津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■武蔵のお墓は何処・・・・?

2014-03-17 11:13:34 | 人物

ブログ「徒然なか話」では昨日は、宮本武蔵と熊本のはなしを書いておられた。
お墓が武蔵塚・泰勝寺・西の武蔵塚といろいろある。遺骨が納めらえているお墓というと私の中では確定できないでいた。
寺本直廉の「古今肥後見聞雑記」に面白い記述があった。この記述によると、遺骨は泰勝寺に埋葬された(当時墓石なし)ようで、その理由として「武蔵には諸国に敵が多いので遺骨を掘り起こされるかもしれないから」という、光利(まだ光尚の名乗り前)公の深謀遠慮によるものらしい。
中々面白い話ではある。 

  一、飽田郡弓削村邊に松山の月に武蔵塚あり石塔五尺七寸程
    暑さ九寸計幅下の方にて二尺壱寸計り二重臺之上の臺石
    高壱尺五寸程幅三尺二寸四方下の■ハ四尺余也将棊頭也銘に云
            正保二乙酉年
      兵法第一 新免武蔵居士之墓
            五月十九日
    右武蔵塚明白なりといへ共予曽て聞しハ武蔵死去の時
    光利公御意にして此所ハ石塔にて等して骸骨は龍田の無雙
    寺境界に葬しと云墓石なし是 國君の賢慮ゟ出たり武
    蔵事諸国に為敵人多若又尋来り死骸を堀て仇を報ん
        イてかくハ被仰付しものならん
    事を恐れさせ及ふ故也ときけり

だとすると、「徒然なか話」でご紹介されている写真が、まさに遺骨が納められているお墓という事に成る。
しからば墓石はいつだれが建てたものであろうか。また疑問が生じた。

コメント
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