地場・旬・自給

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紅茶を作る

2013-05-16 04:08:53 | 自給

摘み終わった茶葉1キロほど


製茶が終わり乾燥をしているところ


紅茶を入れたところの色

紅茶を作るために茶葉を1キロ摘んだ。日本茶にするには少し伸びすぎの、開いてしまった葉である。まずは実験と思いやってみた。山北に居たころ、一度やってみて、上手くゆかなかったので、今回はその反省を踏まえて、CTC製法でやることにした。以前、オーソドックス製法でやってみて、上手く行かなかったからである。いや、そういう違いがあることも知らなかった。ピンクの籠に摘んだのが、茶葉1キロ少しである。おおよそ1時間ほどで摘んだ。5月13日の午後である。そのまま陽の当らない窓辺に36時間置いておく。葉に風を当てて乾かすということになっているが、葉はここでも発酵をしているはずである。ただ乾かすより、徐々に湿気を抜いたほうがいいように考えた。3回ほど上下の葉を入れ替え変えた。最初の内は、手が濡れるくらい水分が出ていた。24時間ぐらいでも良いらしいのだが、葉の様子から、36時間を選んだ。

5月15日の6時30分から、葉を砕くことにする。今までの失敗からすると、ここで葉に十分傷を付けるということが重要ではないかと思われる。そこで、今回は大胆にミントチョッパーで細かくしてしまうことにした。30分もかからない簡単な作業で終わった。最初はこの後、練り込もうと考えたが、ただ刻むだけで十分な様子だった。ここから1時間から2時間の発酵をする。9時まで行った。様子を見ながらの重要な2時間だが、良い発酵という感じが、良くわからなかった。果物の香りがするということが書いてあるが、そんなこともなかった。かぶせたビニールに水滴がついたから、何か変化があったことは確かだ。外気温度は22度から始まり、終わるころには27度だった。ここから土鍋で温度を加え、発酵を止める作業を行う。ともかく焦げないように、弱火を付けたり、消したりしながら、手で温度を確認しながら、あまりに高くならない範囲で乾かしてゆく。原理からいって、90度を超えていれば発酵は止まる。

熱を加えているうちに、色ば赤茶色になり、香りも紅茶らしいものが立ち上がって来た。CTC製法のためだと思われる。20分ほどで、ある程度水分は飛んだが、乾燥とまでは行かない。新聞紙に広げて干すことにする。さっそく入れてみることにする。写真はガラスにそそいで見て、白い布を背景に色が良く見えるようにした。少し濁りはあるが美しい紅茶色である。色彩的には大満足である。誰が考えてみても、お茶の色ではない。紅茶の色である。いよいよ味である。これが驚いたことに、味も紅茶なのだ。誰が飲んだとしてもお茶ではなく、紅茶である。ではおいしいのかと言われると、これは難しい。香りが不足して居ることは確かだ。あの紅茶のふくいくたる香りの味わいには程遠い。人によって味の感覚は違うだろうが、ニルギルティーにしたらいいと思う。正直なところニルギィルティーが何たるかよく知らないのだが、銀座のカレー店ナイルで飲む、牛乳で煮出したお茶だ。あの味に一番近い。

その意味では味も合格の範囲ではないだろうか。砂糖を入れて飲むとまた違った美味しさになった。こうして紅茶を作って見ると、紅茶は日本茶より格段に楽に家でも作れる。紅茶も自給が可能なものだった。紅茶はお茶よりも、抗菌作用が強いとされている。インフルエンザ予防なら、紅茶の方が上である。カテキンもお茶同様たっぷりとある。カフェインもある。上手に飲めば素晴らしい飲料である。世界ではお茶の何倍も飲まれている。新しい自給の食品を一品手に入れた気がする。出来上がりで400グラムある。窓辺で2日乾燥させたらば、279グラムになった。200グラムあればと思っていたから、紅茶は歩留まりも良いようだ。昨晩ミルクを買いに行った。ミルクを買うのはたぶん、20年ぶりくらいだろう。今朝、ニルギルティーを入れてみた。この文章を書きながら、飲んでいる。少し渋いがなかなかのものである。

昨日の自給作業:紅茶作り2時間 累計時間:20時間
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形と色のこと

2013-05-15 04:06:47 | 水彩画
私が描く絵では色が重要な要素になっている。説明的な「かたち」はほとんど意味をなしていない。色で表わされているものは、筆触をもとにした調子を作る色である。画面全体の流れとか、動きは意識しているが、それは筆の調子で作られているだけだ。物の形とか、立体的な量とかは、考えることもない。だから物の形を説明するような意識も、意味もない。では何となく画面にある意味的説明は何なのかということになる。それは私の絵は私の頭の中にあるものだからだらだ。確かに風景のようにもみえるが、風景を頭の中でイメージしているものを写生していると言った方が正確だと思う。頭の中に想像するイメージは、人によって違うようだから、なんとも人のことは言えないが。私の場合、イメージを描いているのであって、実態を描いている訳ではないということになる。イメージは主に、記憶の集積である。新緑の芽の色と言えば、志賀高原の木戸池の今頃の色合いが浮かんでくる。久野で描くときにも、その色は大いに影響する。

