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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「高輪皇族邸」は旧・細川家下屋敷

2019-05-02 06:28:57 | 歴史

 平成天皇の仮住まいとなるのが「高輪皇族邸」かっての細川家下屋敷の一部だとされる。
一番新しいところでは高松宮家のお住まいであったと記憶するが、昭和天皇の皇太子時代の御所であったこともあるようだ。
大変ありがたいことに「Google Earthで街並散歩(江戸編)」というサイトに「細川越中守下屋敷」があり、かっての下屋敷現在の周辺地の関係性がよく理解できる。

私は随分ながく二本榎通りに正門があったのかと思っていたが、下図のごとく北東側にあるところを見るとどうやら私の思い違いであった。
この絵図では敷地との関係が判らず、玄関の位置が現在のどの位置にあたるのかわからないでいるが、魚籃坂から入る道があったことが古地図で伺える。
ご存知の方はご教示いただければ幸いである。
本邸西側に裏向き屋敷が、南側には大規模な庭園が造られていたとされる。

                            

その敷地の中にある「大石良雄外十六人列忠の碑」がある場所は、能舞台近くの切腹の場所と理解している。
また旧邸内にあったといわれるシイの木高輪地区総合支所裏手の高台(高松中学西北角)にあるといわれるが、この絵図のどのあたりにあたるのか興味があるが、これもよくわからない。

細川家白金邸が「高輪皇族邸」となり、仮のお住まいとはいえ上皇の御所となるというのは感慨に堪えないところである。
至近の場所に多くの高層マンションなどが立ち並んでいるし、お隣は高松中学校がある。
今迄とは違う環境に戸惑われるかもしれないが、静かな生活をお送りいただきたいものだ。


                                            

                                                                                    「藩邸沿革」から引用             

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