津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■北の関事件の主役・三渕家の相談相手

2019-09-26 08:34:45 | memo

 以前「北の関事件、藩主の裁定」を書いたが、事件の主導的立場にあった三渕家当主の山名十右衛門重澄が、決起にあたって相談した人たちがどういう縁戚関係であるのかを知りたいとのお話しが在った。
それ等の人物は「細川綱利家譜」に名前が記されているが、十右衛門との関係には触れていない。
藤田助之進の娘との縁談のもつれが原因で起こった事件だが、その主・前川勘左衛門は山名十右衛門とは従兄弟の関係である。

ご質問にご返事を差し上げたところだが、朱書きがそのことを示している。当ブログでもここにご紹介しておく。
「前川与三兵衛重民(従兄弟)、其外縁家の長岡佐渡直之(義父)・津川次郎左衛門長房(義弟・十左衛門妹婿)・藤崎作右衛門直治(義弟・十左衛門妹婿)并、細川修理直(尚)房(光尚弟、室松井寄之女、十左衛門相聟)・長岡左門興知(室松井寄之女、相聟)此各江申談候」

ちなみに細川藩三渕家は、初代好重(細川幽齋末弟)が母方の姓を名乗っている(山名氏)が長岡の姓を給わっている。
2代之直、3代之政、4代重澄までは長岡姓を名乗っているが(本姓・山名氏)、傍流は前川氏を名乗っていた。
5代は傍流からの養子だが山名氏をなのり、6代目の及び三渕家を本姓としている。6代目澄定は朽木昭重(本姓三渕氏)男であり、山名・朽木両家の本姓三渕氏に戻したものと察せられる。

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