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人間への関心「私が私自身にとり謎である」 アウグスティヌス

『アウグスティヌス』より アウグスティヌスの思想の特色

まず、アウグスティヌスは、人間に対して大きな関心を抱いている思想家である。それは何故であろうか。彼は言う、「私は人間である。人間に関わるいかなることも他人ごととは思えない。」(「手紙」一五五)

アウグスティヌスは、自分自身が人間であるから、その人間に関心を抱くのであるが、それは、自分自身に関心を抱くことに外ならない、と言えよう。では、何故、彼は人間である自分に関心を抱くのであろうか。

それについて彼は、その思いを次のように述べている。「人間が一番不思議である」(『神の国』第一〇巻第1章2)。さらに彼は次のように率直に告白している。「私が私自身にとり謎である」(『告白録』第一〇巻第33章50)。

では、アウグスティヌスは、私が謎である、と何故思うのであろうか。この点に関しては、彼は、その著作の中で、特に自伝である『告白録』のなかで、その体験を、またその思いを、よく記している。たとえば、悪を悪と知りながら、その悪い行いをして楽しんでいる自分、繰り返しこれではダメだ、と思いながら、その悪い習慣から抜け出せない自分、愛したいと思いながら、愛せない自分、など、つまり、自分で意志しながら、その自分で意志していることが出来ない自分の状態。現実の自分を見つめていると、このような謎に満ちていることにアウグスティヌスは気づき、実際悩んだのであった。それで、自分自身に、人間に大きな関心を抱き、それについて実際的にも、理論的にも探究し、取り組み続けている。

ところが、多くの人は、この自分についてあまり関心を抱いていないし、また自分に注目もしないで生きている。そこでアウグスティヌスは、人間に、自分に関心を向けることの大切さを知ってもらうために、次のような勧めをしている。

「人々は外へ出かけて行き、山の高い嶺に、海の波浪に、河の悠長なる流れに、海流の循環に、星辰の運行に驚嘆しますが、しかし自分自身を見過ごし、驚嘆しません」(『告白録』第一〇巻第8章15)。この箇所は、イタリアのヒューマニスト、ペトラルカが、南仏のヴァンドゥー山に登ったおり、読み、感動した、と言われている。

アウグスティヌスは「人間は、自分は謎である」と思い、それに気づき、この謎を解こうと、一生にわたり人間の謎と取り組み続けた。その過程で彼の人間に関する思想が形成されていった。人間への関心の大きさが、彼の思想の第一の特色である。

次に、アウグスティヌスは、人間に関心を抱くときに、また人間としての自分を問題にする時に、その外面ではなくて、その内面に目を向けることを重視した。何故なら、人間にとり、その人間を問題とするときに、その外面よりも内面が重要である、と考えたからである。では、人間の内面を見つめるとは、どういうことか。それは、アウグスティヌスにとっては、人間のうちにある心を問題にすることであった。何故か。それは、人間はその心は、人間の内奥にあり、人格の中心、ないしは基盤をなしている。したがって人間を問題にするとは、その心を、つまりその内面を見つめること、内省を通して自己を問題にすることが大切である。それが人間としての本当の自分を問題にすることである。彼は自分の在り方を告白するにさいして、自分と心の関係を次のように捉えて述べている。

「わたしがいかなる者であるにせよ、わたしが私であるその場所、わたしの心を……、まさにその心の中において私が何者であるかを告白する。」(『告白録』第一〇巻第3章4)
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