このことを改めて考えたのは、車のキーの判別である。ケイトラのカギと軽自動車のカギがそっくりだった。つい間違えてしまう。それでどこが違うのかと見てみると、古いケイトラのカギは地金の色がわずか出てきていて、かすかに真鍮ぽい色そしている。軽自動車のカギはピカピカの銀色に光っている。これだなと思って色で判別していた。ところが、新しいカギも少しづつ光を失い、似たような色調になってきて、さらに間違うようになった。これは困ったことだと思い、他の判別方法はないか、改めて比べた。そうすると、実は形が全く違うカギだったのだ。上部に横向きのスリットがあるカギと、縦向きのスリットが両脇に入る形がまるで異なるものだった。3年近く使っていて、微妙な色の違いばかりに目を向けていて、この形の違いに気づかないということに驚いた。そういえば、自然を見ても同じことのようなのだ。

夕暮れ時におんりーゆーの露天風呂に入るのが好きだ。5時半から、7時まで露天ぶろで空を眺めていることがある。露天ぶろはケヤキや楢の梢で覆われている。夕暮れの空にこずえが新芽を出しながら伸びている。夕暮れの色の多様さも面白いのだが、新緑の甘い色調も得も言われぬ美しさである。暮れなずんでゆく。そして最後には真っ暗な夜空になる。今も頭の中にイメージとしてあの微妙な色合いは、変化とともに思い出される。ところが、どんな枝ぶりのケヤキなのか、その枝先の葉の形はどうであるのかは、思い出すことが難しい。水墨画のように暮れてきた空は、白黒のモノトーンではない。実に味わい深い清色である。こういう色を見ると、水墨画の中に色彩を見るなどと、わかったような絵の見方を述べる人間が、観念的にしか絵を考えていないといいたい。炭色は墨色としてみるべきで、そこに色彩を見ようなどというのは、衒学的な見方である。暮れなずむ闇の梢のほとんど墨のような色の中に、潜んでいる色彩にこそ惹かれるのだ。

これは水彩画を描いているからこそ、見ることのできる微細な色である。もしかしたら見えていなのに見ることのできる色である。形から見る人間や、調子だけで見るのであれば、見えてこない色である。シルエットになってくると、いよいよモノトーンの形が意識されるのだろう。こずえの枝ぶりとか、ケヤキの幹の形。水墨画の世界である。私にそういうことはどうでもいいことのようで、ケヤキの木肌の闇の中にに浮かび上がる色の方が思い出される。水彩画を描いているうちにそういう風によりなったのだと思う。こうした何色とも呼べないようなあいまいな色調を描いてみたい。曖昧な色というのとも違う、名前はないが私の中では明快にその色である。何か意味があるからという訳ではなく、興味が惹かれてやまないということだ。そうした色を通して自分の見えているものが、画面に表すことが出来ればというのが私の制作のようだ。
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欠ノ上田んぼ

2013-05-14 04:03:05 | 稲作

欠ノ上の田んぼの航空写真

欠ノ上田んぼは10家族で運営されているグループ田んぼである。農の会にある10のグループのうちの一つである。田んぼ部分が2反5畝でそのほか果樹畑が1反ぐらいあある。久野川中流域で、諏訪の原台地から久野川への傾斜地の河岸を切り開くように、田んぼが作られたのだろう。この場所は河原だったのではないか。棚田であるが、谷戸田というような閉じた環境ではない。河岸に4mほどの高さのコンクリート積みが続いている。大雨の時の川の増水を考えると、コンクリート河岸がなかった時代は田んぼは狭かったと思われる。川と反対側には、バス道路がある。ここはさらに高いコンクリートの石積みなので、その以前の形はさらにわからない。たぶん江戸時代初期だと想像するのだが、どうやって田んぼが広がっていったのかを考えると、興味深いものがある。川の反対側には子の神神社があり、バス道路を挟んでは、観音堂がある。たぶんこの地点の川には、水車がいくつかあったはずだ。

