本の形はバラバラ
なぜ、こんなに本は読みにくい。先史時代の編年表は横になっていて、重たい本です。目が行かない。
電子書籍をキンドルオアシスに3500冊入れ込んだが、バラバラ感はまるでない。
日本に危機感はない
社会の問題点は何か。今は危機感がないこと。その危機感は何? それは生活でしょう。生活からすると消費者という位置づけから生活者に持っていかないと行けない。「お客様は神様」感覚に陥っている。人口の問題とか移民の問題などが生活につながっていない。一番、やばいのに日本だけは別と思っている。
日本で言うところの地球環境問題。環境社会をどう作り上げていくのか。最終的には、環境社会のイメージ作りです。そのための危機感が10年前に比べてもなくなっている。問題は深刻になっているのに気づかないふりをしている。新車の推移を見れば歴然です。
企業は儲かることしかやれない。NPOは職業としてしか考えていない。政治家は元々考えていない。誰がどういう風に考えているのか。誰も考えていない。では、生活は良くなっているのか。日本という狭い範囲では暮らしていけるけど、世界の範囲からすると暮らしていけない。もっと、大きな歴史的な変化も起きている。
3.1「社会の問題」
それらに全て、目をつぶっている。社会編の課題は何? 特に地域での課題は何? それをもっと絞り込まないといけない。
といっても、あまり拡げてもしょうがないから、解決策から見ていく方が一番いいんでしょう。ウィトゲンシュタイン風に言うと、解決できない問題は問題ではない。全部を考えたいけど、やはり、言葉にできないものはないと同じというのは正しいんでしょう。自分の世界の全てで考える。言葉にできるものが自分の世界。
では、それは狭い範囲なのか。そうではないでしょう。「複数性」ではないけど、世界全体も宇宙全体も一個人からすると、生まれてきた理由からすると、社会の問題は大きな問題です。そういう風に作られているんだから。それに気づくかどうかだけの話です。
社会編はコンテンツのところをきっちり見ていくことです。今までの部分は全て棄てるつもりで、もう一度考え直すための準備です。あくまでもシナリオです。革命を起こすことだけではない。
人間関係の問題
特に、人間の問題というのは、かなりの部分は問題ではない。無視すればいいんです。自分の内なる世界で考えることが重要です。そこから外なる世界を見ていかないと。会社にしても、その辺の考え方をスポイルしている。それで彼らの言うとおりになっている。断固戦えとは言わないけど、しっかり考えることが必要です。ノーはノーです。
図書館員の役割
図書館にしても、本を大事にするのが図書館員の役割ではない。米国図書館学会ではないけど、手的自由をいかに展開するか。それによって、何を起こしうるのかというところまで、それぞれが持ってこないといけない。一人ひとりが考えることです。
本をチェックして、濡れているのを指摘する前にやるべきことは多い。」誰がどういう本を読むのか、本は元々何なのか。本は今のカタチでないといけないのか。図書館という場をどう使っていくのか。色々考えるところは多いけど、結局、「お仕事」になっています。
その管理者はクレーム対応だけをやろうとします。本来の目的とか使命を考えない。済めば終わりでは、販売店の管理者と同じです。本来の目的に中に、個人個人が生まれてきた目的を持ってこないと哀しいですね。
個人の覚醒が先
今回のロジックは、個人の覚醒が先に言っています。当初にはなかったけど、社会のベースがハイアラキーではダメでしょうということで変わってきた。資本主義もハイアラキーでは持ちこたえることはできない。
一人ひとりが考えること。これは言うのは簡単だけど、今のようにハイアラキーでは、上が考えて、下はそれに従うカタチになる。専制政治的な民主主義になっています。本来の民主主義からすると、憲法にあるように。個人個人が自分の目的をハッキリさせること、それもなるべき根源的な、本質的な目的に。
バラバラな社会を統合
そうなってくると、社会はバラバラになってしまう。それを嫌う人は統制に入る。統制ではなく、統合にしていく。
バラバラを活かしながら、社会をどのように進化させていくのか。それをそれぞれの人が本気で考えて、やっていく世界をどう作っていくのか。
とりあえず、社会ではそのための場をどう作ったらいいのかがポイントになります。そこで中間場が出てきます。
