Sunday Song Book #1168

2015年03月01日 | Sunday Song Book

2015年03月01日プレイリスト
「ジミー・ウエッブ特集 Part 1」
1. TAKE MARION FOR EXAMPLE / MILLIE RODGERS '64
2. I KEEP ON KEEPING ON / THE CONTESSAS '65
3. THIS TIME LAST SUMMER / DANNY DAY '65
4. UP,UP & AWAY / THE 5TH DIMENSION '67
5. BY THE TIME I GET TO PHOENIX / GLEN CAMPBELL '67
6. WORST THAT COULD HAPPEN / THE BROOKLYN BRIDGE '68
7. MAcARTHUR PARK / RICHARD HARRIS '68
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■内容の一部を抜粋
・近況
先週はクルマの免許の更新に行ってきたという達郎さん。優良ドライバーなのでこれから5年間更新しなくてもいいそうだ。「次、書き換えるときは67かよ! ちょっとぞっとしたりしましたけれど。それでも、まぁ眼鏡使用でもなく、なんとか迎えられておりますが。免許書き換えのとき、そういうことしみじみ思ったりいたしますが」と達郎さん。

・ジミー・ウエッブ特集 Part 1
番組ではこれまでソングライター特集をバリー・マンを筆頭にキャロル・キング、リーバー/ストーラー、ブルース・ジョンストン、デイヴィッド・ゲイツ、トム・ベルにギャンブル/ハフとR&B関係までたくさんやってきた。昔からやってみたかったのがジミー・ウェッブ。達郎さんの青春時代に一世を風靡したソングライターで、その後、シンガー・ソングライターに転身して自分の作品もたくさん出している。ジミー・ウェッブの特集をずーっとやってみたかったそうだが、この二年間忙しかったのと、ジミー・ウェッブは作品がものすごく多くてチェックしきれない、そして昔のものが手に入りにくいという難しい人で、ずいぶん長いことうーうーやっていたが、ようやく機会が訪れたのだとか。今日から三週間の予定で今週はそのパート1。'60年代の中期から活動をはじめて今でも現役、今はどちらかというとシンガー・ソングライターとしてのスタンスが大きい人だが、'67、8、9は文字通り一世を風靡したソングライターだった。綺羅星のごときヒット曲が並ぶ時代を中心に'60年代から'70年代にかけての作品を中心に三週間特集する。
達郎さんが高校に入る頃から、当時はジム・ウェッブといっていたが、FENとかそういうところから流れ出して、「なんて素晴らしい作家なんだろう」と高校から二十歳過ぎるまで、その頃はまだソングライターだったのでジミー・ウェッブの書いた作品を一所懸命レコードを集めたものだった。そういった自分の記憶と自分史の中から見たジミー・ウェッブの作品の素晴らしさを今週から三週間の予定でお届けする、と達郎さん。今週は最初期の隠れた作品から、ヒットが出るようになって、超一流の作家になってゆくその過程、来週はヒット・ソングの主だった曲、再来週はレアものと、シンガー・ソングライターになってからのソロ作品と重要なものという予定。

・ジミー・ウェッブ
1946年8月15日オクラホマ生まれ、現在68歳。1964年に家族が南カリフォルニアに移住して、1965年に大学に入学。お母さんが亡くなった後、教会の宣教師のお父さんはオクラホマに戻り、ひとりジミー・ウェッブはカリフォルニアに残って、レコーディング・スタジオの雑用から、モータウンの出版社の作曲契約をして曲を書いたが、なかなか芽が出なかった。十代の後期から二十代前半は苦難の下積み生活を経ている。

・TAKE MARION FOR EXAMPLE
最初にモータウンの出版社と契約して、自分で初めて書いた曲で印税をもらったのがシュープリームスのクリスマス・アルバム『MERRY CHRISTMAS』に入ってる「MY CHRISTMAS TREE」だとジミー・ウェッブ本人はインタビューで語っている。1965年のことだというが、実はその前に1964年に発表された曲というものがある。この曲が一番最初にレコーディングされた曲ではないかと、最近の研究でいわれている。全くヒットしなかったしシングルのB面だったので本人はあまり語りたがらないのかもしれない。ミリー・ロジャースという女性シンガーが歌っている「TAKE MARION FOR EXAMPLE」。作詞作曲ジム・ウェッブ。

ジミー・ウェッブが最初に書いた作品「MY CHRISTMAS TREE」はまた再来週オンエア予定。生まれて初めて350ドルという印税をもらったという話。

・I KEEP ON KEEPING ON
4人組の白人ヴォーカル・グループ、ザ・コンテスサッスの1965年のシングルはA面B面ともジミー・ウェッブの作詞作曲、アレンジ、コンダクトと一人で全部やっている。1965年の「I KEEP ON KEEPING ON」。聴いた限りでは先ほどのミリー・ロジャースと声が似ている気がするが本人かどうかはわからない。

・THIS TIME LAST SUMMER
1965年のダニー・デイという男性シンガーの「THIS TIME LAST SUMMER」。この曲はフォー・トップスの「BABY I NEED YOUR LOVING」という感じのする曲。