自給時代の人の営みを想像すると、自然の地形というものが、地域を作り出してきたという気がしてくる。食糧自給を考えると、田んぼの面積だけ人が住めたのだから、人口も田んぼの面積から逆算出来るぐらいだ。欠ノ上の集落はバス通り沿いから、諏訪の原の台地にむかっての南斜面に広がっているのだが、むしろ今集落があるあたりの方が、田んぼに良い地形である。住む家より田んぼの方が優先されたはずだ。田んぼに出来ないところに集落はあった気がする。私の住んでいる、舟原地区は欠ノ上とはお隣で、箱根山麓への取っつきにある。つまり山仕事が中心にあったのだろう。一寸木さんという、名字の方が古くから何軒も住んでいる。江戸時代からの名前だそうだから、山仕事と結びついていることは、間違えがないだろう。欠ノ上は町場に続く集落であり、田んぼはより重要な位置づけだったと思われる。

欠ノ上の田んぼをお借りしてから、4年目となる。徐々に田んぼの様子が分かってきた。川へ向かって、どの田んぼにも湧水がある。湧いてくる水だから、水質としては問題はないが、田んぼの水管理には注意が必要である。石積みが崩れかけているということが大問題で、毎年の積直しが必要である。これは段々畑で耕作するためには、どうしても必要な作業だ。石積みも上手には出来ないのだから、根気良くやる以外にない。水路に土砂がたまることも問題で、水路が高くなるために、石積みの裏に水が流れ込み土をさらってしまう。今年は冬の間に一番下に1枚2畝程の田んぼを作った。この場所は、田んぼに2か所大きな穴があいて居て、田んぼに簡単には戻せないと思われていた。しかし、毎年少しづつ作業して、ついにこの冬田んぼに戻した。湧水だけで耕作する田んぼである。昔は苗床として使っていたらしい。いつでも水があったということもあるのだろう。田んぼに大穴があいてしまい、通年の田んぼ管理が難しかったということもあるらしい。

田んぼ以外に一反程の柿と栗がある。ここは川からの空気の気持ちの良い場所で、道からも視界が遮られている。なかなか落ち着ける場所だ。だんだんに整備して行けたらと思っている。今年は、里芋、枝豆、安納芋を植えた。岩本さんというメンバーが、クリスチャンセンターのエルムというところに食材を提供して居るので、ここに少しでも材料を提供出来ればという気持ちである。柿の木の下に鶏糞堆肥を播き、トラックターを入れて3回耕した。ずいぶんと良い土になった。秋が楽しみである。昨年までは草管理だけで精一杯であったが、果樹の廻りを畑にしてくれたので、その分とても良い場所になった。欠ノ上田んぼのメンバーは、熱心な人が多いので、技術的にもすぐに高まるだろう。私も一緒になって研究して行きたいし、知っていることはすべて伝えたいと思う。
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憲法96条の改定について

2013-05-13 04:56:27 | Peace Cafe
安倍総理大臣は96条の改定を先行させようとしている。長嶋、松井の国民栄誉賞に96の背番号で登場した。なし崩し的に憲法改定に進もうという、正々堂々としない態度である。もし、憲法を改定する必要があるなら、国会議員の3分の2規定に従えばいいだけである。それだけの高いハードルを越えてもやらなくてはならない場合だけ、日本国憲法は改定するものだ。それは改憲内容とは別問題の日本国憲法の在り方である。たとえ、国会での発議があったとしても国民投票がまだあるというのは、危うい考え方である。国民はその時の雰囲気で、大きく流されるものだ。ヒットラーのやり方がそれである。独裁者が作りだす、特殊な雰囲気で国民を動かしてしまう。現在、意図的に尖閣や竹島問題が騒がしくなっている。社会の空気を動かそうという意図が背景にある。96条の改定である。何故、過半数でなく、3分の2になっているかと言えば、この憲法は政府を縛るものである。政府は縛られたくない。

96条の改定から、平和憲法廃止に道筋をつけようとしている。自民党憲法草案を見ればよくわかる。本質的に性格の正反対の新憲法を作るということだ。日本政府が革命を起こそうとしている。日本が軍隊を持つべきかどうか、平和憲法を守るかどうかの、日本の根幹にかかわることだ。96条を変えて、外堀を埋めるような姑息なやり方をすべき問題ではない。憲法は国民が政府に対し、このルールで国の政治を行うようにと、要請している文章である。国会議員が、このように変えたいなど、簡単に発案していいものではない。憲法と政府の関係の問題である。現在の日本の政治情勢は不安定なものだ。ついこの前まで、民主党が政権をとっていた。そして、自民党が3割程度の支持で、圧倒的多数の議員数を確保して、政権党になった。同時に、あれこれ多数の政党が登場している。国会運営は不安定で、今は自民党がアベノミクスで、株価と同時人気上昇であるが、いつ人気が下がり始めるかはわからない、浮つき相場である。

