一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

仕上げ

2013-05-06 18:44:24 | 雑記


     二分割の大型連休も今日でおしまい。
     (「二分割」は友人のことば)

     仕上げのつもりでお墓参りにいった。
     この表現もおかしいが、お彼岸にもいけなかったので
     少しは気にしていたのである。

     わが家の新設(3年前に設けた?)お墓は、横浜から出
     ている「みなとみらい線」の延長(渋谷方面)にある
     のだが、いままでになく電車が混んでいた。
     この春、「みなとみらい線」が埼玉方面とつながって、
     中華街などに繰り出すお客さんが多くなったらしいのだ。

     こちらは人混みにもまれるだけで疲れるので、あれも
     パス、これもパスして帰ってきた。

     ところで昨日のブログの「シェルブールの雨傘」の件で、
     友人からメールがありました。

     友人は学生時代に観たのだとか。
     ヒロインが美しかったことの他に、こんなことが書いて
     あった。
     「互いの子供たちの名前がフランソワーズ、フランソワ
     ということで、そっと微笑みを交わす場面が印象的」

     そうそう、ここがポイントでしたね。
     16歳と20歳の恋人の会話。
     「生まれる子が女の子だったらフランソワーズ。
      男の子だったらフランソワにしましょう」

     やがて互いに別の相手と結婚して、女性の方の娘には
     フランソワーズ、男性の方の息子にはフランソワと
     付けたのでした。

     そして友人はいいます。
     「そんなに笑えましたか」

     この友人は私より数倍も感性が豊かで、フレキシブル
     なのです。
     まして、観たのが20歳前後の学生時代でしょ?

     これはもう違って当たり前というところでしょうか。

     もう一つ付けくわえると、
     私は主演のカトリーヌ・ドヌーブより、母親役の女優
     さん(アンヌ・ヴェルノン)の美しさに魅入ってしまい、
     最初、彼女が主役だと思ったくらいなのです。

     そこで気づきました。
     私は娘の視点より、母親的な感覚で観ているのだと。

     やはり名画は(小説もだが)、若かりし日に観ておくべき
     でしたね。
     (これも終わってから気づくのです)
     

     ※ 昨日のブログ訂正
      ギイはおばさんの看護を手伝っていた娘と結婚して、
      黒塗りの車はベンツでした。
     

     写真はこの3月16日に横浜中華街と副都心・新宿および
     埼玉ともつながったという(駅ホームの)ポスター
     

     

シェルブールの雨傘

2013-05-05 18:11:50 | 芸術


    ゴールデンウィークもいよいよ終盤となった。
    これまでは客を案内したり、出かけて人と会うこと
    が多かったのだが、そろそろ元に戻さなければなら
    ないと思い、今日はあえて一人行動をすることにした。
    

    鎌倉に出ていくつかの用を足し、最後に川喜多かしこ
    映画記念館で「シェルブールの雨傘」を。
    (チケットは前もって買っておいた)

    近頃はとんと聞かないが、ひところ毎日のように聞
    いた(ような気がする)哀切な音楽である。

    1963年、フランス映画
    場面はシェルブールという港町。
    16歳のジェンヌヴィエーブ(カトリーヌ・ドヌーブ
    主演)と20歳のギイの悲恋物語である。

    ジェンヌは傘店の一人娘なのだが、母親は自動車整備
    士で低賃金労働者のギイを快く思っていない。
    そんなある日、ギイに召集令状がきて、最後の夜、
    若い男女は結ばれる。

    一人シェルブールに残された娘は彼からの手紙を心
    待ちにするのだが、それもだんだん間遠になって、
    食べ物も喉を通らなくなる。
    この時の母親の娘にかける言葉が傑作なのだ
    「恋で死ぬのは映画の中だけよ」

    病院にいって精神安定剤と栄養剤をもらってくれば、
    「疲れただけでは死なないわ」
    さらに彼から手紙が来ないのをいいことに、
    「きっと彼はあなたのことなんか忘れたのよ」
    などと、追い打ちをかけるのである。

