一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

もどきの樹

2013-05-12 18:19:01 | 自然


     途中、用事があって2時間ほど出かけて帰ったら、
     まだやっていた。

     見たとき何と大げさなと思ったのだが、
     キリンの首のようなショベルカー(?)でトラックか
     ら樹を庭に下ろし、2人がかりで支えたり土を埋めたり。

     植樹したのは2種類で、ロドレイヤとブラシノキ。

     現地(造園屋)でみるとさほどではないが、こうして
     庭に持ってくると、思ったより大きい。

     それにしても、馴染みのない名前である。
     仕事の邪魔をしてわるいとは思ったが、あれこれ
     聞かずにはいられない。

     ロドレイヤは東南アジアや中国南部に分布する常緑樹
     で、(今年は終わってしまったが)春先に紅い花を
     咲かせる。
     今でも5mくらいあるのだが、もっと大きくなるらしい。     

     ブラシノキは オーストラリアに多く生え、森林火災
     の際に割れて種子を放出するのだとか。
           

     う~ん、いま一つつかみどころがない。

     釈然としない私の顔をみてか、こんな説明をしてくれた。

     ロドレイヤは樹性が日本のシャクナゲに似ているので、 
     「シャクナゲモドキ」とも。
     ブラシノキは春先に咲く紅い花が(瓶を洗う大きめの)
     ブラシに似ているので「ブラシの木」ともいわれる。

     ああ、「もどき」でようやく今回の珍種も私の腑に
     落ちたのだった。

     
     ※ 写真は雨の中の作業。「シャクナゲモドキ」を
       植えているところ。
       横にあるのは「ブラシの木」で、ブルーの長い
       のはショベルカーの一部。
    

     

庭師がやってきた

2013-05-12 17:19:43 | 自然


     昨日の日曜日、雨のなか庭師がやってきた。
     頼んでいた樹木を植えるために。

     職人の仕事は朝早い。来る早々9時には穴を掘り
     はじめてご覧のとおり。

     昔は植木屋といっていたが、現在(いま)は庭師
     というらしい。
     植木屋というと、年寄りの職人さんというイメージ
     しかないのだが、現在は高齢者を採用しないのか、
     若手のカッコいいお兄ちゃんばかり、それもこれも、
     単にこちらが年とっただけのことかもしれないが。

     黙々と作業をつづける2人の庭師をみて、思い出した
     ことがある。

     毎年必ず一度、さらに祝儀、不祝儀などの人寄せ
     (昔は結婚式も葬式も家でやった)
     には必ず植木屋が入った。

     子供の私は、(植木職人が)しょっちゅう手を休め
     ては煙草を吸ったり、お茶を飲んでばかりいるのが
     不思議でならなかったのである。
     

     いつ頃だろう。あれは怠けているのではなく、
     庭全体のバランスや、剪定の具合をみているのだと
     分かったのは。

     そして、現在、
     私は小説も同じではないかと思いはじめた。

     夢中になって書きすすめればいいというのではない。
     (才能のある人は別です)
     目をはなして遠景、近景をながめては構成を練りな
     おし、プロットを考える。

     宇野千代さんだったか、
    「筆がすすむときほど気をつけなければならない」と
     いっていたが、そういうことなのだろう。
     
     何のことはない、植木屋も小説家も同じ職人では
     ないか、と思ったことだ。