こんな日本の政治情勢で国会議員の過半数で、憲法を変更するなど、憲法をないがしろにしているとしか思えない。国会議員の過半数で憲法改定の発案が出来るとなれば、憲法が政争の具にされることになる。憲法は法律より一段高い政府に対する縛りの法律である。議員定数が憲法違反だから、憲法の方変えてしまおう。そんなレベルで、憲法をこのように改定したいなどという意見が、政府から出てきてはならない性格のものだ。憲法改定には、国民投票があるから大丈夫だという議論があるが、この点こそ危険である。憲法の国民投票の投票率が低くなることが予測される。例えば、30%の投票率だとすれば、過半数として、15%の国民の考えで、最も大切な日本の未来が変わるということになりかねない。自分の都合の良い方向にしたいと考える政府なら、あらゆる手法を駆使して、世論形成をする。国民は間違うものだ。

憲法改定の真の狙いは、国防軍を持つことによる安全保障政策の変更である。理想論的平和主義から、現実主義への転換と言えばいえる。しかし、軍事力による抑止の方針は、世界情勢では現実的ではなくなっている。各国が原子爆弾を所有するとなれば、日本が軍事力を持つことなど、効果的な抑止力とはならない。結局は日本も核武装すべきということになる。日本の平和理想主義も、抑止力としての良さが出てくる。北朝鮮のような国に対して何が出来るのか。中国による説得であろうか。経済封鎖であろうか。どの方法も効果的とは言えない現状がある。ミサイルによる、先制攻撃ということになるのか。日本が軍事的に優位性を続けるということは、やはり原爆を持たなくてはならない。これは世界が核戦争に巻き込まれる歯止めを一つ失うということだ。軍隊を持つべきだと考える人が、国会議員の3分の2になった時に政府が発案するぐらいが、日本の不安定な政治状況では、ちょうどいいところだ。それが日本のためだと思う。

昨日の自給作業:田んぼの石積直し3時間 累計時間:18時間
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沖縄こそ日本である。

2013-05-12 04:24:13 | Peace Cafe
私は中国贔屓である。大国の人らしい中国人が好きである。最近の中国政府はまるで、北朝鮮と同じようだ。沖縄こそ日本であると感じている。まさに日本であり、縄文時代より日本人が住んで来た地域である。中国には正しい歴史認識を持っていただきたい。尖閣問題で因縁をつけられた時から、いつか沖縄の領有権について、異を唱えるかと思っていた。日本政府は今がチャンスである。沖縄はどこからどこまでも、純粋な日本であることについて、世界にきちっと表明してもらいたい。アメリカに占領されていたからと言ってアメリカではないのだ。中国が多民族国家のためである。民族と国家というものが、別な状況である。そのために、中国人の中にある国家への所属という意味が、日本とは異なる。沖縄中国論である。

沖縄はどこを切り取っても、文句のつけようのない日本民族が暮らしてきた地域である。常に日本国の一部である。中国に朝貢する形でかかわった期間はある。この程度の根拠で領有権を主張する態度がおかしい。それ以前も、以後も日本そのものであり、出土品などからも、日本本土との文化的な交流の深さは、揺るぐこともない。もちろん中国との交流もある。東アジア全体の中での位置づけという視点で、沖縄という地域を確認することが出来るだろう。「グスク文化を考える」には、東アジアとの交流が詳しく書かれている。交流と国家とはまた意味が異なる。朝鮮半島やモンゴルやチベットも同様な歴史はある。それだけで中国であると主張することが、国家の意味を逸脱している。沖縄に難癖をつけるくらいであれば、台湾の国家としての独立を認めるべきだ。国家というものが、どういう歴史のもとに形成されるのか。それは、さまざまな歴史があるだろう。中国の主張する、沖縄が中国であるとの根拠は、中国に朝貢をしたという意味に過ぎない。

軍事的に強い古代中国帝国に対して、恭順を表明し、朝貢する。こうした外交行為だけで、中国であるということを主張するとすれば、問題は近隣諸国全体に及ぶ、ずいぶんとおかしな根拠である。日本民族が、何千年と沖縄諸島に暮らしてきた。それは、文化的にも民族的にもわずかの疑いもない。それが中国の顔色をうかがいながらであったとしても、日本であることに変わりがない。当時の中国の周辺国に対する態度は、今の中国よりよほど紳士的であった。日本や、日本民族というものは、中国のように、支配民俗が頻繁に変わり、国境も時代時代で、大きく変わるような国と違うのである。日本国は世界でも珍しいような固定的事例である。最近の血液の研究結果でわかるように、アイヌから沖縄まで、縄文以来の日本人なのだ。そこに様々な民族が流入したのだろう。中国人も、朝鮮人も、日本列島にやって来たに違いない。しかし、大きな枠の中では日本人に順化してきたのだろう。

