今日は史談会の3月例会、「熊本城下の坂」を楽しく拝聴して無事終了。いつもの如く近所のホテルで昼食、その後Dr.T先生とN君と三人で道家之山、神風連の鬼丸競、加藤清正の従兄弟・中川寿林のお墓を見ようと車を走られせる。頼みはT先生の記憶力のみである。
中川寿林だけが、余りにも道路が整備されていて先生のナビゲーションが機能せず、うろうろしたものの成果なし、再度を期すことにした。
途中では放牛地蔵を二ヶ所で拝見、峠の茶屋の近くでは、見事に咲いている木瓜の花に囲まれた夏目漱石の句碑を写真撮影・・・・
木瓜咲くや 漱石拙を守るべく
「増殖する俳句歳時記」には、次のように解説している。
花そのものではなく、木瓜(ぼけ)という語感に着目した句だ。「拙を守る」とはへんてこな意志と思われるかもしれないが、漱石のような才気横溢した人にとっては、おのが才気のままに流れていくことは、たぶん怖いことだったのだろう。才気には、知らず知らずのうちに現実から遊離してしまうという落し穴がある。小説家にしてみれば、この穴がいちばん恐ろしい。だから、どうしても「拙を守る」強固な意志を持ちつづける必要があった。「世間には拙を守るという人がある。この人が来世生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい」(『草枕』)。そして漱石ならずとも、現代人の多くはいま木瓜になるべきときかもしれない。シャープという名の小賢しさが一掃されたら、どんなに気持ちがよいことか。私が俳句を好むのも、俳人には「拙を守る」人がたくさんいるからである。とは、それこそまことに小賢しい言い方かもしれないが……。
天気が良くて汗が出るようなお天気、博識のお二人にいろいろ教えられてよい一日を過ごした。