桜田門の変でおなじみの井伊家の上屋敷が、かっての加藤清正の江戸屋敷であった。
その名残として清正が堀ったという「桜の井戸」が残っているが、これは昭和43年道路工事に伴い動いている。
処で、清正時代の時代の表門は桁行10間ほどあったと伝えられる。櫓門で外向惣長屋など丸瓦には金の桔梗紋が施されていて夜中でも光り輝いていたという。
「事跡合考」には「この屋敷の表門の冠木に、清正長さ三尺余の黄金にて虎を作り紋とせり。然るにこの紋、朝日にて耀て品川浦魚驚きさりて猟すくなくなり、漁人殊の外渡世難儀のよし歎くに付、彼紋を放したるといふ事、往古より武家の口碑にのこるところなり」とある。
安藤広重の「東都名所」より「外櫻田弁慶櫻の井」 天保14年(1843)