弥生人が日本列島に稲作文化を持ってやってきた時代が一番の激動期であっただろう。これが北海道を除く日本全土に広がり、沖縄にも稲作文化が根付く。稲作文化を日本全土に広げていったのは天皇を中心とした勢力であり、のちの大和朝廷と言ってもいいのだろう。その意味で、沖縄に稲作文化がほとんどなくなってしまったことは惜しいことである。「おもろそうし」の研究により、沖縄の古い時代の文化の意味が見えてきたのである。沖縄の風景・天象・戦争・神話について歌われている。1531年、1613年、1623年の3回に渡って集録した総計1554首の歌謡を収めている。沖縄の万葉集と言っ手も良いものだろう。ここで使われている、沖縄古語がむしろ大和言葉の原形を残しているとされている。どうも正しい歴史認識というものが、身勝手な主張のために持ち出されるのでは、残念ながら、中国の国家の品格が怪しげになってゆく。日本も人の振り見てである。
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国家資本主義と憲法改定の問題

2013-05-11 04:28:55 | Peace Cafe
日本やアメリカやEUはグローバル資本主義国といってもいいのだろう。中国やロシアは国家資本主義の国のような気がする。この違いがこれからの世界経済において、最大の課題ではないだろうか。韓国の場合どちらに入るのだろうか。国を挙げて特定の企業を押したことは確かだ。そしてその企業が世界経済で頭角を現した。韓国としては予定通りの成功なのだろうが、そのことが韓国という国にとって、善悪両面がある。それだけでは、国家資本主義ともいえない。グローバル企業は国を超えた存在である。自己利益を最大化するチャンスを求めて、いつでも、どこへでも移動する。一方、従来の国家は地域に縛り付けられ、国民を背負い込んでいる。国境を越えると言語が変わり、通貨が変わり、法律が変わり、思想が変わる。グローバル企業にとって、国家の存在はやりにくい枠組みである。できることなら、全世界を商品と資本と人と情報が自由に行き交う統一国家の方がいい。と世界企業は考えるのだろう。

自民党の新憲法草案は、扱いにくい日本人を、どうやって世界企業に都合のよい日本人に変えるのかを定めたものである。人権の尊重を求めず、社会福祉には頼らず、劣悪な雇用条件にも耐え、上位者の指示に従い、国防軍に馳せ参ずる人間。これが安倍自民党が改憲を通じて日本国民を従わせようと迫るものである。いつでも都合良く憲法を変えるべく、96条の改定から始まるのである。

韓国も、中国も国を挙げて企業を支援した結果、国内には矛盾ともいえる様々な問題を抱えた。それ以外に競争力を高めるという道が無いということで、国民はさまざまに負担を我慢してきたと思われる。もちろんそのお陰で豊かさのお裾わけにもあずかれるのだろう。しかし、サムスンが韓国の国益を超えて、行動を始めたときどう考えれば良いのかである。その点、ロシアや中国の国営企業は国家と一体化したような企業である。資本主義国家以上の個人の富裕層が登場している。富裕層と国家権力が結びついて国を運営している。この国家資本主義とも言える新しい形はシンガポール、ベトナムのドイモイ路線、プーチン政権のロシアなど、さまざまなパターンがあるようだ。そして矛盾の矛先が、日本という、先に成功した国に向けられている。

勝者がいれば、敗者がいる。勝者が1人居れば、敗者は10人はいる。能力があるものがいれば、能力が無いものもいる。能力が無いのだから、敗者になるのも仕方がない。それでいいのだろうか。そういう社会が暮らしやすい社会だろうか。田んぼをやるときには、さまざまな仕事がある。田んぼの中に入れない人にも、やるべき仕事はある。しかし、会社のような組織になれば、有能な人が必要な数だけいればいいだろう。社会が高度化されるに従い、能力のない人はいらない社会になる。当然のことであるが、能力のない人の収まりどころがない。能力主義は最後の差別だそうだ。一体こういうことを人類は超えられるのだろうか。少なくとも、企業としてはより能力主義を徹底した者が勝者になる。この企業の当然の在り方が人類を不幸にしないか。

勝者の国と、敗者の国を作るということは、世界の人類にとって正しい方向なのだろうか。各国、各民族、それぞれの特徴がある。資本主義的能力ですべての人類に序列を付けるようなことが良い結果を生むとは思えない。競争原理にも、一定の枠を設ける必要があろう。例えば食糧生産などは、その国、その民族の自給ということが守られるようにする。自給したいという方向は、経済的平等を超えて尊重される性質のものではないか。その方が、お互いのために違いない。能力というものを企業的な論理で、色分けしてしまうことは、人間としての重要な資質を阻害していることになる。それぞれがそれぞれの能力に併せて、生きてゆける社会の方がよい社会だと思う。それは国という単位も同じではないか。企業と国が一体化したような形はその国をとてもつまらない国にしてしまうことだろう。
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憲法96条の改定について

