津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■こんたつ

2021-10-30 10:23:11 | 歴史

 「部分(ぶわけ)御舊記・軍事部‐八」という史料に於いては、「有馬一件ニ付武功御吟味并働之面々覚書」を掲載しているが、ここにある個々人の記録を、現在「新・肥後細川藩侍帳」に反映させるべく作業を進めている。
その成果は一々提示することは不可能なので、又長きにわたるが近々、せめてその内容をご紹介したいと考えている。
お付き合いをお願い申し上げる。

 「有馬一件」とは、天草島原の戦いのことだが、この資料はこの戦いに於ける細川藩士の働きを詳細に書き上げている。
このような資料を眺めていると、思いがけない文言が出てきて驚かされたり、その一言が深い意味合いを語り掛けてくる。

 寺尾元馬なる人物は、「二丸ニ而鑓合頸取申者」の12人のうちの1人として紹介されているが、その文章は「一、二月廿七日二ノ丸ニ乗込敵ト鑓合鼻とこんたつを取申候 藪熊之允見申候 證人口相違無御座候以上」とある。
他の史料でも見られるが、この戦いに於いてはいわゆる功名として敵の首を取る事はしていない。「捨て置」としてただその行為は證人の証明によって後の加増や褒賞に係わる事になる。
相手は侍ではなく、一揆の衆徒であると判断したのであろうか、元馬は証拠として「鼻」を切り落とし、「こんたつを取」と記している。
まさにその相手が切支丹であることを示す「こんたつ」を取っている。「こんたつ」とは「ロザリオ」のことである。
数万の人々がすべて殺されたとされるこの戦いには、武器も持たぬ人々も多くいたであろうし、ロザリオを首に掛け、また握りしめてむなしい抵抗をしながら死んで行ったのであろう。
そしてそのロザリオは華やかなものではなく、紙のこよりや、麻の紐に通された粗末なものであったかもしれない。
この一言をして、この戦いの無残さを語っているように思える。

    鉛の十字架  サイト「おらしょ・こころ旅」から引用

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