津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■吉川英治著・日本名婦傳より「細川ガラシャ夫人」(五)

2020-12-08 13:26:15 | 書籍・読書

     細川ガラシャ夫人(日本名婦傳より)   吉川英治

            (五)

 三戸野山の生活は、まる二年つゞいた。
 山深い尼寺に、尼よりもさびしく暮してゐたが、いつか木樵や里の者も、素性を知つて、
「叛逆人の娘ぢや」
「死にもせで、生きのびてゐる事よ」
 と、垣の外を覗いて通つたりした。
 三名の郎薹は、彼女が、何時ふと死の誘惑に負けて、自殺しまいものでもないと、その警戒
にも、片時も目を離さなかつたが、彼女が、露骨にうける辱しめや、危険で、さま/\な迫害
を防禦するためにも、二年前、どれほど氣をつかつたか知れなかつた。
「主殺しの娘に、糧は賣れぬ」
 などゝいふ悪口やら、
「お前さま達は、御侍のくせに、大逆人の娘に仕へて、何でそんな忠義だてしなさるか。
主を殺した人間の一族には、世間がかう酬うぞと、思ひ知らせてくれたがいゝに」
 と、面と向つていふ朴訥な里人の悪罵にも、凝と、忍んでゐるしかなかつた。
 まして、伽羅奢自身は、うつかり出歩くこともできなかつた。
 峰つゞきの寺へ、信長の期日と、亡父光秀の命日には、必ず参詣を缺かさなかつたが、被衣
をかぶつて出ても、駕に潜んで行つても、山家にはない美しさに、すぐ氣づかれて、
「光秀のぢや」
「逆賊の娘が、あのやうに美しい」
 と、ぞろ/\從いて來たり、指さしたり、果は、小石を投げられたりした。
 三戸野の炭焼の子で、お霜といふ十二三の小娘がゐた。お霜だけは
「お姫さま、可哀さうだに。・・・・可哀さうなお姫様だに」
 と、里へ買物の使に行つてくれたり、自分の親の小屋から、食物を持つて來たりして、しま
ひには餘りなついて、伽羅奢のそばを離れない者になつた。
「童のきれいな心。有のまゝにものを映して見る澄んだ心・・・・」
 伽羅奢は、それに習はうと努めた。
 又、尼院なので、経文に親しんだ。亡き右大臣信長への供養に、毎日毎日、寫経もした。
 その信長を討つて、一月ともたゝない間に、信長の臣、羽柴筑前守秀吉に亡ぼされ、土民の
手にかゝつて、その首は、一通りの多い都の辻に、幾日も曝し物にされてゐたと聞く・・・・亡父
光秀以下の一族のためにも、朝暮、回向の讀経をかゝさなかつた。
 それは、山崎の合戦から二年目の・・・・天正十二年の二月だつた。
 峰の雪が解けそめた頃である。
 良人の忠興から、迎への使者が來た。久しぶりに見る塗駕籠であった。家臣も侍女も、表向
きに従いて來た。
 伽羅奢の境遇が秀吉の耳にはひつて、
「不愍な者じや。亡き右府様になり代つて、秀吉が改めて、媒酌してとらせる、生れかはつた
者として、山より迎へ娶るがよい」
 さう許しが出たのであつた。
 元よりそれは、本能寺の事變の際、藤孝・忠興の細川家の父子が、市場をすてゝ大義に據り
秀吉の軍を援けて大功があつたにも依るが、又、伽羅奢があらゆる辱しめの中に、その姿のと
ほり清麗な女性の慎みと忍苦に耐へて來たことも、いつか人のうはさに傳はつて、秀吉の心を
うごかしたに違ひなかつた。

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■細川小倉藩(425)寛永六年・日帳(七月八日~十日)

2020-12-08 07:07:39 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年七月)八日~十日

         |       
         |     八日  加来二郎兵衛
         |                    (久間)
         |一、鏡善右衛門登城にて被申候ハ、御船頭熊平兵衛、以之外相煩申候ヘハ、内藤宗印療治ニ而大形快気
         |  仕候、忝存由被申候、弥養生候て、登城仕候へと可被申由申候事、
         |                     (復)
         |一、桜井又兵衛、此中散々相煩申候へ共、本服仕由にて、登城被仕候事、
         |                   (宗由)
         |一、中川左左衛門尉内儀被相煩ニ付、三渕藤十郎殿ゟ土々呂木以真を被遣候、其ニ付、御番之替申付
         |  候様ニと承候、以真かわりニ松野道遊申付候事、
         |(ママ)
         |一、
泰勝院法事之時要 |  一、六人は   料理人、
用覚       |  一、拾誤認は  手伝、但、御昇衆、
         |  一、五人は   右同、御長柄衆、
         |  一、八人は   御荒仕子、
         |  一、通船    壱艘、
         |  右之前入申候間、灯仰付可被下之由、岩間清治被申候也、

