今や高知県内はもとより、四国全県はおろか本州から来る人もいて、その数は年間一〇万人を超えています。
ちなみにネッツトヨタ南国の顧客満足度は、オールトヨタ販売店のなかで、平成十一(一九九九)年以降ナンバー・ワンを維持しています。
顧客満足度が抜きん出て高いのは、従業員満足度が抜きん出て高いということの表れでもあります。
このことについて横田会長は、
「私たちは車を売ることを目的としてはいません。より大切なことは、社員が幸せに働ける会社をつくることです。そうすればお客様にとっても、自然に満足度の高い会社になるのです。仕事や職場にやりがいを感じ、所属する組織に誇りと喜びを感じている社員は、お客様に心から喜んでもらえるサービスを提供しようと考え、行動するのは自然だからです。売上を伸ばすためのサービスは、本当のサービスではありません。会社とは、集まっているすべての社員が人間性を尊重され、やりがい、働きがいを感じる場所であるべきです」
と語ってくれました。
こうした人間性尊重、社員第一主義経営の考え方を横田会長がもつようになったのは、はじめからではありません。
横田会長は、親族が経営する企業集団、西山グループである宇治電化学工業、四国車体工業の勤務を経て、グループの社長を務める父の強い要請もあり、昭和五十五(一九八〇)年に設立したトヨタビスタ高知(現ネッツトヨタ南国)の副社長として入社しました。
三十六歳のときのことです。設立当初は、親会社から転籍した四名の社員と、新たに中途採用した一二名の計一六名でした。
副社長とはいえ、社長である父親はグループのトップということもあり、横田会長は実質、社長でした。しかし、資本家の一族だから、父親が社長だからという理由で自分がいきなり副社長というポストに就くのは不公平だと思ったそうです。
それでも、
「そのポストが自分に与えられ、それを全うすることが自分の使命と責任であるならば、この会社をお客様のためではなく、社員のためによい会社にして、『このリーダーの下で一緒に仕事ができてよかった』と思ってくれるような経営をしよう」
と心に決めたそうです。
こうした経営への取り組みは、社長などトップと血縁関係にある後継者、ミドル、一般社員を問わず、常に心しておく必要があることでしょう。横田会長の原点にこうした思いがあったからこそ、その仕事の大半を社員のために費やしたのです。
設立した当初、現在のネッツトヨタ南国を知る人にとっては考えられないほど、社内には暗い雰囲気が満ちていたそうです。社員の帰属意識は低く、モチベーションも低かったことはいうまでもありません。
そこで横田会長がやったことは、「社員にどんな会社で働きたいか」というアンケートをとることでした。
その結果、大半の社員が、
一、チームワークのよい会社
二、コミュニケーションの取れている会社
三、お客様から感謝されて、生きがいを感じられる会社
四、がんばったことを認められる会社
五、家族や友人に誇れる会社
と回答しました。
この結果を見て横田会長は、
「社員が言っていること、思っていることは何も特別なことではなかった。そればかりか、当たり前のことばかりだった」
と気づかされたそうです。
これを機に、アンケートで大半の社員が望んでいた「働きがい、生きがいのある会社づくり」への道を社員と共に歩んできたのです。
ネッツトヨタ南国は、一般によく行われている飛び込み営業、訪問営業など、売る側の都合優先である「売らんがための営業」はいっさいやっていません。また、新聞の折り込みなど、チラシを撒くこともほとんどやりません。
そのような営業費や広告宣伝費と比較しても、現在のサービスのほうがコストがかからないばかりか、お客にも、また地域の方々にも喜ばれるからだそうです。
事実、広告宣伝費をほとんどかけなくても来店客数は年々増加し、今や高知県内はもとより、四国全県はおろか本州から来る人もいて、その数は年間一〇万人を超えています。
ちなみにネッツトヨタ南国の顧客満足度は、オールトヨタ販売店のなかで、平成十一(一九九九)年以降ナンバー・ワンを維持しています。
顧客満足度が抜きん出て高いのは、従業員満足度が抜きん出て高いということの表れでもあります。
このことについて横田会長は、
「私たちは車を売ることを目的としてはいません。より大切なことは、社員が幸せに働ける会社をつくることです。そうすればお客様にとっても、自然に満足度の高い会社になるのです。仕事や職場にやりがいを感じ、所属する組織に誇りと喜びを感じている社員は、お客様に心から喜んでもらえるサービスを提供しようと考え、行動するのは自然だからです。売上を伸ばすためのサービスは、本当のサービスではありません。会社とは、集まっているすべての社員が人間性を尊重され、やりがい、働きがいを感じる場所であるべきです」
と語ってくれました。
こうした人間性尊重、社員第一主義経営の考え方を横田会長がもつようになったのは、はじめからではありません。
横田会長は、親族が経営する企業集団、西山グループである宇治電化学工業、四国車体工業の勤務を経て、グループの社長を務める父の強い要請もあり、昭和五十五(一九八〇)年に設立したトヨタビスタ高知(現ネッツトヨタ南国)の副社長として入社しました。
三十六歳のときのことです。設立当初は、親会社から転籍した四名の社員と、新たに中途採用した一二名の計一六名でした。
副社長とはいえ、社長である父親はグループのトップということもあり、横田会長は実質、社長でした。しかし、資本家の一族だから、父親が社長だからという理由で自分がいきなり副社長というポストに就くのは不公平だと思ったそうです。
それでも、
「そのポストが自分に与えられ、それを全うすることが自分の使命と責任であるならば、この会社をお客様のためではなく、社員のためによい会社にして、『このリーダーの下で一緒に仕事ができてよかった』と思ってくれるような経営をしよう」
と心に決めたそうです。
こうした経営への取り組みは、社長などトップと血縁関係にある後継者、ミドル、一般社員を問わず、常に心しておく必要があることでしょう。横田会長の原点にこうした思いがあったからこそ、その仕事の大半を社員のために費やしたのです。
設立した当初、現在のネッツトヨタ南国を知る人にとっては考えられないほど、社内には暗い雰囲気が満ちていたそうです。社員の帰属意識は低く、モチベーションも低かったことはいうまでもありません。
そこで横田会長がやったことは、「社員にどんな会社で働きたいか」というアンケートをとることでした。
その結果、大半の社員が、
一、チームワークのよい会社
二、コミュニケーションの取れている会社
三、お客様から感謝されて、生きがいを感じられる会社
四、がんばったことを認められる会社
五、家族や友人に誇れる会社
と回答しました。
この結果を見て横田会長は、
「社員が言っていること、思っていることは何も特別なことではなかった。そればかりか、当たり前のことばかりだった」
と気づかされたそうです。
これを機に、アンケートで大半の社員が望んでいた「働きがい、生きがいのある会社づくり」への道を社員と共に歩んできたのです。
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