「寂しくて、つまらない」
これ、私のことではありません。
ちょっと前に新聞に載っていた「人生
相談」です。
要点を書くと、
「夫はカメラなどの趣味をもち、あと
はパソコンに向かってばかり。
旅行に付き合う気はなし。
両親を看取り、娘や孫たちは忙しそう。
好きだった読書も目が疲れる。
寂しくてつまらなくて、どうしようも
ありません」
相談者は70代女性。
同世代でもあり、心境がよく分かるだ
けに身につまされます。
この場合、回答はだいたい決まって
います。
「友達を持ちなさい。
何か趣味はないのですか」
といったもの。
ところが、この日の回答は違った。
これも概略を書くと以下のように。
「人間は老境に入って、やがて死を
迎えるのではなく、その前に無境と
いうものがある。
虚無というのではなく、欲徳や執着
から解放される境のことをいう」
さらに続きます。
「無境に入ると、それまで思い悩ん
でいたことがウソのように消えて、
周囲を静かな目で見られるように
なり、他人を許せるばかりか、自分
も許せるようになる」
「そしてそのご褒美に、過ぎ去りし
日々の楽しかった出来事に記憶が
もう一度よみがえるようになる。
大丈夫ですよ。
寂しさやつまらなさは、いっときの
こと。
貴女にもいずれ、無境のときがきま
すから」
という回答でした。
(回答者は白川道という作家)
これが名回答か「迷」?かは分かり
ません。
私に分かるのは、
相談者はいま幸せなんだということ。
家族に不治の病の人がいたら、そんな
こといっていられませんから。
その日、その時を過ごすのが精一杯で。
そして、もう一つ、いえることは、
人間はどんな人にでも幸福、不幸が
ないまぜに押し寄せるということ。
私もこの歳(とし)になって、
ようやく分かったのです。
えっ、じゃ不平はいわないかって?
いえいえ、日常は文句たらたらです。
※ 2~3日前、近くの笛田公園の
横を通ったら、ゲートボール大会
でもあるのか、運動場にたくさん
の年輩者が集まっていました。
みなゼッケンをつけて、いくつも
のチームに別れて。
私には球を打ち興じる趣味はない
ので、ほほえましく横目にみて通
り過ぎましたが。
彼らにもみな一様に幸福、不幸を
感じるときがあるのでしょう。
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