津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ガラシャの血

2021-06-27 08:28:02 | 歴史

 ガラシャ夫人の血を引く方々は、忠興とガラシャの間に生まれた、嫡男・忠隆、二男・興秋、三男・忠利の男子三名、女性は前野景定室・長である。
興秋は父・忠興により切腹を命ぜられた。長の夫・前野景定も秀吉から秀次の事件に関係する人物として切腹させられている。
忠隆は長男なれど、奥方が前田利家女であり、ガラシャの自害の際共にしなかったとして忠興の怒りを買い廃嫡された。
三男忠利が嫡男となり、ガラシャの血は光尚→綱利→宣紀→宗孝→重賢→治年とつながったが、宇土支藩から齊茲が入ることにより途絶えることになった。
宣紀は新田藩初代の利重(綱利弟)の二男だが、新田藩は男系が明治に至っているからガラシャの血も受け継がれているだろう。
なんといっても正統は忠隆の内膳家の家系である。またこれらの家系の女性たちの婚姻によりガラシャの血を引く家も結構あるのだろう。これはなかなか追跡しがたい。

 先にこちらは明智の血をひかれるAAさまから、大阪みなと中央病院長 (大阪大学名誉教授)・細川 亙先生の講演記録が掲載された同病院の記事のご紹介があった。
御礼を申し上げるとともに、当ブログでもご紹介させていただく。
講演記録にもあるように、細川 亙先生は内膳家の嫡流ともいうべき血を引いておられるから、まぎれもないガラシャのDNAを受け継いでおられる。ご一読を願うものである。

                 波瀾万丈細川ガラシャの生きた戦国時代

 ちなみに、細川護熙様にも回りまわってガラシャの血が流れていることを、ある関係者からご教示いただいたことがある。

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2 コメント

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ガラシャの血 (細川亙」)
2021-06-27 23:26:01
「波瀾万丈細川ガラシャの生きた戦国時代」のご紹介ありがとうございます。細川亙
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畏れ入ります (津々堂)
2021-06-28 11:07:20
わざわざの御会釈畏れ入ります。
当サイトがお目に留まり嬉しく存じますが、なにかとご不快なこともあろうかと思いますが、ご寛容のほどお願い申し上げます。有難うございました。
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