津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■後藤又市郎音信に対する三斎の礼状

2021-04-05 18:45:19 | オークション

        B-1036【真筆】細川三斎 忠興 肉筆紙本 書状 掛軸/肥後細川初代藩主 大名 武家 書画

             

 解説には記されていないが、宛名には後藤又市郎とある。後藤又兵衛の子息で細川家家臣である。
忠興隠居後の中津在城時のものか、「使者を以て柿三十五入の一籠が到来した」ことに対する礼状で、側近の貴田権内の名前が見え、権内が対応していることが判る。
花押もしくは印判がない所を見ると「写」か。又兵衛子息と三斎の交流が伺える貴重な文書である。

 

   後藤又市郎   頭衆 五百石 (於豊前小倉御侍帳)
         室・リユ(切支丹殉教・加賀山隼人正興良女)--細川藩旧記
           
細川忠興公宛行状(元和参年五月)三百石

   貴田権内    三斎君ニ御奉公御知行被下置面々(中津)
         五百石 後号角右衛門、貴田玄蕃弟也、玄蕃ハ親孫兵衛以来加藤清正ニ
             奉公、寛永十一年三斎君より忠利君ニ被遣、熊本ニ相勤申候
                                (綿考輯録-巻二十一) 

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■細川小倉藩(538)寛永八年・日帳(十月朔日~三日)

2021-04-05 13:07:47 | 細川小倉藩

 これから寛永八年に入るが、一月~九月は欠落している。十月・閏十月・十一月の三カ月で「福岡県史・近世史料編‐細川小倉藩」は全完了となる。

 

    日帳(寛永八年十月)朔日~三日

         |                                       
         |   朔日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛 
         |
         |一、助進・修理当番也
         |               ( 淋 病 )( 寸 白 )
小倉町奉行湯治療 |一、吉田縫殿登城にて被申候は、りんひやう・すんはく気に御座候、時ニより、少シ腰・肩通申事御
養ヲ願フ     |     (豊後速見郡)
別苻ノ湯     |  座候間、別苻之湯ニ入見申度御座候間、十四、五日之逗留ニ参度候、如何ニ可有御座哉と被申候、
         |  其段御家老衆へも被申候て、当時被仕候へと、申渡候事、
         |                           (細川立孝)中津在城・17歳
三斎ノ気ニ入ラヌ |一、内田左太郎所ゟ、はい鷹一居、 三斎様へ上申候処ニ、 立允様被成御覧候而、 三斎様御意ニ
鷂ヲ鷹師へ渡ス  |  不入御鷹之由にて、被成爰元へ被遣候間、大野弥兵衛ニ渡申事、但、奉り沢井二右衛門、奉書参
         |  候事、      〃〃

         |                                       
         |   二日  河本瀬兵衛・奥村少兵衛 
         |
         |一、修理・兵庫当番也
         |          (国遠)
規矩郡奉行等水損 |一、神足三郎左衛門尉・道倫被申候ハ、篠崎村水損所、御奉行を被下、御検見之儀、先日も申候、然
ノ検見ヲ願フ   |  所ニ、此中小倉近所の村々四、五所も見廻り申候処、事外能所も御座候間、見斗、能所ハ免を上申、
         |  悪敷所へゆつり可申と存候、併、当年能所ハ、例年悪敷所能御座候間、松ノ御丸衆、以来之例ニ
         |  被仕候ヘハ、めいわく可仕候間、左様ニ無之様ニ心得候へと、被申候間、当年之儀ハ常ニ悪敷所
         |  能御座候間、例ニ成申儀にてハ有之間敷候、松之御丸衆へも、其段能々合点させられ候様ニと、
         |  申渡候事、
野瀬某宇佐宮へ立 |一、野瀬少左衛門尉、宇佐へ立願御座候ニ付、御隙中、参詣し、罷帰候由にて、登城仕候事、
願        |
中津郡奉行登城ス |一、蓑田甚丞、御郡ゟ罷出候由にて、登城被仕候事、

         |                                       
         |   三日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛 
         |
         | (田中氏次)(横山重嘉)
         |一、兵庫・助進当番也、
田川ヨリ松茸   |一、田川ゟ、松茸四百本参候事、
         |一、深野二郎右衛門尉、煩能候由にて、登城被仕候事、
         |            (怕)
馬医夜ノ療治ニ近 |一、皆川治ア被申候ハ、白楽久丞家持不申、東小倉ニ借やノ躰にて居申候、御馬煩申候 
ヘハ、夜中に
キニ借屋ヲ乞ウ  |                                        (三淵之直)
         |  ても、二度、三度つゝ御よひ申仕合候間、村田彦市家も当分御かし候て被下候様ニと、左膳殿を
         |  頼、左膳殿ゟ、治ア迄被仰候由被申候、幸、家奉行も参合、其段吟味候処、家奉行申候ハ、彦市
         |  母被申候ハ、殿様御下国之上ハ言上仕、家之儀拝領可仕候、居所無御座候由被申候、其上、未
         |  上可申と申仁も無之候由申候、然共、今も余人かり候て居申儀候間、彦市妻子方ゟ、久丞ニかし
         |  被申候様ニ、国友式右衛門と被申談、其分ニ被仕候へと、御家奉行ニ申渡候事、

