未唯への手紙
未唯への手紙
アメリカ政府とイラク戦争 政権上層部
『シビリアンの戦争』より イラク戦争
行政府の中でもっとも政治が支配するところであるホワイトハウスでは、上層部やスタッフのほとんどが戦争推進派であった。省庁や委員会などの他の行政機構では、パウエルやオニールなどを除く長官たちの多くが戦争を支持し、彼らの補佐に当たる政治任用高官の多くが同様の攻撃的な政策志向を取った。NSCや国防総省の中の政治任用高官はイラク戦争やその計画過程を牽引する役割を担い、亡命イラク人のアフマド・チャラビの重用や極端な脱バース化計画など問題がある政策を生み出した。政権上層部に注目してアイデンティティを分析すると、今までどのようなキャリアを歩んできたかということと、政策過程で何を重んじるかという意識の違いが戦争への態度に反映されていたことが分かる。
チェイニー副大統領は、湾岸戦争時の国防長官時代とは打って変わって理念先行型ないし独断型の人間になったと評価されることが多い。その変化の背景には、副大統領としての彼に備わった民意を反映した正統性と権力があった。チェイニーはホワイトハウスのスタッフ、大統領次席補佐官、首席補佐官としてキャリアを積み、政治家として出馬して保守派の下院指導者になり、また国防長官に任命されるというホワイトハウスの政治任用高官・議会政治家の混合キャリアを歩んできた。副大統領になったチェイニーは、すでに自立した支持基盤と正統性をもつ政治家であったということができるだろう。そのうえ、チェイニーはブッシュの政治的対抗者ではなかったこと、両者の目的が一致しただけでなく、関係が親しかったことも彼の政策上の影響力を増大させただろう。
一方、ラムズフェルドは過去に大統領を目指したこともあるが、このときすでにブッシュの政治的競争者ではなかった。ラムズフェルドは若かりし頃、大統領首席補佐官として活躍し、国防長官も務めたが、製薬企業の経営者としても、人脈を活かして政府機関との折衝を有利に進めたり、大胆なコストカットを行ったりして成功を収めている。彼は政治的忠誠心や利害で動く、まさに政治家であった。しかも同輩が多数いる議員ではなくトップを求める傾向があり、彼は常に自分が大統領である場合に国防長官に求めるものを意識して行動していたといわれる。実際、これまで見てきた彼の行動や思考からは、大統領の推進する戦争が現実的に可能ならばそれをいかに実行するかという問題に集中すべきであって、戦うべきか否かという必要性の議論は重要ではないと考えていたことが窺える。同時に、彼はイラク戦争を彼の目的である米軍再編の推進力として利用することにもやぶさかではなかった。
政権内の反対者の人物背景を探ると、軍人を含めたプロフェッショナルとしての側面が強かったことが分かる。パウエルは軍のトップであった経験から指導者の座にも馴れた軍事プロフェッショナルであり、また党派色は薄く、強い倫理観を持っていた。オニール財務長官もインタビューで政治的忠誠心よりも大事なものがあると明かしているように、もともと政治家ではなく官界と経済界に属する人間であって、予算と経済のプロフェッショナルであり合理主義者である。彼は外交政策の中での優先度と財政規律の観点からイラク戦争に反対していた。外交・安保では夕力派に分類しうるアーミテージも、軍人としてベトナム戦争を戦い、国防総省の文官や顧問、政治任用の国務次官補や次官として引き続きベトナム戦争、中東、東アジア、欧州などに関わった長いプロフェッショナルのキャリアをもつ。アーミテージはパウエルよりも理念重視の政治活動を行ってきたが、政治任用官僚としての忠誠心はブッシュではなくパウエルに向かい、軍事キャリアに影響を受けた思考方法を持っていたことも確かである。
