現在でも過疎地には分校があるのだろうか。
これはもう半世紀以上も前の、田舎の話である。
Y子ちゃんは小学校2年まで分校に通い、3年生から
本校にいくことになった。
その本校にはじめて行く日、雨が降って、なんと兄
のお嫁さんの背中におんぶして登校したというのだ。
本校までは約4キロ。
お嫁さんは嫁(とつ)いだばかりの20歳くらい。
Y子ちゃんは小柄でやせてはいるが、それにしても
……。重かったろうし、おんぶされているY子ちゃん
だって窮屈だったにちがいない。
お嫁さんとY子ちゃん、それに周囲の人たちの様子が
想像できるようで、笑った後にはじ~んと胸が熱く
なったのだった。
私はというと、学校(本校)から歩いて10分もかか
らないところに住んでいたから、今にして聞いて驚く
話である。
分校から来た生徒は男女合わせて12~3人いたであろ
うか。
学校の近くでぼんやりしている私なんかに比べて、みな
しっかりしているような気がした。
(現に家の手伝いもよくやり、頭のいい子が多かった)
(くどいようだが、Y子ちゃんの家も浜が近かったので
今回の津波で流された)
あれこれ思い、最後に寄った鎌倉文学館の庭園で、
「相馬」という名前のバラを見つけてびっくり。
バラ園の見ごろは5月半ば以降で、まだ花には早かった
が、プリンセス・ミチコをはじめ、イングリッド・バーグ
マン、エリザベス・テーラーといった並みいる名称のなか
で「相馬」とはまあ、
どんな理由でこの名前が付き、いかなる花を咲かせるか
分からないが、いつしか私の方が地味でスミマセンと
つぶやいていた。
※ 写真は長谷寺の地蔵と孟宗竹の竹の子