一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

はい、まだ生きております

2018-11-25 07:42:16 | 雑記



        昨日の午前中、ちょっと車で出かけたら
        NHKラジオで川柳講座をやっていた。

        どれもこれも「ふふふ」と笑うものばかり。

        その中で一句、心に残ったもの。

        「エンディングノート
              ちょっと芝居をし」

        (運転中なのでメモすることもできなかったが、
         確か、こんな句。
         間違いがあったらゴメンナサイ)

        というのは、
        エンディングノートではないが、
        私も「遺言」を書いたことがあるので、
        心情的にはよく理解できた。

        エンディングノートは「遺書」のようなもの。
        
        当然、改まって書くので堅苦しくなりそうだが、
        でも、家族に宛てて書くので、
        やはり、そこは親。
        少しくだけて(余裕をもって)芝居がかったこと
        も書きたくなる。

        芝居がかった?
        といっても、たいそうな事ではない。
        つまり、ユーモアのこと。

        そんなことがあった夕方、
        「遺言」を書くときお世話になった、
        法律事務所の担当者(60代前後の女性)
        から電話があった。

        「お変わりございませんか?」

        何しろ、2~3年に一回の電話である。

        ちょっと間があったが、
        ハッと思って咄嗟に出た。

        「はい、まだ生きております」

        つまり、生きているかどうかの安否確認
        なのだから、そう云うしかない。

        お互い、ハハハと笑って近況報告。


        私が法律事務所に何回か通って
        「遺言書」を書いたのは4~5年前になろうか。

        「死」を間近に感じたわけではないが、
        元気な(頭がしっかりしている)うちに
        「葬式」とか「尊厳死」といったことに
        自分の意思をしっかり書き残しておこう、
        と思ったからだ。

        ちゃんと弁護士立会いのもと、
        公正役場まで行って「公正証書」にして
        もらった。

        その際、知ったのだが、
        「遺言書」は事務的でどうしても堅くなりがち。
        心情といったものは入らない。

        どうしたものかと思ったときに、
        「付言」というのがあることを知った。

        つまり、
        家族宛てにひとこと付け加えるというか、
        私はA4紙に2枚くらい書いた。
        (それも「遺言書」と一緒に保存される)

        確かな記憶ではないが、
        (手元に控えはあるが、出して確認するほど
         ではないので)
        「私自身は自由に生きさせてもらって
         幸せであったこと。
         後は、姉妹家族仲良く暮らして欲しい」
        といったことを書いたと思う。

        そこで、
        最初の川柳にもどるのだが。

        まあ「芝居」にはならないが、
        ちょっと柔らかい表現にしようとしたことは
        確かである。

        だって、
        「私は十分に幸せだった」
        なんて、死ぬ間際に面と向かって云えない
        でしょう?
                
        TVドラマじゃあるまいし。

        でも、書くならOK。

        少し「芝居」をすればいいのだから。
    
        電話を切って、
        あらためて川柳を思い出し、
        「ふふふ」と笑った。


        ※ 今朝の月
          横に光るのは金星
        
        

        
        
        
        

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