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ハンナ・アーレントの思考への忠誠

『言葉はこうして生き残った』より ハンナ・アーレント ⇒ またしても、アーレントです。生き方が知的です。思考への忠誠を貫いている。

映画の中では原稿を前にしたショーンが、「さあ始めようか」とおもむろにメガネをかけ、〝腕まくり〟します。「ニューヨーカー」の伝統はといえば、書き手と編集者が共同で、細やかに、忍耐強く、慎重に原稿内容をチェックし、「文章の明晰さ、論理性、密度、文法、構成、反復語、英語の言葉の美しさへの追求」(同)を徹底的に行うところです。

とんでもない集中力と、恐ろしく時間を要するつらいプロセスです。けれどもこの作業を経ることによって、原稿は「見違えるほど素晴らしいものに」変貌し、「どの書き手も必ず成長する」と信じられてきました。今回もまた、その伝統の流儀が踏襲されました。

ところが、何週間にもわたって毎日その作業を続けたショーンは、「いつもへとへとに疲れきってアパートメントから出てきた」と、「ニューヨーカー」のスタッフ・ライターであり、ショーンとは四十年以上の愛人関係にあったリリアン・ロスは描いています。それというのも、「彼女と仕事をするのは非常に難しい、英語があまり上手ではないからね」というのです。

ここまで烈しい衝突場面は、映画の中には登場しません。けれども、アーレントならばさもありなん、という光景です。この記事の執筆、掲載がいかに困難で、かつ命がけの真剣勝負であったかを如実に物語るエピソードです。

「ニューヨーカー」という雑誌は、都会的で、お洒落な高級誌のイメージが強くありますが、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』(法政大学出版局)、トルーマン・カポーティの『冷血』(新潮文庫)、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(新潮文庫)といった作品は、すべてショーン編集長時代の同誌に掲載されました。ジャーナリスティックな意味でも時代を画する仕事が、ここから生まれていることがよくわかります。

ショーン氏は、「ニューヨーカー」の三つの原則を次のように語っています。

 第一にジャーナリスティックであること、第二に文芸的であること、そして第三に美的である

以上の発言は、一九八六年十一月二十六日、当時七十九歳だったショーン氏が、雑誌「東京人」(「ニューヨーカー」の向こうを張って創刊されました」の一周年記念インタビューに応じた時のものです。「巷間の噂では表に出ることを極端に嫌い、アメリカのジャーナリズムでもインタビューに成功した者はない」というショーン氏でしたが、「そうした事情なら、私は喜んでお会いしよう」と言って、創刊一周年のお祝いに花を添えてくれたのです。

さらにこのインタビューでは、ハンナ・アーレントの「考えること(Thinking)」を掲載した時のエピソードとして、「私は、たぶんそれが多くの読者を惹きつけることなどはあるまいと思いました。だけど、それをなにがなんでも出したいと思いました。なぜなら、それはじつにすばらしいものだったからです。そうすることが、一番読者を尊敬することになると思ったのです」と語っています。その一方で、「今では殆どの人が彼女のことを尊重しなくなりました。彼女が亡くなって以来、誰も彼女のことを話題にしなくなってしまいました」、「ハンナ・アレントのような人物は、もう現われなくなりましたね」とも述べています。

ショーン氏の中で終生、アーレントが知識人の理想として生き続けていた様子がよく窺えます。

さて、映画のハイライト・シーンは、その「ニューヨーカー」の記事が非難の渦を巻き起こし、すっかり孤立したアーレントが学生たちに向かって行う、最後の八分間のスピーチです。

 「あのアイヒマンをごく普通の、ありふれた人間だと主張して、アーレントは彼を擁護した」「ユダヤ人指導者の責任を指弾し、ナチに協力しない別の選択肢があったはずだと言っている」「ュダヤ同胞への理解と思いやりを欠いている」等々--。親しかった友から非難され、罵冒雑言、誹膀中傷の言葉を投げつけられ、大学からは退職を勧告されます。それでも「絶対に辞めません」と峻拒したアーレントは教壇に立ち、学生を前にして毅然と反論を試みます。それが八分間の渾身のスピーチです。

  「彼のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。そこに罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。……〝自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ〟と」

  「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名づけました」

  「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。……〝思考の嵐〟がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」

こう述べて、アーレントは講義を締め括ります。学生たちからは拍手が湧き起こります。一方、ドイツ時代からの旧友には「期待してたんだ。君に分別が残っていることをね。だが君は変わってない。ハンナ、君は傲慢な人だ」「ユダヤのことを何もわかってない。だから裁判も哲学論文にしてしまう」「今日で、ハイデガーの愛弟子とはお別れだ」と訣別の言葉を告げられます。

こうして周囲の人が離れ、長年の盟友にさえ冷たく背を向けられます。彼女にとって「思考」の代償はあまりに大きかったと言わざるを得ません。傷つき、悲しみをかみしめながら、それでも彼女は信念を貫きます。自らもユダヤ人であり、あの時代を生きたドイツ人であるアーレントにとって、その生の証である自分自身のかけがえのない思考は、決して手放すことのできないものでした。

「こうなると分かってても書いたか?」と夫が問います。彼女は答えます。「ええ、記事は書いたわ。でも友達は選ぶべきだった」。

映画は、この彼女の揺るぎなき姿--「考えるという、この人間に与えられた力ヘの信頼」を描いて感動的です。「思考不能」だったアイヒマンとは対照的に、非難にさらされ、孤立に追い込まれても、思考への忠誠を貫く彼女の意志的な横顔には、バルバラ・スコヴアという女優なくしてはあり得ないリアリティを感じます。

見終えて夜の町に一歩踏み出した時、ひとつの場面がよみがえってきました。騒動が引き起こされることをほぼ確信していたショーン編集長が、批判を呼び起こしそうな問題の箇所について、アーレントにただします。「一つの解釈だろ」と編集長。「事実だわ」と突っぱねるアーレント。そこでショーン氏は口をつぐみます。その時の、彼の胸のうちを想像します。

「編集者の自由」という先述の言葉に、おそらく尽きるのだろうと思います。書き手たちが「可能なかぎり自分自身でありうるようにしむける義務がある」というひと言です。そこで自らを抑制し、踏みとどまることが、身についた職業倫理--「編集者の自由」だと考えたのでしょう。

もしこれをいまの日本に置き換えたとするならば、どういうケースにあたるのでしょう。誰の、どんな思考がそれに相当するのか。また、この時代の〝アイヒマン〟はどこに潜んでいるのだろうか。駅の構内の人の行きかいが、ひどく現実感をともなわない映像のように流れていました。
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