         |       
         |     九日  安東九兵衛
         |
         |  (沢村吉重)
御用印      |一、大学殿へ御印帳持せ遣候ヘハ、留守にて候間、従是持せ可進之由にて付、御印帳箱大学殿へ預候
         |                                〃
         |  而、罷帰候也、
         |一、明日、江戸へ遣候ハ、井門亀右衛門尉与永田角兵衛と申もの也、
畳ノ中糸用荒苧ノ |一、たゝミノ中糸ニ成候荒苧、八百貫めかいニ香山清兵衛、横目ニハ続亀介与川口加右衛門申付遣、
         |                 蒲苅、安芸安芸郡)(広島、同郡)
購入       |  但、明日参候大坂へ上せ申便船ニ、かまがり迄乗遣、但、ひろ嶋ニかいニ参由、清兵衛申候事、

         |       
         |     十日  加来二郎兵衛
         |
小的ノ道具ヲ江戸 |一、今日、小的之道具江戸へ持せ上候奉行ハ、井門亀右衛門与永田角兵衛と申者也、相渡遣申状数
へ上グ      |  ノ覚
江戸ヘノ書状ノ覚 |   (小笠原長元)
様書       |  一、備前殿ゟ  才兵衛方への御状一つ、但、様書ノ状也、
         |   (松井興長)   四郎右衛門殿
         |  一、式ア殿ゟ  中    庵 三人へ御当候御状一つ、
         |          清  左  衛   門
         |  一、加々殿ゟ  大塚長庵へ当候御文箱壱つ、
         |   (松野親盛)
         |  一、半斎ゟ   長蔵殿への御状一つ、
         |   (沢村友好)  
         |  一、宇右衛門ゟ 九郎右衛門
         |          長 兵 衛方への状一つ、
         |
         |              横山 藤左衛門
         |              佐分利作左衛門
         |              伊藤 金右衛門
         |  一、我々言上之文箱一つ 井門 亀右衛門 此分も入、上候也、
         |              御 金 山 衆
         |              頼  母  殿
         |              監  物  殿
         |
         |  一、三斎様ゟ七夕之御祝儀の御返書箱一つ、
東花畠ノ朝倉山椒 |  一、東御花畠ニ在之朝倉ノ由にて、ちいさきかミ袋壱つ、小堀長左衛門上候を、江戸へ上候事、
ノ種子ヲ上グ   |
しやうか入    |  一、当町ノ細工三谷半左衛門と申者ゟ、神吉甚右衛門所へ、御しやうか入壱つさし上候事、
敷皮       |  一、備前殿ゟ被仰候ハ、敷皮を一枚見申度候間、進候様ニと承候ニ付、御城ニ在之を取寄、一枚遣
         |    申候事、
敷皮ノ縁ノ仕直シ |  一、備前殿ゟ右ノ敷皮を持せ、御上候而被仰候ハ、前かとハ御急ニ付、敷かわのへり悪敷取せ申
         |    候、未上り不申ハ仕合ニ候間、へり取直、上せ可申由候事、
         |     (是次) (氏久)
京・大阪調奉行へ |  一、米田左兵衛・田中猪兵衛所へ御奉行所ゟノ状一つ、又小野九右衛門・佐藤少三郎へノ状壱つ幷
ノ状・切手    |                     (九郎右衛門) 
綿摘壺      |    わたつミほ拾を売買下シ被申候へとの黒瀬・大嶋両人切手壱枚、寺嶋主水所へ遣候を、右ノ
         |           〃            (喜右衛門)
         |    御飛脚乗上候御船頭徳嶋八兵衛ニ渡候也、
         |一、土々呂木以真登城被仕候、中川佐左衛門内儀煩ニ付而、在郷へ参、昨日罷帰候由被申候、煩茂少
         |  能御座候由、被申候也、
敷皮ノ縁ニ菖蒲革 |一、敷皮のへりニ仕候しやうふ皮御座ニ付、敷ア少輔殿ゟしやうふ皮三枚借寄せ、へりニとらせ申
ヲ借用ス     |  候、追付買下候て返進筈也、
         |
                     しょうぶ‐がわ【菖蒲革】シヤウ‥ガハ - 広辞苑無料検索菖蒲革の文様

江戸回送ノ米大風 |一、中津堀川次右衛門尉舟、江戸大廻ノ御米つミ廻り申候処ニ、御米四拾石余、遠州灘にて大風、捨
ニ捨テルモ船頭浦 |  テ申候、併、浦切手取不参ニ付、如何有之哉と候て、江戸奉行衆ゟ書物相添、灯差越ニ付、
切手ヲ取ラズ   |  (白井)(鏡)
船頭惣奉行裁断シ |  兵助・善右衛門ニ吟味可被仕由、申渡候処ニ、兵介・善右衛門分別迄にてもかた付申儀不罷成由
得ズ       |  にて、登城被仕候、松御丸衆中よひよせ、聞せ申候、和田伝兵衛儀ハ煩にて不被罷出候也、
         |                                     (荏胡)
国東郡ノ而天主米 |一、国東郡芝原浦甚七舟にて、去年十一月九日ニ、御天主米、上米・上餅・胡麻・ゑこ・稗、小倉
等小倉回送中破損 |                          五斗
セルヲ損米ニ決ス |  へ積廻申候処、破損仕、胡麻弐石四斗九升六合・ゑこ壱石壱斗弐升壱合・稗五斗、右之運賃八斗
         |                          〃〃〃〃〃〃
         |  九升九合余すたり申候ニ付、右御船頭かしら、松之御丸中惣談之上を以、御損ニ立可申ニ相極、
         |  右之書物ニ判形仕、国東御代官衆へ相渡候也、


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