津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ちょっと気になる本・中公新書「戦国時代の流行歌‐隆達節の世界」

2020-01-31 08:38:56 | 書籍・読書

 偶然というものは不思議な出会いを呼ぶ。PCに間違った語句を打ち込んだら「隆達」にとび、そしてこの本「戦国時代の流行歌‐隆達節の世界」に導かれた。
その内容説明によると次のようにある。

  戦国末から江戸初期にかけて一大流行をみた隆達節は、高三隆達が独特の節付けをして歌い広めた一群の歌謡である。
  しかし、隆達の実像は後世の数多くの説話に包まれて必ずしも明らかではない。本書は新しい資料を博捜し、隆達の
  生涯とその幅広い交遊関係を探る。さらに恋歌を中心に隆達節の代表歌を紹介、そこに現れた清新な言語感覚と叙情
  を指摘し、乱世に生を享けた人々の無常観に裏打ちされた「流行歌」の世界を描き出す。
 目次 : 
  1 隆達の伝記(家系/ 高三家をめぐる資料 ほか)/ 2 隆達の交遊圏と画像(歌本を贈られた人々/ 宗丸 ほか)/
  3 隆達の説話と歌謡(説話の代表例/ 小笠原監物 ほか)/ 4 隆達節の世界観(表現の特徴/ 「異なもの」 ほか)/
  5 隆達節の受容(阿国歌舞伎踊歌/ 『竹斎』 ほか)

県立図書館には所蔵していないようだから、買うしかないかと心を動かされている。

細川幽齋は息・忠興が豊前小倉に入国後の翌年豊前を訪れている。その際、薩摩の嶋津義久が幽齋を訪ね小倉城で歓待された。
その酒宴の中で細川家の家臣・某が、義久が「一重切(一節切)」の名手であることを承知していて、所望したというのである。義久は快く了解した。
細川護貞氏の著「細川幽齋」では「然らば所望にまかすべしといって、召しつれた家老・島津下野に、りゅうたつ節という小唄を謡わせ、一重切を吹かれた」と記されている。

大いに座が賑わったことが知れる。これは慶長六年の暮のことだが、この時期この「隆達節」が流行って居り、後には阿国歌舞伎踊歌に受容された。
義久は幽齋から古今伝授を許されている教養人である。
年は一つしか違わないが師弟の豊かな交流があった。義久は翌七年に隠居して龍伯と号した。
そんな義久の一重切に合わせて「隆達節」が披露されたと言うのだから、その内容をのぞき見したいと思うのである。

本屋をのぞこうか、Amazonにしようかと思案している。

付足し:定かな記憶がないが、三斎の養女・御三(細川行孝室)がりゅうたつ節が上手であったという記事を見かけた覚えがあるが、どこに記載されていたのか思い出せな
    いでいる。

 

 

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