なぜ、こんなに本は読みにくい。先史時代の編年表は横になっていて、重たい本です。目が行かない。
電子書籍をキンドルオアシスに3500冊入れ込んだが、バラバラ感はまるでない。
日本に危機感はない
社会の問題点は何か。今は危機感がないこと。その危機感は何? それは生活でしょう。生活からすると消費者という位置づけから生活者に持っていかないと行けない。「お客様は神様」感覚に陥っている。人口の問題とか移民の問題などが生活につながっていない。一番、やばいのに日本だけは別と思っている。
日本で言うところの地球環境問題。環境社会をどう作り上げていくのか。最終的には、環境社会のイメージ作りです。そのための危機感が10年前に比べてもなくなっている。問題は深刻になっているのに気づかないふりをしている。新車の推移を見れば歴然です。
企業は儲かることしかやれない。NPOは職業としてしか考えていない。政治家は元々考えていない。誰がどういう風に考えているのか。誰も考えていない。では、生活は良くなっているのか。日本という狭い範囲では暮らしていけるけど、世界の範囲からすると暮らしていけない。もっと、大きな歴史的な変化も起きている。
3.1「社会の問題」
それらに全て、目をつぶっている。社会編の課題は何? 特に地域での課題は何? それをもっと絞り込まないといけない。
といっても、あまり拡げてもしょうがないから、解決策から見ていく方が一番いいんでしょう。ウィトゲンシュタイン風に言うと、解決できない問題は問題ではない。全部を考えたいけど、やはり、言葉にできないものはないと同じというのは正しいんでしょう。自分の世界の全てで考える。言葉にできるものが自分の世界。
では、それは狭い範囲なのか。そうではないでしょう。「複数性」ではないけど、世界全体も宇宙全体も一個人からすると、生まれてきた理由からすると、社会の問題は大きな問題です。そういう風に作られているんだから。それに気づくかどうかだけの話です。
社会編はコンテンツのところをきっちり見ていくことです。今までの部分は全て棄てるつもりで、もう一度考え直すための準備です。あくまでもシナリオです。革命を起こすことだけではない。
人間関係の問題
特に、人間の問題というのは、かなりの部分は問題ではない。無視すればいいんです。自分の内なる世界で考えることが重要です。そこから外なる世界を見ていかないと。会社にしても、その辺の考え方をスポイルしている。それで彼らの言うとおりになっている。断固戦えとは言わないけど、しっかり考えることが必要です。ノーはノーです。
図書館員の役割
図書館にしても、本を大事にするのが図書館員の役割ではない。米国図書館学会ではないけど、手的自由をいかに展開するか。それによって、何を起こしうるのかというところまで、それぞれが持ってこないといけない。一人ひとりが考えることです。
本をチェックして、濡れているのを指摘する前にやるべきことは多い。」誰がどういう本を読むのか、本は元々何なのか。本は今のカタチでないといけないのか。図書館という場をどう使っていくのか。色々考えるところは多いけど、結局、「お仕事」になっています。
その管理者はクレーム対応だけをやろうとします。本来の目的とか使命を考えない。済めば終わりでは、販売店の管理者と同じです。本来の目的に中に、個人個人が生まれてきた目的を持ってこないと哀しいですね。
個人の覚醒が先
今回のロジックは、個人の覚醒が先に言っています。当初にはなかったけど、社会のベースがハイアラキーではダメでしょうということで変わってきた。資本主義もハイアラキーでは持ちこたえることはできない。
一人ひとりが考えること。これは言うのは簡単だけど、今のようにハイアラキーでは、上が考えて、下はそれに従うカタチになる。専制政治的な民主主義になっています。本来の民主主義からすると、憲法にあるように。個人個人が自分の目的をハッキリさせること、それもなるべき根源的な、本質的な目的に。
バラバラな社会を統合
そうなってくると、社会はバラバラになってしまう。それを嫌う人は統制に入る。統制ではなく、統合にしていく。
バラバラを活かしながら、社会をどのように進化させていくのか。それをそれぞれの人が本気で考えて、やっていく世界をどう作っていくのか。
とりあえず、社会ではそのための場をどう作ったらいいのかがポイントになります。そこで中間場が出てきます。
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