開戦にいたる政策過程途上で、パウエルより前にイラク戦争賛同へと態度を転換し、CIAの分析に圧力をかけたテネットには、情報機関の官僚としては十分なキャリアがない。彼は情報関係の議会スタッフとして政治任用官僚のキャリアを積んできたからである。テネットは九・一一後は、イラク戦争の必要性を信じていなかったにも拘わらず、しばしば大統領の命に応じて情報を柔軟に解釈した。テネットとしばしば対立し、また大統領へのアクセスをめぐっても競争心を露わにしていたといわれるライスの行動は、理念というより機会主義的な動機に基づくものだったと評価できるだろう。彼女は学者出身だが、大統領への個人的な忠誠心がずば抜けて高く、またスタンフォード大学でのキャリアの途中でも複数の大会社の相談役になるなど、キャリアは政治任用官僚そのものである。最後に、ウォルフォウィッツは自分の理念のために政治の世界で働く理念先行型の政治任用官僚だったが、彼の場合は目標がブッシュやチェイニーとたまたま一致していたといえるだろう。同じ政治任用官僚でも忠誠心のおきどころと、自らの理念と政治的な利害に基づく選好に対する優先順位によって、行動が異なることが分かる。
これらの特性・属性が重要な理由は、忠誠心の対象と政治的な利害の意識、コストを意識または実際に負担するか否かが、しばしば政治家・文官たちの政策に対する態度を左右していたからである。本書がこれまで見てきた政治指導者の開戦の動機は、コスト意識の低さとともに国内政治における権力闘争での利害得失に影響を受けたものであった。イラク戦争の事例からは、最高政治指導者の決断をより容易にし、支えた政権チームがいたことが分かった。彼らの開戦支持の理由を見れば、大統領と似た低いコスト意識と政治的利害に基づく思考過程を辿ったことが指摘できるだろう。一般に政治家、政治任用官僚は自分を任命したトップに対する忠誠心が高く、政治任用官僚は、自分の推進した政策が政権の路線と合っていた場合には、失敗しても必ずしもその報いを受けるとは限らない。逆に個人の政治的利益は政権の路線と合っていないと発揮されない。すでに政財官界の大物として個人的な政治資産があったオニールやパウエルは独立した思考を持つ傾向にあり、ブッシュに対する忠誠よりも自らの国家に対する責任感を優先する傾向を持っていた。しかし彼らは、戦争が始まる前に辞任に追い込まれるか、政権の中枢から外されることになった。
行政府の中でもっとも政治が支配するところであるホワイトハウスでは、上層部やスタッフのほとんどが戦争推進派であった。省庁や委員会などの他の行政機構では、パウエルやオニールなどを除く長官たちの多くが戦争を支持し、彼らの補佐に当たる政治任用高官の多くが同様の攻撃的な政策志向を取った。NSCや国防総省の中の政治任用高官はイラク戦争やその計画過程を牽引する役割を担い、亡命イラク人のアフマド・チャラビの重用や極端な脱バース化計画など問題がある政策を生み出した。政権上層部に注目してアイデンティティを分析すると、今までどのようなキャリアを歩んできたかということと、政策過程で何を重んじるかという意識の違いが戦争への態度に反映されていたことが分かる。
チェイニー副大統領は、湾岸戦争時の国防長官時代とは打って変わって理念先行型ないし独断型の人間になったと評価されることが多い。その変化の背景には、副大統領としての彼に備わった民意を反映した正統性と権力があった。チェイニーはホワイトハウスのスタッフ、大統領次席補佐官、首席補佐官としてキャリアを積み、政治家として出馬して保守派の下院指導者になり、また国防長官に任命されるというホワイトハウスの政治任用高官・議会政治家の混合キャリアを歩んできた。副大統領になったチェイニーは、すでに自立した支持基盤と正統性をもつ政治家であったということができるだろう。そのうえ、チェイニーはブッシュの政治的対抗者ではなかったこと、両者の目的が一致しただけでなく、関係が親しかったことも彼の政策上の影響力を増大させただろう。