    ところが笑いごとではなくなった。
    娘が妊娠していることに気づいたのだ。

    折りも折り、
    傘店の経営がうまくいかなくて、宝石商のカサールに
    買ってもらうことに。
    カサールは美しいジェンヌにたちまち恋をして、結婚
    を申し込む。
    お腹の子は「いっしょに私たちの子として育てましょう」
    といって。

    やがてアルジェリア戦争を経て除隊したギイは、真っ先
    にシェルブールの町へ。
    傘店には張り紙がしてあった。
    「閉店しました」

    自暴自棄となったギイは元の自動車工場で働きはじめる
    ものの、店主と喧嘩して飛びだし、娼婦と寝たり転落す
    る一方であった。
    そんな自堕落な生活をおくる彼を救ったのは、下宿して
    いた宿の娘さんだった。

    娘さんの母親が亡くなったのを機に、二人は結婚。
    二人の間には男の子が生まれ、なけなしのお金で買った
    ガソリンスタンドの経営も順調に。

    さらに年月を経て、
    雪の日、一台の黒塗りの車がスタンドへすべり込んで
    くる。
    「ガソリンはスーパー? 普通の?」
    ギイは、すぐにジェンヌだと分かった。
    彼女の横にはわが子である女の子。

    ジェンヌの方も、彼が幸せな家庭を築いていることを瞬時
    に理解した。
    最後の二人の会話。
    「しあわせ?」
    「ウィ、トレビアン」
    黒塗りの車は雪の中に消えていった。

    悲恋物語のはずだが、日本映画の演歌調といった湿っぽ
    さはない。
    ナレーションはなく、すべて会話がミュージカル仕立て。
    そのためか、悲恋というより、シャレたコメディー映画に
    思えてならなかった。

    これを20代、30代に観たらどうだったろう。
    あいにくシルバー世代となってしまった私は、ずいぶん
    笑わせてもらったのである。

    映画だから云えることなのだが、真面目になればなるほど
    人間って滑稽な面が出てくるのですよね。

    
    

    
    

    

  

    
    


    
    

    

世界遺産登録

2013-05-04 20:52:48 | 名所
 

     富士山が世界遺産登録の見通しとなったという。

     ゴミの問題、登山客のマナー、崩落や落石の危険性
     等々、大丈夫なのだろうか。
     それらが地元の人や自治体、ボランティアの人たち
     の地道な努力によって、少しでも改善された結果だ
     としたら、こんなめでたいことはない。

     心配されるのは、これによって登山客がどっと増え
     ること。
     日本中、いや世界からも注目されることによって、
     富士山本来の姿が俗化されるのではないかという
     ことである。

     富士山は古来から信仰の対象であり、霊峰として
     あがめられ、長い間、畏怖の対象でもあった。
     葛飾北斎の浮世絵と富士山とは切っても切れない
     関係にあり、一方で庶民派にとっては、銭湯のタ
     イル画としても欠かせない。
     

     現代でいうなら東海道新幹線であろう。
     新幹線の切符を買うときには無意識に富士山の見え
     る側をえらび、運よくあのお姿を見た日にはすっき
     りして、ラッキー!と思ったものだ。

     個人的には富士山は登るよりは、遠くでながめる方
     が好きなのだが、
     何といっても太宰治の
     「富士には、月見草がよく似合ふ」
     が印象的である。

     太宰はこう続けている。    

     「ねるまへに、部屋のカーテンをそっとあけて硝子(ガ
      ラス)窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士は白く、
      水の精みたいな姿で立っている。
      ああ、富士が見える。星が大きい」
      
                 (太宰治著『富嶽百景』より)

     
     ※ 写真は昨日、七里ガ浜から見た富士山
 

     

