津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■家紋のはなし 拝領紋

2015-12-09 11:42:50 | 家紋

                         六ッ銕線紋

 細川家が使っていた家紋に「六つ鉄線紋」があったと伝えられている。この家紋を山本三郎右衛門が拝領した。
その経緯について綿考輯録は次のように記している。

    山本三郎右衛門
    元亀四年岩成主税を御攻被成候時、御家に来り御合力十八人扶持被下候、直に忠興君に
    仕て御懇也、九曜の御紋御付被成候後、夫迄の御紋六ッ鉄線を政倶に被下、定紋二仕候
    と申伝候、丹後御入国之節、弐百石拝領、度々の戦功あり、関原御陳後、御召之御鎧・鞍
    置馬を被下、御知行四百石に被成下(一ニ豊前ニ而五百石)その後加々山隼人被誅候時
    三郎右衛門に被仰付、友次の御刀拝領仕候、三斎様御剃髪の時、山本も剃髪、宗の字を
    被下宗覚と改申候、三斎様御逝去両年前ニ病死 (綿考輯録・巻五)

また、「松笠菱紋」についても淀の築山家が拝領したとある。

牧家の「銀の中くり紋」については何度かその由来に付いて記したが、残念ながら現在はお使いではないらしい。

朝鮮王族李宗閑は文禄の役の折捕虜として日本に至ったが、細川家は継嗣・慶宅に高本の姓と家紋を与えて細川家家臣となした。
「違い山に大の字紋」とでも呼ぶのだろうか、史談会の会員でもあるご子孫の高本先生はお使いではないという。
    
細川家家臣--高本氏

 

その他にも拝領紋だと仰るお宅があるが、確たる証拠がない。今後の課題としたい。

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