2013-05-10 04:07:57 | Peace Cafe
国会において、憲法審査会が開催された。96条について各党から意見が出された。自民党、維新の会、みんなの党が、96条の3分の2条件を過半数に変えることに賛成ということだ。これほどひどい憲法論議を聞いたことがない。9条を変えようという考えで意見が分かれることは良くわかる。9条を変えて、国防軍を持ちたいという政党があることは理解できる。しかし、そのために外堀である96条の方を変えようという、考えは政治家の劣化を表している。自民党などは、国民の意見を聴くなどと、いつもとは全く違う論理を持ちだしている。原発の是非の国民投票をやれと言っても、やらないのが自民党であろう。9条を変えたい。さらにいえば、権力を縛る憲法から、国民を縛る憲法に変えたい。こういう意図が自民党草案にはあふれている。そのために、あえて国民の意見を聞くべきだなどと、心にもないことを言い出している。全く卑怯なやり方ではないか。

96条を緩和したいという背景には、国会議員の意思によって、気軽に憲法を変えたいという意図がある。3分の2要件が重すぎて、憲法を変えるとことが出来なかったという認識がおかしい。それは日本という国の政治状況が、そうだったと考えるべきだ。世界では3分の2の国会議員の要件を持っている憲法が多い。日本と似た状況で、憲法を作ったドイツもそうだ。明治憲法、大日本帝国憲法も同じである。アメリカに押しつけられたという訳ではない。改正について、3分の2要件は世界でも多くの国が取り入れている、優れた考え方である。それは憲法が法律のようなレベルで改定されるのでは、国家としての品格が疑われるということだ。日本は平和国家だと考えていたら、政権が変わったら軍国主義になったというのでは、付き合いきれないということになる。国民の投票権に対し、議員配分が憲法違反だと最高裁から言われたら、憲法の方を変えればいいということになる。

国家の尊厳を高め、尊敬される国になるためには、軽々しく憲法を変えるような国であってはならない。いくら、9条を変え、軍隊を持ちたいからと言って、96条を変えるということはまた別問題である。現実に、3分の2要件を持つドイツも60回も憲法の改定を行っているという。もし国会議員の3分の2の発案が9条に対しても起こるようなら、そういう国なのだ。それはそれであきらめるしかない。しかし、現在の小選挙区制であるなら、議員配分は時の運のようなもので、大きく揺れる。今回の自民党のように、30%の投票数でその倍以上の議員数を確保することもある。幸いなことに、2院制であり、しかも参議院は半数づつの改選である。その時のムードで間違う可能性が制御されている。しかし、これが過半数で憲法を変えられるようになれば、何が起こるか分からない。安定性のない国になることは間違いがない。

国防軍が3分の2の議員に支持される可能性を、自民党が感じていない。つまり、その位この問題は意見が割れている。意見が割れている場合、せめて、国会議員の3分の2になるまで議論を詰めようというのが、知恵であろう。日本の平和憲法は、夢のような理想論であった。敗戦から国を立て直し、新しい国をやってゆこうという理想主義の憲法である。確かに現実的ではなかった。しかし、この間、世界情勢が変わってきた。戦争をすれば、世界が全体破壊されてしまう。原爆の所持を北朝鮮まで行った。抑止力の意味が変わってきている。むしろ、理想主義であった日本の平和主義が、現実を動かす力を持ち始めている。中国の軍事的拡張主義に対して、日本が対抗して軍事力を強化することが、日本の安全保障とばかりは言えないということである。議論が不足している。もっともっと話し合う必要がある。それを否定するのが、憲法改定多数決論である。

昨日の自給作業:田んぼアラオコシ4時間 累計時間:15時間
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通院しなかったら10万円

2013-05-09 04:26:45 | 身辺雑記
財務大臣の麻生氏が老人医療費を抑制するためのアイデアとして、70歳以上で1年間通院しなかった人に、10万円プレゼントという奇案を述べた。正直70歳以上と言っても農業者なら現役平均年齢である。はたして私は後、7年と3カ月元気に働けるだろうか。昔から病院には行かない。前回お医者さんにかかってから、15年は経つ。医者に殺されないためである。慶応病院の近藤誠先生がそう言われている。「医者に殺されない47の心得  医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」ベストセラーである。「それでもがん検診うけますか。」という本を30年前に読んで影響された。病院嫌いにとって実に都合の良い本だ。検診を熱心に言われている医療関係者には、苦々しいものに違いない。医療というものは、ありがたい、素晴らしいものである。母も、父も病院で御世話になったので深く感謝している。そして、家で一緒に暮らす中、覚悟はしていたが両親とも見送ることが出来た。