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■徳富蘆花の「水前寺・江津湖紀行」水遊び(一)・2

2021-04-05 06:41:13 | 書籍・読書

              水遊び(一)・2

                          うずくま
          矢張り水だ。下りて、飛石に蹲り、メダカが息つくかの様にぷく/\と小さな泡の球を立て
                      むす                                    ひざまづ
          て湧き上る水を両手に掬んで、昔の味をなつかしむ。妻や鶴子、琴子も皆石に跪いて水を掬
                 はんかち
          ひ、それから手巾を出して顔を拭いたりして居る。此美しい水には「アカリコ蟹」が居る。
                             えびちゃ                                  ちゃぼ
          大きいのは濃く、小さいのは鮮明な蝦茶の色をした可愛らしい蟹である。大きいのでも矮鶏
                          えんどう
          の卵より小さく、小さいのは豌豆よりも小さい。子供の折にはよく手拭に包んで歸つて、つ
        け焼にしてもらつてかり/\喰べたものだ。今も居るだらう。二つ三つ水中の石を起して除
                                                 ゆらめ
          く。其處には唯金糸の様な日影が底の細かい砂にちら/\揺曳いて居るばかり、小さな這ひ
                                      わか            ゆ
          行く紅いものゝ影は一つも見えない。それは恐らく少い日の余と共に逝いて消え失せたのか
        も知れぬ。物足らぬ氣もちで、やゝしばらく水を眺める、此邊は鶴子の膝越さぬ淺さで、石
                    しゞら ひだ
          に擦れたりする處に縐の襞を見する外、日の下に見れば有つて無いかの如く澄み徹つて、殆
        んど音と云ふ音をしないが、汀の石菖を撫で、數々の飛び石を洄り、底の小砂の一粒だもま
        ろばさずして然もすべての水は動いて居る。下の方は流れて居る。ぢつと見て居ると、二秒
        置き三秒置きに、底の五色の砂を分けて、ぷく/\、ぷく/\と小さい小さい眞珠の球がつ
        ゞけざまに上がつて來ては、ぱつと水面に消える。飛び石の此處ばかりかと思へば、上にも、
        下にも。ぴたりと止んだ、と見ればまたぷく/\。彼方が消えたと見れば、此方がぷく/\。
        ある時は一齊に拍子を揃へてぷく/\/\/\。嬉しくてたまらぬげな水のさまである。
                    ふきだし
          子供の笑、乙女の噱出、幸福のつく息ならで何だらう。永久に若い自然の歓喜がこゝにも母
        なる地の懐から溢れて居るのだ。
        立上り、芝生の路を傳ふて南に泉水の尾へ往く。狭からぬ此泉水に湧出る程の水は琵琶尻の
        此處に落ち寄つて、土橋を潜りつて三間程の川になつて居る。底は見え透いて居て、大人の
                                  や                       はや
          丈も立たぬ程深く、さばかり音は立てぬが箭を射る様な水勢を物の數ともせぬ鮠、イダの類
           ぐん
          が群をなして泳いで居る。此土橋から飛んで泳いだ昔の夏を憶ひ出す。流れの眞中に水を二
                   ひとむらすゝき
          つに裂いて突立つ一叢薄の巌は、以前より餘程痩せた
                                きてい
          流れの向ふに一軒水に挟まれて涼しげな旗亭が見える。土橋を渡り、今一つ亭前の細流に架
                                        ひるげ
          けられた小板橋を渡り、客一人も無い座敷に上つて、午餐を命ずる。
                                                  われら
          今日は十月六日、然し南國の日は熱して氷を思う日の午である。水欲しい我濟は、水に挟ま
                       うたげ
          れた座敷に、存分水見の饗にあづかる。東表は、泉水尻の彼本流ではないが他の小さな泉川
           のど        はし                     ひまご             いつこう
          が咽を鳴らして駛つて居る。裏の方には大泉水の玄孫とも云ふ可き別に一泓の泉池があつて、
                                                       ひきか
          木立の陰深く、水も中々深そうだ。湧出の量も多く、彼清淺の可愛ゆきぷく/\に引易へ、
          けんだい ほうきゅう                                        りんえい
          拳大の泡球がぼこ/\底の方から盛り上つて來ては、ぐる/\ッと云ふ響を立て、林影幽な
              ばつ      いつも                                 ふだん
          水面に潑と散つて
尋常の水になると、さつさと下へ流れ出て行く。居常水に渇して居る武蔵
        野の游子、縁に足投げ出して飽かず水の踊を眺める。
        やがて料理を運んで來た。
             ばんざい
          「水の萬歳を祝さう」
        斯く言ふて夫妻シトロンのコツプを合はす。而して料理に箸をつける。美しい水に育つたも
                         うま
          のだけに、鯉鮒の味も格別美いかと思はれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        長崎大学蔵「マンスフェルト・アルバム」から引用
         
肥後熊本水前寺の領主の庭

       
          

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