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究極の数学教科書を書く:ニコラ・ブルバキの『数学原論』

『Oxford数学史』より ⇒ 数学教室3年生の時にブルバキ『数学史』3500円を買うために、三日間、段ボール工場でアルバイトをした。

数学の歴史において数学の教科書は重要な役割を果たしてきた。だが、若干の重数要な例外はあるものの特に20世紀においては数学の教科書は一般に新しい結果を伝えるものではない。むしろ一つの分野の最新の状況を要約して提供することを目的としている。そのような要約は、描こうとしている知識の本体から見て中立的ではほとんどあり得ない。教科書を書くということは、それまで散在していた結果を単にまとめることにとどまらない。それは、題材や問題を選択し、それらを一貫した系統的なやり方で組織化し、さらに特定の技法、接近法や用語法を他の方法に対して優越させる。こうして、数学の教科書は、特定の研究方法を特権化することになる。数学の教科書を生み出すことは、何よりもまず、当該分野のきちんと定義された構造を与えることに関わっている。しかしこの構造は、一般には、著者に対して一通りのやり方で強制されるものではない。著者はその分野のはっきりとしたイメージを与えるために意味を持った選択をする。もしその教科書が成功を収め、影響力を持つならば、このイメージが当該分野の優越的なイメージとして広がっていくことになる。もし、著者が異なるイメージを選択していたり、あるいは、当該分野についての異なるイメージを伝える本がより大きな成功を収めていたならば、その分野のその後の発展はかなり異なるものとなった可能性もある。時には、ある教科書が打ち出したある分野の新しいイメージが、個々の結果におけるブレークスルーに劣らぬ革新を引き起こすこともある。

エウクレイデス『原論』は、もちろん、既存の知識から編纂され、しかも、二千年もの間数学(そればかりでなく)の形を決定づけるような、甚大なる影響力を持った学問のイメージを推進した教科書のパラダイム的な例である。ガウスの「数論研究』は、より明確に限定された目的を持ったものであるが、時に『原論』とも対比される第二の顕著な例である。近年では、ニコラ・ブルバキの「数学原論』が、20世紀の数学において同様の基本的な役割を果たそうとし、数学全体への衝撃を目指す遠大なる野心を持った、比類のない試みの産物である。それは、多くの傑出した数学者の努力を呼び込んだ集団的事業をなしており、1939年から1998年にかけて出版された多数の巻からなるシリーズとして世に出た(今日でも新版が出版されている)。その影響は数学界にあまねく広がっており、何十年にもわたって数学の研究・教育の進路を形成するのに貢献してきた。

プルバキの極端に厳格で特有の表現--そこからは図や外的動機づけは明確に排除されているーは、このグループのスタイルの刻印となっている。特定の問題、概念、記号法へのプルバキ流アプローチが広範に受け容れられていることは、その影響の広がりを物語っている。概念、および、理論は徹底的に公理的方法によって展開され、常に一般から特殊へと進行し、決して特殊な結果を一般化していくことはない。注目すべき一例を挙げれば、この書物で実数が導入されるのは、前もって代数と位相の重装備が準備された後で初めて可能になっていることである。

ブルバキ現象と『数学原論』に体現される表現法は、数学界において、好奇と興奮、畏敬、そして、しばしばというわけではないが、批判とあからさまな嫌悪が入り混じった形で迎えられた。『数学評論』誌からの次の一節は読者が直面する困難の的確な叙述である。

ニコラ・ブルバキによる本書を評価するという仕事にあたって、評者はアイガー北壁を登ることを求められているように感じている。表現は厳格で、巨大な一枚岩のようである。進むべき道筋のほとんどは、まったく動機の見えない幾多の定義に取り囲まれている。苦労して乗り越えねばならない演習問題の大群がいつも現れてくる。著者の他の多くの著作をひっきりなしに相互参照する覚悟ができていなければならない。進路が危険になり、今にも落下しそうになってきたとき、我々は、著者の該博な学識と権威を思い起こす。ブルバキは正しいに違いない。著者が与えるどんな些細な手がかりにもすがりつき、奈落に転落せずにすむようにと望みながら、ひたすら前進するしかない。

本稿は、『数学原論』執筆の計画の起源と発展について述べるためにある。それは、執筆に参加した数学者によって、しばしば、究極の数学教科書を編むこととみなされてきた。本稿はまず、このグループの起源とプロジェクトの初期の段階の叙述から始まる。そして、代数学と集合論にあてられた巻の執筆と、既存の教科書との関係に焦点をあてた叙述が続く。その先の項では、ブルバキによる数学のイメージにとって数学的構造という考えが中核をなしていること、また、それの『数学原論』の技術的内容との関係について論ずる。最後の項では、圏と関手の言語を数学を統一する一般言語として採用するかどうかという問題をめぐって、1950年代中頃に発生したグループ内での軋蝶について議論する。
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