医療に関しては、それぞれが命の覚悟の上で、考えないといけない。私は虚弱児童であると、通信簿に書かれていた。小学校のころは、良く休んだ気がする。体も弱かったが、頭の中が何が何だか混乱して、思い出せない期間がある。中学に行ってからも、聖路加の神経科に行かされたから、何か頭に問題があったのだろう。若いころ東京に居たころは、風邪ばかり引いていた。熱とせきがいつも出ていたような、苦しいところがあった。結核だと船医だった人から言われた。絵の描き方が良くなかったと思っている。その後30代後半に山北に移ってから、病気らしい病気をしたのは、1度だけである。帯状疱疹である。胸の廻りを一周するように疱疹が出来て、苦しかった。その一回だけである。亡くなられた中井のシオン先生の所に行った。先生とは自給農仲間の意識があったので、薬を使わないようにお願いしてから見てもらった。針治療をしてくれた。漢方薬を頂いた。

だから、もう20年近くおかげさまで病院とは縁がない。今後も出来る限り病院とは関らないで行こうと考えている。10万円くれないでもいいのだが、医療保険料の方は、なんとも変だと思っている。病院にはよほどのことがない限りかからないと覚悟を決めて、自分なりの健康法を進めている。一方に、不養生をして体を痛めつける暮らしをして、病院に行き薬をもらっては暮らしている人もいる。これは公平とは思えない。会社勤めで、労働基準法違反の労働を課せられ、ストレスをためて、病院に入院する。退院しても、同じような過酷な勤務を変えることが出来ない。こういう人と私がなぜ同じ、医療保険の範囲なのだろうと思う。別枠を設けてほしいぐらいだ。身体を労わりながらも病気になる人は、当然保険の範囲だ。めちゃくちゃの生活をする人は、自業自得の面もある。望んで病気になる訳ではないので、仕方がないとも言えるが、何か一工夫はあると思う。

10万円もらいたいので、行くべき病院に行かないので、病気が深刻化して、医療費が尚更かかるということが起こるだろう。医療は病気になる前の問題だ。予防医療ということが重要だ。誰だって苦しい病気になりたくない。どうすれば健康な暮らしを出来るかに力を入れれば、医療費は削減できる。一人ひとり違うと思うが、自分の身体について知識を持つことだ。毎日体重を量る。体脂肪や、血圧。血糖値、こういうものの測定をする。機器は行政が貸し出す。そして自分の身体を内観する。健康のための暮らしを規則正しく送る。体重計に乗れば自動的にデーターがセンターに送られる。こうしたデーターを、継続的にに健康センターに送り管理してもらう。そしてデーターに変化があれば、生活指導をする。データー測定をして、自己管理をきちっとしている人の保険料と、しない人の保険料を変える。
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裁判員制度

2013-05-08 04:42:13 | Peace Cafe
強盗殺人罪などに問われた被告に死刑を言い渡した今年3月の福島地裁郡山支部の裁判員裁判で裁判員を務めた60代女性が「急性ストレス障害(ASD)」と診断された問題で、女性が7日午前、慰謝料など200万円の国家賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。裁判員制度を「憲法違反」と主張、裁判員法を成立させた国会の責任も追及する。2009年5月に裁判員制度が始まって以降、裁判員経験者が制度の是非を問う初の裁判となった。女性は、新たな苦痛が伴う提訴にためらったが、制度が国民のためになっていないと思い決断した」と語った。毎日新聞

裁判員制度は良くない制度である。早急に廃止すべきだ。こういう被害がいつ起こるかと思っていた。裁判員制度は日本には適当でない制度だと思う。裁判は裁判官という訓練を経た専門家が行うべき制度である。裁判員は本来見たくないような画像と真剣に向き合わなければならない。殺害現場における、殺害状況の細部まで、判断を要求される。もう一つの不安は、絶対の真実を判断するなど、出来るわけがない。本人が自白していたとしても、証拠がたくさんあったとしても、人を裁く判断など私に出来るわけがない。心ならずも、死刑判決を下すことに加われば、苦しむことになるだろう。私は死刑は必要だと考えているものだが、それでも本当の終身刑があれば、被告が選択が出来るようにしたらどうかとぐらいは思っている。終身刑の方が残酷な刑罰にも思えるからだ。私は拒否することに決めている。あらゆる理由を付けても、嘘をついても拒否したい。こんなことで嫌な思いをしたくないので、当たらないように祈っている。