なかなか芽が出なくて本人自身のインタビューでホームレス同然のような生活をしていたときに拾ってくれたのがジョニー・リヴァースだったとか。ジョニー・リヴァース自身もひじょうに苦労してスターの座を手に入れた人なので人を見る目がある。ジミー・ウェッブの作る作品が気に入って一曲採用した。当時、ジョニー・リヴァースはそれまでのロックンロール・シンガー、クラブ・シンガーから脱皮を計っていて、1965年に作ったアルバムが『CHANGES』、要するに路線変更でスタンダードをたくさん歌ってる中に一曲取り上げたのがジミー・ウェッブの「BY THE TIME I GET TO PHOENIX」。もともとモータウンの出版社で働いてるときにポール・ピータースンのために作ったが、はっきりしたフックがないということでボツになっていた。この曲を気に入ったジミー・ロジャースがジミー・ウェッブの才能に目をつけて自分のところに連れてきて、いろいろな曲を書かせたり、持ってる曲を使ってやったりした。

・UP,UP & AWAY
フィフス・デイメンションは黒人5人組のヴォーカル・グループで、もともとはバーサタイルというグループでジミー・ウェッブがモータウンの出版社で働いている時代からの知り合い。フィフス・ディメンションをプロデュースしていたのがジョニー・リヴァースで、エンジニアリングをしていたボーンズ・ハウがオーケストレーションをジミー・ウェッブにアドバイスして、全面的に育ててもらってできた作品が「UP,UP & AWAY」(邦題「ビートでジャンプ」)。1967年、全米7位でフィフス・ディメンションがブレイク。その年のグラミーまで獲ってしまう。

「UP,UP & AWAY」のプロデュースはジョニー・リヴァースとマーク・ゴードン。モータウンのL.A.の出版部門はマーク・ゴードンが代表だった。フィフス・ディメンションのマネージャーもやっていた人なので仲立ちの役割。ここにルー・アドラーが関わってくる。ひじょうにラッキーな拾われ方をしてジミー・ウェッブは人気作家となる。「UP,UP & AWAY」は大学時代に友人と気球の映画を作ろうとしていたときに作った曲。映画自体はボツったそうだ。

・BY THE TIME I GET TO PHOENIX
1966年の暮にジョニー・リヴァースのアルバム『CHANGES』の一曲目として「BY THE TIME I GET TO PHOENIX」は取り上げられたが、この曲をグレン・キャンベルがカバーした。1967年、全米27位。この曲もまたグラミーを獲り、二年連続してグラミーを獲ってしまい、いきなり時代の寵児にジミー・ウェッブが躍りでる。
「BY THE TIME I GET TO PHOENIX」はオクラホマ生まれのジム・ウェッブがガール・フレンドと別れた体験をもとにして、フェニックス、アルバカーキー、オクラホマと帰って行く時間経過とともに、彼女の行動を想像するという歌。ストーリーテリングの歌で、中三の山下達郎少年はひじょうに感動したという。アメリカのソングライターは作詞家と作曲家がチームを組んでソングライティングするのがほとんどだか、ジミー・ウェッブは作詞作曲するソングライターで歌詞も曲も優れているひじょうに珍しい作家。ちなみに作詞作曲でグラミーを獲ったのは今のところジミー・ウェッブただひとりなのだという。

・FM群馬
来週、3月8日はJリーグ中継が行われるため、FM群馬の放送時間は夜7時からに変更するとのこと。

・WORST THAT COULD HAPPEN
カリフォルニアのスタジオ・シーンはレッキング・クルーと呼ばれるハル・ブレイン、ジョー・オズボーンをはじめとする素晴らしいリズム・セクションのスタジオ・ミュージシャンたちのおかげで素晴らしい作品がたくさんできる。フィフス・ディメンションの1968年のアルバム『MAGIC GARDEN』に入っていた「WORST THAT COULD HAPPEN」が、同じ年にニューヨークのブルックリン・ブリッジがカバーして1968年に全米3位、1969年春にはミリオンセラーになった。「WORST THAT COULD HAPPEN」(邦題「恋のハプニング」)ジミー・ウェッブ作詞作曲。ブルックリン・ブリッジのリード・ヴォーカルはジョニー・マエストロ。

・MAcARTHUR PARK
リチャード・ハリスの「MAcARTHUR PARK」もジミー・ウェッブの作詞作曲・アレンジ、オーケストレーション、ピアノまで弾いている。もともとはアソシエーションに提供したが断られて、イギリスでリチャード・ハリスと仕事したときに、この曲を持って行って、聴いて気に入ったリチャード・ハリスがレコーディング。はじめはどこのレコード会社も発売をしてくれなかったが、ルー・アドラーのダンヒル・レーベルが発売したところ1968年、全米2位の大ヒットになった。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2015年03月08日は、「ジミー・ウエッブ特集 Part 2」
http://www.tatsuro.co.jp
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