津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(10)

2010-06-27 20:54:00 | 歴史
     ■五月十七日 当番小篠次大夫

  御米ハ積仕廻次第ニ、運上取可被申候、薪其外ハ月切ニ運上取被申候へと、小川彦左衛門・小崎太郎左衛門へ申渡候事
一、田河郡川渡衆、五分一運上ノ事 1

  売主ノ切手めい/\被有候事ハ無用候、其近所ノ庄やニミせ、判形取被申候事
一、同薪・売竹木、万売物ニ川船ニ積出シ申物、売主之切手を取置、已来御算用ノ証跡ニ可仕候事由、 
  吉留太左衛門被申候事 2

一、つゆニ入、水出候時、大橋之貫を取置、橋ニながれ懸り候物取申御小早、御付置被成候事 3

一、橋下ニ番舟今壱艘有之、外ニ、壱艘可被渡申付候事 4

一、貫を取申時、差紙ノ叓 5

  河喜多(正直)、財津(久七)所へ切紙遣也
一、山本宗寛藪年貢事 6

 6、山本宗寛 三郎右衛門・正倫、正倶  
     元亀四年岩成主税を御攻被成候時、御家に来り御合力十八人扶持被下候、直に忠興君に
     仕て御懇也、九曜の御紋御付被成候後、夫迄の御紋六ッ鉄線を政倶に被下、定紋二仕候
     と申伝候、丹後御入国之節、弐百石拝領、度々の戦功あり、関原御陳後、御召之御鎧・鞍
     置馬を被下、御知行四百石に被成下(一ニ豊前ニ而五百石)その後加々山隼人被誅候時
     三郎右衛門に被仰付、友次の御刀拝領仕候、三斎様御剃髪の時、山本も剃髪、宗の字を
     被下宗覚と改申候、三斎様御逝去両年前ニ病死 (綿考輯録・巻五)

   藪 図書一成カ
     中村一氏家老近藤左近養子、同家断絶後牢人 元和三年忠興に仕、牢人分にて知行
     千五百石 内匠歿後知行召上られ、新知二千石 本姓藪に改 承応元年八月十日歿

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