津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(28)釈文

2020-01-28 07:06:47 | 史料

28        登城の時兼光を借せと仰有て御指被成し
         事度々也 壱尺八寸直焼無銘尓して目釘穴
         二ッ有一ッハニ而埋有銀の九曜の三笄目貫       鈆=鉛
         赤銅ふち金拵也 数馬男子なく女子有 幼少
         也 養子被 仰付不行跡ニ而知行被召上女子予
         か叔父吉兵衛方ニ引取病死して絶ュ 二郎太夫
         八兵衛共尓跡なし 七郎左衛門代々相續の所正
         徳年中宜紀公の御代御暇被下置古数馬拝
         領の脇差吉兵衛方へ傳る 尼ヶ崎ニ而嶋村弾正
         討死の時の三原正盛二尺五歩の刀是も吉兵衛
         方ニ傳り吉兵衛被下八隅見山と改兼光
           の脇差ハ暦々ゟ所望也 三原ハ行末知連す
           此刀尓付てハ家説希代の咄し多し
            栖本又七郎阿部弥五兵衛を討取同七之允
            と鎗を合働き手負事附り又七郎妻
            女仁愛有事
         阿部南隣は栖本又七郎平生好ミも深かりし
         又七郎文武の勇者也 妻女も貞烈尓して
         仁愛有けりと也 新玉の年始ゟ四時折々阿部
         か妻女尓酒肴を送り月の夕ア雪の朝々遊
         山初詣尓も道を同して交り深く有けれハ阿部
         か子共も又七郎夫婦を叔姪の恩をなし馴染

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■松ぼっくり | トップ | ■細川小倉藩(134)寛永三年... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