一方、ラムズフェルドは過去に大統領を目指したこともあるが、このときすでにブッシュの政治的競争者ではなかった。ラムズフェルドは若かりし頃、大統領首席補佐官として活躍し、国防長官も務めたが、製薬企業の経営者としても、人脈を活かして政府機関との折衝を有利に進めたり、大胆なコストカットを行ったりして成功を収めている。彼は政治的忠誠心や利害で動く、まさに政治家であった。しかも同輩が多数いる議員ではなくトップを求める傾向があり、彼は常に自分が大統領である場合に国防長官に求めるものを意識して行動していたといわれる。実際、これまで見てきた彼の行動や思考からは、大統領の推進する戦争が現実的に可能ならばそれをいかに実行するかという問題に集中すべきであって、戦うべきか否かという必要性の議論は重要ではないと考えていたことが窺える。同時に、彼はイラク戦争を彼の目的である米軍再編の推進力として利用することにもやぶさかではなかった。
政権内の反対者の人物背景を探ると、軍人を含めたプロフェッショナルとしての側面が強かったことが分かる。パウエルは軍のトップであった経験から指導者の座にも馴れた軍事プロフェッショナルであり、また党派色は薄く、強い倫理観を持っていた。オニール財務長官もインタビューで政治的忠誠心よりも大事なものがあると明かしているように、もともと政治家ではなく官界と経済界に属する人間であって、予算と経済のプロフェッショナルであり合理主義者である。彼は外交政策の中での優先度と財政規律の観点からイラク戦争に反対していた。外交・安保では夕力派に分類しうるアーミテージも、軍人としてベトナム戦争を戦い、国防総省の文官や顧問、政治任用の国務次官補や次官として引き続きベトナム戦争、中東、東アジア、欧州などに関わった長いプロフェッショナルのキャリアをもつ。アーミテージはパウエルよりも理念重視の政治活動を行ってきたが、政治任用官僚としての忠誠心はブッシュではなくパウエルに向かい、軍事キャリアに影響を受けた思考方法を持っていたことも確かである。
開戦にいたる政策過程途上で、パウエルより前にイラク戦争賛同へと態度を転換し、CIAの分析に圧力をかけたテネットには、情報機関の官僚としては十分なキャリアがない。彼は情報関係の議会スタッフとして政治任用官僚のキャリアを積んできたからである。テネットは九・一一後は、イラク戦争の必要性を信じていなかったにも拘わらず、しばしば大統領の命に応じて情報を柔軟に解釈した。テネットとしばしば対立し、また大統領へのアクセスをめぐっても競争心を露わにしていたといわれるライスの行動は、理念というより機会主義的な動機に基づくものだったと評価できるだろう。彼女は学者出身だが、大統領への個人的な忠誠心がずば抜けて高く、またスタンフォード大学でのキャリアの途中でも複数の大会社の相談役になるなど、キャリアは政治任用官僚そのものである。最後に、ウォルフォウィッツは自分の理念のために政治の世界で働く理念先行型の政治任用官僚だったが、彼の場合は目標がブッシュやチェイニーとたまたま一致していたといえるだろう。同じ政治任用官僚でも忠誠心のおきどころと、自らの理念と政治的な利害に基づく選好に対する優先順位によって、行動が異なることが分かる。
これらの特性・属性が重要な理由は、忠誠心の対象と政治的な利害の意識、コストを意識または実際に負担するか否かが、しばしば政治家・文官たちの政策に対する態度を左右していたからである。本書がこれまで見てきた政治指導者の開戦の動機は、コスト意識の低さとともに国内政治における権力闘争での利害得失に影響を受けたものであった。イラク戦争の事例からは、最高政治指導者の決断をより容易にし、支えた政権チームがいたことが分かった。彼らの開戦支持の理由を見れば、大統領と似た低いコスト意識と政治的利害に基づく思考過程を辿ったことが指摘できるだろう。一般に政治家、政治任用官僚は自分を任命したトップに対する忠誠心が高く、政治任用官僚は、自分の推進した政策が政権の路線と合っていた場合には、失敗しても必ずしもその報いを受けるとは限らない。逆に個人の政治的利益は政権の路線と合っていないと発揮されない。すでに政財官界の大物として個人的な政治資産があったオニールやパウエルは独立した思考を持つ傾向にあり、ブッシュに対する忠誠よりも自らの国家に対する責任感を優先する傾向を持っていた。しかし彼らは、戦争が始まる前に辞任に追い込まれるか、政権の中枢から外されることになった。
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