憲法67歳

2013-05-03 18:38:54 | 歴史


     今日は憲法記念日。
     毎年今頃になると政局がらみではあるが、
     改正すべきかどうか、議論が高まり、
     うやむやのうちにまた1年が経つということを
     ずっと繰り返してきた。

     そもそも現憲法は第二次大戦でアメリカに負けて、
     GHQ(連合国軍総司令部)が決めたもの。

     それから67年。
     国際情勢が大きく変わったにもかかわらず、
     占領下に決められた憲法を後生大事に護っている
     というのも無理があるのかもしれない。

     改正の核心はやはり9条であるから、そう簡単に
     はいかないのだが。

     もとに戻れば、
     憲法といっても、たかだか100年のちょっとの
     歴史しかないのである。

     チョンマゲを結っていた時代(江戸)から、ザンギリ
     頭の明治維新になって、すぐさま民主的な世のなかに
     なったわけではない。

     幕府崩壊に貢献した薩摩長州の藩閥政治がつづいて
     いて、庶民にはなんらいいことはなかった。

     憲法もなければ国会もない。だいたい選挙権だって、
     直接国税15円以上をおさめる男子にしかなかった
     のだ。

     そこで起こったのが自由民権運動で、すったもんだ
     の末、ようやく明治22年(1889)2月11日に、
     はじめての憲法ができた。

     ただしそれは天皇の定める欽定(きんてい)憲法で、
     おのずと限界があった。

     それから比べると現憲法は20歳以上であれば女性
     でも選挙権はあるわけで、ずっと民主的になっては
     いるのだが、多様化する世界情勢に合うかどうか
     となると、やはり、ここらでもう一度考えなおさな
     ければならないのかもしれない。


     第9条、自衛権の問題等々、国民が納得するまで、
     もっと議論を重ねなければならないのだろう。

     ※ いつも(バスに乗る時に)利用する鎌倉山ロー
      タリーにあるポール。
      「鎌倉山」の裏側に「2月11日建国記念日」と
      記されていて、それを見るたびに大日本帝国憲法
      のことがちらっと頭をかすめる。
      

     

     
    
     


    

こぼれ話

2013-05-02 17:33:09 | 雑記


     現在でも過疎地には分校があるのだろうか。

     これはもう半世紀以上も前の、田舎の話である。
     Y子ちゃんは小学校2年まで分校に通い、3年生から
     本校にいくことになった。

     その本校にはじめて行く日、雨が降って、なんと兄
     のお嫁さんの背中におんぶして登校したというのだ。

     本校までは約4キロ。
     お嫁さんは嫁(とつ)いだばかりの20歳くらい。

     Y子ちゃんは小柄でやせてはいるが、それにしても
     ……。重かったろうし、おんぶされているY子ちゃん
     だって窮屈だったにちがいない。

     お嫁さんとY子ちゃん、それに周囲の人たちの様子が
     想像できるようで、笑った後にはじ~んと胸が熱く
     なったのだった。

     私はというと、学校(本校)から歩いて10分もかか
     らないところに住んでいたから、今にして聞いて驚く
     話である。

     
     分校から来た生徒は男女合わせて12~3人いたであろ
     うか。
     学校の近くでぼんやりしている私なんかに比べて、みな
     しっかりしているような気がした。
     (現に家の手伝いもよくやり、頭のいい子が多かった)

     (くどいようだが、Y子ちゃんの家も浜が近かったので
      今回の津波で流された)

     
     あれこれ思い、最後に寄った鎌倉文学館の庭園で、
     「相馬」という名前のバラを見つけてびっくり。

     バラ園の見ごろは5月半ば以降で、まだ花には早かった
     が、プリンセス・ミチコをはじめ、イングリッド・バーグ
     マン、エリザベス・テーラーといった並みいる名称のなか
     で「相馬」とはまあ、
     どんな理由でこの名前が付き、いかなる花を咲かせるか
     分からないが、いつしか私の方が地味でスミマセンと
     つぶやいていた。

     ※ 写真は長谷寺の地蔵と孟宗竹の竹の子