津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■隱見細倉記-1

2024-03-26 09:12:08 | 史料

      延享四丁夘年八月十五日 細川越中守
如例月次出仕之儀は諸大名不残事也 扨大廣間之面々は兼而申合ニ茂無之儀なれ共高位之御方ニ候ヘハ段々御上座ゟして御間定り
諸侯出仕の上大目附見繕あり 御禮始り候事也 細川越中守殿毎之通座席に着座 其以後
小用所に被参候処に 跡より来りし人や有けん
誰ともしらず抜打に首筋際に打懸たり 是はと思ひ給ふ内にたゝみ懸て左の肩へ切懸たり 越中守殿も我に覚る敵なし 全乱心人成べし
殿中と申兎角組伏ばやと思はれけ
れ共 其内手疵深ければ叶難く 如何せんとしばし立休らひ給ひし内に 誰いふとなく小用所に大乱也
と云声のしければ 御杉戸御番両人 御徒目附衆聞付け そうそう御目附衆へ告ければ 大目附石河土佐守殿 御目附中山五郎左衛門殿其
外追々馳集りて 土佐守殿越中守殿江向ひ被申候処に 誰人共不知 誠に血に染にたる如くなれば 御家名はと問し時 たへ/\しき声にて
細川越中守と答ふ 誰人討かけしやと尋の時 越中守殿答られしは 誰共見分けず上下着用之者なりとありしかば 夫より直に土佐守殿御
徒目付呼て 御坊主の分外へ散不申様に集め可置由 扨又御門/\を早速打せ申べし 其段達し候様にと 御目附衆より被申渡ければ 早速
申通して表玄関前御門より外 桜田迄の御門/\を打たりけり 越中守殿療治の儀は詰合の御医師衆に被仰付之 夫より切懸し人有べし
と大勢相尋しに ゑんの上に抜身の脇差あり 扨こそ此処に脇差あれば此近所外へは行まじ 殊更無刀と見へたり 隅々をさがせよとて尋
しに 小用所のすみに人あり それより御目附御徒目附よびよせ いかなる人ぞとそはせしに 修理なりと答ふ 御目附衆被申しは 如何敷殿
中も不憚かくの体は如何と被申しければ 修理殿被申候は 誰共不知自分へ切掛しにより私殊も討懸候となり 扨其元の髪は何とて切被
申候哉とありければ 人をあやめ立難く存候故 髪を切申候 それは何とて切被申候哉 其節修理殿被申候は懐中の鋏にて切しと答給ふ
全乱心と見えし上は御徒目附立寄 蘇鉄の間脇小部屋へ入置 御徒目附衆其外御小人目附付置るとなり

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