津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■オークションの「宗門誓紙書物」をよんでみる

2014-03-04 11:35:27 | 徒然

  オークションに出ていた宗門誓詞書物を眺めていたら、面白そうに思われて読み下しにチャレンジしてみた。

 

                 宗門誓詞書物
               切支丹宗門就御改仕上請文前書

                私儀切支丹宗門持類族ニ而無御座候従前之禅宗ニ而泰勝寺
                塔中慈眼庵檀那ニ紛無御座候則檀那坊主ニ裏書判形取之
                差上申候勿論被 仰出候御觸之趣相守可申候若自今以後切支丹
                宗門之者有之彼宗旨を勧申といふとも決而同心不仕早速其段
                可申上候
                右之趣若於違背仕者
              沗茂
               梵天帝釈四大王惣而日本六十餘州大小之神袛別而熊野大権現
               春日大明神天満大自在天神 當國之鎮守阿蘇大明神藤崎
               八幡大菩薩各罷蒙 御罰於今生者受白癩黒癩之重病
               於来世者墜罪無門地獄更不可有浮世者也仍起請文件如
                右之通申上候而茂若心底ニ切支丹宗門を相守候儀茂可有之哉候彼宗旨之罰文
                仕上申候 

               ていうす ばてれん ひいりよす いりつさんを初奉りさんたまりやも諸/\のあん
               しよへあとの御罰を蒙りてうすのからさ絶はてしゆうたすの事/\たのもしを
               失ひ後悔の一念もきさゝすして人々の嘲と罷成終に頓死仕いむへるのの
               苦患に責られ浮事有御座ましく候仍切支丹宗旨のしゅらめん之件如

                 慶應元丑年十二月              長岡治部丞

                      田中典儀殿
                      沼田勘解由殿 

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■古今肥後見聞雑記から -- 熊本城内・地蔵門 名前の由来

2014-03-04 07:37:18 | 歴史

 平左衛門丸から一番南の竹の丸へ至るいくつかの階段の内、最初の階段のクランク状になった部分に在ったのが地蔵櫓門である。
熊本城が作られた茶臼山にはもともと寺院が在ったらしく、その遺構ともいうべき石材が利用されていた。
寺本直廉の記録からもうかがい知れる。 

   一、御城内地蔵御門柱の石は地蔵を彫刻ありし故に地蔵
    門と云由 此石四尺四方も可有石也銘に信心施主と有之
    地蔵之像あり大概五六尺計りの石を二ツに折たると見へ
    て右の石乃下の半分ハ手取口六さい御門の柱石に有り
    其銘曰(松)崎民部少輔藤原貞詮敬白とあり大友家の幕下
    の士松崎民部少輔と云し人是有たると云り 此條山戸氏書付予曽て聞り
    熊府の船場町一丁目の町裏に地蔵屋敷といふ所あり山崎の侍
    屋敷に境たり前々ゟ傳へ云しは此地蔵屋敷と云しハ古へ
    地蔵堂有し故也 然るに加藤公の節より廃せり今御城
    地蔵御門といふハ則此屋敷の地蔵也と町家の老人予ニ語
    れり 未た其実ハ不知と云共聞侭記之大工棟梁山木杢左衛門と云ものゝ屋敷裏なり

 こういう古い記録を読むと成程と思う事が沢山あり、いろいろ知識も増えて有り難いことだが、今度は六さい御門などが出て来てまた疑問が誕生した。

                      地蔵石   http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=419
                      地蔵櫓門  http://www.city.kumamoto.jp/nishi/html/shiseidayori/07/10/last/index.html

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