お雛さまを早く片付けないと婚期が遅れるという。
だが、もう嫁(ゆ)く当てもない私はもうしばら
く飾っておくことにした。
旧暦のひな祭りは4月9日だそうだが、まさか4月
までは置くつもりはない。
3月いっぱいくらいは「雛の月」として許される
のではないか。
そんな私の「ふふふ、の一日」。
先日も例の整体にいって「週刊新潮」を手にとって
ぱらぱらとめくった。
五木寛之のエッセイ「健康常識に逆らって」を読ん
で笑いが止まらなくなった。
一般に不道徳とかちょっとした非行は赤の他人から
すると痛快でたまらないものだが、
氏の常識もけた外れに可笑しいものである。
それを氏の文章に添って紹介しよう。
氏は一日に一食しか食べない。
午後目をさまし、夕方まで雑事をこなす。
FAXやら郵便物やら片付けないと、たちまち周囲は
紙の山となる。
夕方からは人にも会う。
夕食はきちんと摂るが、いつしか夜食になっている。
それからが本業で、深夜に書きはじめて気がついた
ら朝になっていて、風呂に入って寝るのくりかえし。
ある日の病院での会話。
「昨日食べたものをあげてください」「う~む」
「朝食から順に」「食べていない」
「昼食は?」「寝ていたから食べない」
「夕食は?」「夜食だけど覚えていない」
どうやら認知症の検査だったらしいが、正直に答えた
だけである。
一日一食で不自由ではないし、痩せた感じもしない。
頭は使うが、首から下は右手しか使わない。
歩数も一万歩どころか、千歩も歩いていないだろう。
決して健康とはいえないが、不健康ともいえない。
齢80を過ぎたらどこかしらおかしくなるのは当然で、
いくつかの不具合はある。
下肢の慢性的な痛み、前立腺の肥大、そのほか自覚
症状だけでも5つ6つはある。
徹底して調べたら20くらいは病気が見つかるだろう。
これでも出来るだけ病院のお世話にならぬよう、
努力しているつもりだ。
その努力は苦しみを耐え忍んでやっているわけでは
ない。
食べたいものを必死でこらえているわけでもない。
結果的に一日一食になったが、
もし食わずに生きられたらカスミを食って生きたいと
思うほどだ。
さらに氏の文章はこう続く。
周囲をみると、健康情報に振りまわされて生きている
人がいかに多いか。
もはや趣味がこうじて、命より大事な健康、といった風
情になっていて滑稽である。
かくいう氏は、そのうち一日無食の仙人になるので
は? と思うそうだ。
私はもう、「むふふふ」が止まらない。
思い出しては笑っているのである。
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