津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

大分・竹田の岡城

2013-10-30 15:56:26 | 徒然

                                        西中仕切から見た石垣(春) 竹田市のサイトから

「春高楼の花の宴・・・」で始まる「荒城の月」は、作詞家の土井晩翠が仙台出身であり、作曲家の滝廉太郎が大分出身でさてその御城はどちらか・・・仙台の青葉城跡とも、大分県竹田氏市の岡城跡ともいうが、なんとも云い難いところではある。
竹田の岡城はまことに歌詞にぴったりの御城で、隣県の人間としてはなんとなく応援したくなる。
この岡城、竹田にあるからついつい竹田城と呼んでしまう。最近では朝来市の竹田城がつとに有名だが、岡城も中々の風情がある。
にょっきりと雲海に浮かぶ風景は展望する場所がないのかあまり報道もされないが、どなたか素晴らしい写真を撮って発表されないものかと期待している。

               岡城跡  http://www.city.taketa.oita.jp/okajou/walk/

もともとは大伴一族の志賀氏が築いた山城だが、文禄3年(1594)2月、播磨国三木城(兵庫県)から中川秀成が入部した。
面白いことに、朝来竹田城の斎村政広同様、慶長五年細川幽齋が籠城する田邊城を攻撃している。後、東軍に加担して明治に至った。
随分以前だが、ご厚誼をいただいている佐久間一族のご子孫の御話から、佐久間盛政のお墓が竹田市の英雄寺にあることを知った。
中川秀成室・虎姫が盛政女であることによる。その五男・内記が佐久間氏を名乗り現在に至っている。
盛政が朝鮮出兵の折持ち帰ったという「牡丹の花」が有名である。http://www.youtube.com/watch?v=BC7em0dTKGM

大分へ所用があって何度かでかけたが、通り道の竹田は通り過ぎてしまう。機会を経て「牡丹の花」を拝見したいものだと思っている。 

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