アメリカが、また誤った方向へ歩を進めようとしている。
体の芯から、得体の知れない恐怖と怒りがこみ上げてくる歴史的出来事が起こった。
先週の木曜日、6月26日。
こともあろうに連邦最高裁が、ワシントンの銃規制を違憲とし市民の銃所持の権利を認める判決下したのだ。
ことの発端は、首都ワシントンD.C.でのある裁判だった。
ワシントンD.C.では、1976年に「拳銃所持禁止法」が制定されて以来30年間、それ以前に登録されたものを除いていかなる拳銃の保持も禁止してきた。
これに対し、自衛目的で自宅での銃所持を主張する市民6人が連邦高等裁判所に訴えを起こし、2007年3月、同裁判所は「個人が自宅で銃を保有することも禁じるワシントンD.C.の法令は違憲」との判断を示した。(屋外での銃所持の禁止は合憲とした。)
ワシントンD.C.のAdrian Fenty市長は高等裁判所の違憲判決を不服とし、最高裁に控訴。今回判決は、憲法で定められた「銃を保持する権利」について、米最高裁が1939年以来初めて判断を下すものとして注目されていた。
ここで争点となっているのは、アメリカ国修正憲法第2条のあいまいな一文。
"A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed."
(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない)
これを「銃を所持する権利」と解釈するならば、ワシントンD.C.をはじめ、「銃の所持禁止法」を厳しく定めているシカゴ、ニューヨーク、デトロイトなどの各都市にも影響が起きるのは必至だった。
最高裁は、5-4という僅差ではあるもののこれを“違憲”と判断した。つまり、市民の銃所持の権利に軍配をあげたのだ。
この判断が何を意味するか。
翌日の新聞“シカゴ・トリビューン”は、市長リチャード・M・デイリーの怒りの雄たけびを一面に載せている。
「なぜ我々は"古き西部時代"に戻らなければならないのか!」
意外に思うかもしれないが、シカゴ市は銃の保持を禁止している都市のひとつだ。
とはいえ、ギャング同士の闘争は後を絶たず、近頃は子どもが巻き添えになるケースが目立つ。昨年8月以来、シカゴ市の公立学校に通う子どもたちの24人がすでに銃の犠牲になっている。つい最近も、8歳の子どもがギャングの闘争と思われる銃撃に巻き込まれた。こういった一連の事件を重く見たシカゴ市は、「子どもたちを銃から守れ」という大規模な決起大会を開いたばかりだった。
子どもたちを銃の犠牲から守るため、そしてなにより市民の安全のために銃の規制に向けて戦おうと決意を新たにしたこの時期に、こともあろうに国は銃所持の“お墨付き”を与えたのだ。
この判決が、銃所持支持派の追い風になることは間違いない。
すでに、全米ライフル協会(National Rifle Association)はシカゴ、サンフランシスコなど銃所持を禁止している都市に訴訟を起こす準備に取り掛かっている。イリノイ州ライフル協会は、判決の数時間後にシカゴ市と市長を相手取り、銃所持規制法の撤回を求める訴えを起こしている。
話をもっとややこしくしているのは、シカゴ市は銃所持を禁じているものの、イリノイ州は禁じていないという「抜け穴」システム。シカゴ市民は自宅で銃を所持してはならないのに、一歩郊外(たとえば我々の住んでいるカウンティ)には規制はなく、罰せられることもない。新聞の折込チラシに堂々と銃の広告が入っていたことがあってぶったまげたものだ。
これでは規制などできるはずもない。かえって「自分たちだけ持っていない」という人々の恐怖をあおっているだけかもしれない。
今回の判定をめぐっては、当然次期大統領候補のリアクションもとりざたされているている。
問題がこと合衆国憲法にかかわることだけに、さすがのオバマ氏も慎重な発言をしている。
「オバマ氏は言葉を濁す」
オバマ氏は「個人が銃を持つ権利は憲法で保障されていると信じてきた」と、述べる一方で「犯罪の蔓延するコミュニティーが、常識的で効果的な安全対策によって街を悩ませる暴力から子どもたちを守らなければならない、ということも認識している」と規制派、賛成派両方の立場をまたいだ(straddle)立場を慎重にとっている。
一方、共和党のマケイン氏はついに本性を剥きだしこの判決を絶賛、“a landmark victory for Second Amendment freedom”(アメリカ国修正憲法第2条の自由への画期的な勝利)と表明。態度をあいまいにしたオバマ氏を「次期大統領候補がこんな簡単な質問にも答えられないのか」と痛烈に批判している。
銃を持たない社会を作る大統領の時代が、いったい何時になれば訪れるのか。
私たちはアメリカ人ではない。しかし、アメリカで生活している以上、アメリカ政府の判断に生活全てがゆだねられている。
自分の国でもない国の横暴な判断に我慢してまでここで生活を続けなければならないのか。そんなリスクを負いたくはない。
また、アメリカが嫌いになった。
photo by http://news.sky.com
体の芯から、得体の知れない恐怖と怒りがこみ上げてくる歴史的出来事が起こった。
先週の木曜日、6月26日。
こともあろうに連邦最高裁が、ワシントンの銃規制を違憲とし市民の銃所持の権利を認める判決下したのだ。
ことの発端は、首都ワシントンD.C.でのある裁判だった。
ワシントンD.C.では、1976年に「拳銃所持禁止法」が制定されて以来30年間、それ以前に登録されたものを除いていかなる拳銃の保持も禁止してきた。
これに対し、自衛目的で自宅での銃所持を主張する市民6人が連邦高等裁判所に訴えを起こし、2007年3月、同裁判所は「個人が自宅で銃を保有することも禁じるワシントンD.C.の法令は違憲」との判断を示した。(屋外での銃所持の禁止は合憲とした。)
ワシントンD.C.のAdrian Fenty市長は高等裁判所の違憲判決を不服とし、最高裁に控訴。今回判決は、憲法で定められた「銃を保持する権利」について、米最高裁が1939年以来初めて判断を下すものとして注目されていた。
ここで争点となっているのは、アメリカ国修正憲法第2条のあいまいな一文。
"A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed."
