津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

松江城秘録(四)

2011-02-26 08:43:51 | 歴史

     (四)新美八左衛門等今度ノ仕合奉公振気二入不申扶持を放候段可申者

    正保弐年七月十九日之御書御飛脚持下八月三日ノ夜頂戴仕候
        猶々馬場三郎左より其方迄きり志たん改之儀諸
        事ニ至迄心入之段満足申候通礼状を遣申候き
        り志たん仕置之儀ニ付何とそ替様子も候ハヽ被
        仰聞候様ニ天野かたへ其方より申遣可然候以上

    追而之状披見候道家帯刀八代より罷帰候由ニ而帯
    刀状披見候其方内見候由尤候
 一、新美八左衛門妻女長崎へ遣其身ハ上方へ罷上江戸
    へも可罷越之由得其意候庄林義者筑後立花
    殿領内ニ居候由是又得其意候兎角今度之
    仕合常々奉公振気ニ入不申候而扶持を放レ候段
    迄を相尋候かたへ被申可然候事
 一、其元世中可然候ハん由珍重候其中ハ日でり候得共そろ/\
    と雨ふり候由得其意候事
 一、爰元御前■き別条無之候讃岐殿加賀殿其外御老中
    前々より我々別而申談候事候間其段気遣有間敷
    候謹言
        七月十九日               肥後 光尚御判
                  長岡佐渡守殿

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 松江城秘録(二)(三) | トップ | 松江城秘録(五) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