goo

多元社会と一党体制のせめぎ合い

『「中国共産党」論』より 揺れる中国--変わる社会と変わりにくい体制 中国は本当に民主化の道を辿るか

以上に示してきた社会状況の変化は、まさにダイナミックに変容する社会と、変容を認めつつも体制安定を懸命に図ろうとする国家とが厳しい緊張関係にあることを示している。中国語流に表現するならば、生きるために生活の権利を主張しようとする民衆の声(=維権)と社会安定を最優先しようとする権力当局の主張(=維穏)の確執というふうに見ることができるだろう。

体制移行論的に言うならば、格差や腐敗などの深刻化、民衆暴動の頻発、権利意識を持った市民の台頭など、まさに民主化に向けての移行が進み始めたと言えるかもしれない。

いみじくも中国内政の専門家、ケビン・オブライアンたちが主張しているロジックである。すなわち市民・住民暴動が普遍化する事態となれば、地方のガバナンス機能は麻揮し、通常の政策執行も困難となる。その場合、党中央は国家の類廃を防ぐために多党制の導入を含むドラスティックな改革を実施せざるを得なくなる。

また、大規模事件が増加することになれば、中央が民衆の要望に応え切れない局面も徐々に増加することになる。それにつれて、それまで断片的であった抗議の矛先は、徐々に中央へと結集していくことになるだろう、というものである。

このロジックは十分すぎるほど理解できる。しかし、私はこのような解釈をとらない。その主な理由は三つある。

一つは、共産党当局の批判勢力に対する徹底した弾圧、特に分断統治である。共産党は中国の歴史の中でしばしば体制を転覆した農民暴動を、そして冷戦崩壊の過程でのソ連や東欧諸国の共産党崩壊を徹底的に研究し、いかに生き残るかを熟慮してきた。天安門事件では党内指導部が分裂し、危うく反体制の学生や知識人と党内の分裂勢力が結合するところであった。党当局は、その後はこの経験も十分に生かし、社会の不満分子になりそうな貧困層、中間層、西側の影響を受けた市民層、知識人、党内傍流勢力などが結びついていかないよう細かく注意し、それぞれに対してそれぞれの「飴と鞭」を使い分け、不穏な動きは「芽のうちに摘む」ことをしっかり行ってきた。

一九九九年の法輪功の弾圧、中国民主党結党の動きの弾圧、チベット・新疆における少数民族の弾圧、その後の劉暁波、胡佳、浦志強ら開明的学者・弁護士・NGO関係リーダーら知識人の弾圧、ソーシャルメディアの広がりに対する分断、こうした動きは裾野を広げながら末端まで行き渡っている。

一般的に言えば、社会の様々な要求や意見が噴出してきたことで、安定は揺らいでおり、従来のままの上からのハードな統治による社会安定の確保は困難になってきている。しかし、実にきめ細かい抑圧のネットワークの構築によって、統治のメカニズムを強化しているのである。

その証拠に、治安維持に充てる公共安全予算の金額はここ数年大幅な増加を遂げている。例えば、二〇〇八年に公共安全の総予算は四〇九七億元であったが、二○一〇年には五一四〇億元、二○一二年は七〇一八億元、そして二〇一五年は一兆五四一九億元にまで達し、国防費予算ハハハ六億元を上回る数値となっている(表3-1)。

二つには、執政政党としての共産党自身の「自己脱皮」である。共産党は言うまでもなく、もともと共産主義イデオロギーを柱とした革命・階級政党であった。しかしプラグマティストであった小平とその末裔は、共産党の看板は外さないままでほぼ見事に自らを「換骨奪胎」してしまった。「社会主義市場経済論」(国家体制としての社会主義を維持しつつ、市場経済の方式を導入するための方針)は「党が指導する市場経済主義」と言い換えられるだろうし、「三つの代表」論は長く主張してきた階級政党としての共産党の位置づけを放棄し国民政党への転換を図るものであった。

これにより資本家、各界のエリートたちの入党は容易になった。そして、共産主義イデオロギーは愛国ナショナリズムに取って代わられた。共産党は実質的な意味ではこれまでの自分自身を自ら解体してしまったと言ってよいだろう。それは言い換えるなら、中国が歩んで来た、またこれから歩む文脈の中で求められるニーズに合わせた適応とも言えるものかもしれない。その意味では共産党はこれからも社会の変化に応じて次々と「自己脱皮」していく可能性がある。

三つには、本章で中国の政治体制のキーワードとしてきた「カスケード型権威主義体制」に関わることである。「カスケード型権威主義体制」からの移行は、政治体制全体が同じ内容とテンポで変容するのではなく、不均等な形で変容していくと見るべきだろう。

共産党が自らを「換骨奪胎」したように地方政権も客観的条件と主体的力量が備わってくれば、共産党体制の堅持を主張しながら「換骨奪胎」して実質的な体制変容を行うかもしれない。一つには経済開発で行ったような実験区(試点)を政治でも応用することが考えられる。

現在上海で試みられている「自由貿易区」は金融・貿易の一層の自由化という面と同時に、行政改革、法制改革、人事改革、公共サービス政府の建設といった面があり、政治体制改革につながる可能性を持っている。このように社会と国家の緊張は決して緩やかにはなっていないが、しかし、社会安定を確保しながら、段階的に社会と国家が(ーモニーをとれるような新たな枠組みづくりが模索されていることも確かなのである。

以上の理由から、少なくとも習近平時代においては、ドラスティックな体制の移行、及び体制移行を前提とした多党制の導入の可能性はほとんどないと考えられる。ただ、党による安定を前提とした、制限つきの「民主化」はありえるかもしれない。党内民主化、法に基づく富の公平な分配、社会のニーズ・民衆の声を政策に反映させるメカニズムの構築などに限定された民主化である。

こうした中国の民主化のゆくえについては第五章に譲るが、ここまでの議論からも明らかなように、階層、生活、価値などの多様化とともに実質的に進んでいる多元社会と一党体制とのジレンマをいかに解決していくかが、いずれにしても今後は大きく問われてくるだろう。すなわち社会と国家の間の緊張をどう処理していくのかという問題である。

ひとまず目下の共産党には「エリー卜の党」、つまり既得権益集団の利益代弁の党に化した共産党をどのようにして真に「勤労者・大衆・市民の意思を反映できる党」に変えていくのかということが求められているのではないだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 中国共産党 ... 二泊三日シミ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。