(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない)
これを「銃を所持する権利」と解釈するならば、ワシントンD.C.をはじめ、「銃の所持禁止法」を厳しく定めているシカゴ、ニューヨーク、デトロイトなどの各都市にも影響が起きるのは必至だった。
最高裁は、5-4という僅差ではあるもののこれを“違憲”と判断した。つまり、市民の銃所持の権利に軍配をあげたのだ。
この判断が何を意味するか。
翌日の新聞“シカゴ・トリビューン”は、市長リチャード・M・デイリーの怒りの雄たけびを一面に載せている。
「なぜ我々は"古き西部時代"に戻らなければならないのか!」
意外に思うかもしれないが、シカゴ市は銃の保持を禁止している都市のひとつだ。
とはいえ、ギャング同士の闘争は後を絶たず、近頃は子どもが巻き添えになるケースが目立つ。昨年8月以来、シカゴ市の公立学校に通う子どもたちの24人がすでに銃の犠牲になっている。つい最近も、8歳の子どもがギャングの闘争と思われる銃撃に巻き込まれた。こういった一連の事件を重く見たシカゴ市は、「子どもたちを銃から守れ」という大規模な決起大会を開いたばかりだった。
子どもたちを銃の犠牲から守るため、そしてなにより市民の安全のために銃の規制に向けて戦おうと決意を新たにしたこの時期に、こともあろうに国は銃所持の“お墨付き”を与えたのだ。
この判決が、銃所持支持派の追い風になることは間違いない。
すでに、全米ライフル協会(National Rifle Association)はシカゴ、サンフランシスコなど銃所持を禁止している都市に訴訟を起こす準備に取り掛かっている。イリノイ州ライフル協会は、判決の数時間後にシカゴ市と市長を相手取り、銃所持規制法の撤回を求める訴えを起こしている。
話をもっとややこしくしているのは、シカゴ市は銃所持を禁じているものの、イリノイ州は禁じていないという「抜け穴」システム。シカゴ市民は自宅で銃を所持してはならないのに、一歩郊外(たとえば我々の住んでいるカウンティ)には規制はなく、罰せられることもない。新聞の折込チラシに堂々と銃の広告が入っていたことがあってぶったまげたものだ。
これでは規制などできるはずもない。かえって「自分たちだけ持っていない」という人々の恐怖をあおっているだけかもしれない。
今回の判定をめぐっては、当然次期大統領候補のリアクションもとりざたされているている。
問題がこと合衆国憲法にかかわることだけに、さすがのオバマ氏も慎重な発言をしている。
「オバマ氏は言葉を濁す」
オバマ氏は「個人が銃を持つ権利は憲法で保障されていると信じてきた」と、述べる一方で「犯罪の蔓延するコミュニティーが、常識的で効果的な安全対策によって街を悩ませる暴力から子どもたちを守らなければならない、ということも認識している」と規制派、賛成派両方の立場をまたいだ(straddle)立場を慎重にとっている。
一方、共和党のマケイン氏はついに本性を剥きだしこの判決を絶賛、“a landmark victory for Second Amendment freedom”(アメリカ国修正憲法第2条の自由への画期的な勝利)と表明。態度をあいまいにしたオバマ氏を「次期大統領候補がこんな簡単な質問にも答えられないのか」と痛烈に批判している。
銃を持たない社会を作る大統領の時代が、いったい何時になれば訪れるのか。
私たちはアメリカ人ではない。しかし、アメリカで生活している以上、アメリカ政府の判断に生活全てがゆだねられている。
自分の国でもない国の横暴な判断に我慢してまでここで生活を続けなければならないのか。そんなリスクを負いたくはない。
また、アメリカが嫌いになった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます