一難去ってまた台風。
こんどは台風25号の進路が気になる。
どうぞ被害が大きくならないよう祈るのみ。
話は変わるけど、
近頃急に手の衰えが気になる。
身近なことでいえば、
スーパーやコンビニなどでの支払い。
財布を出して、小銭を出すのに手間取るのである。
いつも行くスーパーでは、
(それが店の指導になっているのだろうけど)
こちらが財布を出すまえに
「ポインドカードはお持ちですか?」
と必ずいわれる。
こちらは
「ちょっ、ちょっと待って下さい」
といいながら、
あの薄いポイントカードを引っ張りだすのに
ちょっと手間取る。
焦れば焦るほど、余計に、だ。
ならば、
並んでいる間に、
前もって準備をしておけばよさそうだが、
両手に荷物などを持っている場合、
レジ台が空かないと手荷物も置けない。
よって、
自分の番がきて、毎回慌てることになる。
精算は
前もってこれくらいだろうと見積もって
札は用意しておくが、
小銭はレジの表示をみてから小銭入れを覗く。
それから慌てて出すから、
手がうまく動かず、遅い遅い。
老人の悪いところは、
自分のことを棚にあげて、
前の人がもたもたしているのを見ると
イライラするのだ。
そんなわが身をのろっていたら、
先日、整体に行って読んだ「週刊新潮」
が可笑しくてくっくっと笑ってしまった。
私が整体に行くのは腰痛のこともあるが、
五木寛之氏のエッセイを読みたいがため
でもある。
氏は80歳を超えられたであろうか。
(「青春の門」のイメージが離れないので
いつまでも若い作家という気がして
ならないのだが)
エッセイによると、
氏はコンビニのレジでいつも支払に困る。
あるとき、
小銭入れからお金を出そうとしたとき、
1円玉が床に落ちてしまった。
さて拾うのにも
氏は腰を痛めているので、
簡単にかがむことが出来ない。
レジは何人か並んでいる。
さあ、焦る。
そこで氏が取った行動は、
とっさに1円玉を自分の靴で踏んで
しまったというのである。
この場合、急場しのぎに1円玉を見ない
ことにしたのだ。
(氏は、間違ってもお金を踏むなんて
バチが当たるといわれて育った世代で
あることを強調している)
ところが、
後ろに並んでいる男の人が
「落ちましたよ」
といって、拾ってくれるわけでもない。
(この場合、拾ってもらうのも恐縮なのだが)
結局、なんとか支払を済ませ、
レジの女性がカウンターから出てきて
拾ってくれたという。
氏にとっては
冷や汗三斗というところだが。
これで解決することではない。
次回、コンビニを訪れた際、
また同じことを繰り替えすのではないか、
という悪のスパイラルにはまってしまうからだ。
ああ、
他人(ひと)ごとではない。
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