アメリカやイギリスの裁判の詳細は知らないが、テレビドラマによると、陪審制度というようだ。裁判官とは別に有罪、無罪だけを判断する。量刑については、専門家の裁判官が判断する。しかし、素人が判断するために、弁護士の演出家的能力が問われるようなことに、ドラマではなっている。実際にお金持ちは良い弁護士を雇い、無罪になると言われているらしい。いずれにしてもあまりにひどい判断と裁判官が考える場合もあるだろう。後で覆ることもあるのだろうか。実際にアメリカでは無罪の人間が死刑にされてしまった事件がある。後で真犯人が出てきたのだ。こういう冤罪事例が何件もあるらしい。NHKによると124人という。陪審員は責任を感じるに違いない。生涯悩まされる人もいるに違いない。そういうことに頭を悩まされること自体が嫌だし、そんなことを国民の義務にしてしまうというのもひどい話だ。

アメリカの陪審員制度は、アメリカ型民主主義と結びついている。教育委員会や農業委員会の制度である。日本では民主的に委員が立候補し、選ばれるような状況には根付居ていない。形式民主主義。学校教育を地域社会の責任と管理下に置くという発想は良いが、実際には教育委員が、各地域の学校と結びついた形で、活動するようなことになはならなかった。裁判員制度もそうだと思う。一般住民が犯罪者と向き合い、判断するということで、司法を民主化するというか、司法を別世界から一般社会へ持ってこようということなのだろう。しかし、そのようなことには日本ではならない。国民の義務となれば、命ぜられれば断りにくいが、司法がこれで変わったとは、到底思えない。司法制度での問題は、検察の偏向をどのように防ぐかである。そして検察審査会である。小澤氏を支持する訳ではないが、ああした形での政治家の足のすくい方は良くない。裁判で無罪になってすら、報道機関は犯罪者だがごまかしたごとくの扱いである。すべては検察の筋書き通りである。

裁判をされている犯罪者を見たくない。悪い気にあたりたくない。こういう思いもある。元気のない人と接して居ると、元気を吸い取られる。悪い人と接して居ると、悪人の発する気に影響され、不愉快になる。良い気を育てるには、元気な人と接して居ることだ。確かに生きていれば、とんでもない人と出っくわすこともある。出来る限り静かに、関わらないようにする。屋根を塗り替えませんかというような、セールスに押し掛けてこられ、一日絵が描けなくなるということがある。嫌な思いをしただけで、絵を描くことはできない。自分の中の感じようとする避雷針のようなものが、乱れてしまい、機能が戻らない。情けないことだが、そういう能力しかないと思って、嫌な気を発するような場面は出来る限り避けるようにしている。
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犬のこと

2013-05-07 04:09:50 | 身辺雑記
我が家には3頭の犬がいる。10歳、9歳、3歳となった。年齢が気になるのは先には死ねないという気持ちがあるからだ。今のところどの犬も元気である。それでも10歳を超えると年寄りの犬になる。犬を飼う以上10歳以上寿命は責任だと思っている。その前に死んでしまえば私の何かが悪かったということになる。そういうつもりで飼っている。良い飼い方をしていて、先天的な持病などなければ、たいていの犬は10歳は越える。それでも20歳を越える犬は極めて少ない。だから、私自身が20年生きる自信がない場合は、新しい子犬を飼うことはできない。寂しいことだが、受け入れるしかない。本当のところは、3歳の福ちゃんは飼うつもりはなかった。今でも預かっているつもりである。ただ、預かった先がよくわからないのだ。



10歳を超えたのは、「どんちゃん」である。どんちゃん騒ぎをしているのでそういう名前がついている。メスでブルドックとブルテリアの交配をしたものである。和歌山の方でそういう交配をした人がいたのを、インターネットで見つけた。ラブラドルが2頭相次いで死んでしまい、何か飼いたいと探していた。以前から興味があった交配だったので飼うことにした。ブルドックは中学生のころ飼っていたのだが、とても弱かったので、もう一度飼う気がしなかった。ブルテリアも飼ってみたいと長年思っていたのだが、遺伝的な病気なども気になり、飼えなかった。そこでこの二種の交配種なら、丈夫で面白いだろうと考えた。性格のことである。ブルドックの犬らしからぬ、自尊心の高さが好きだ。そして、ブルテリアの愛嬌のある風貌や性格も興味がある。ラブラドルばかり飼っていたので、今度はと思っていたら、こういう交配をわざわざした人がいたのだ。これを闘犬のための交配という人がいるが、ありえない誤解だ。実に臆病で弱い犬である。そして特徴は人間好きである。人間に興味がある。自己主張が強く、わがままである。そこが飼ってみたかった性格である。



9歳の犬はアメリカン・ピットブルテリアである。どんちゃんがメスだったので、オスを探したのだ。名前は雷田である。雷の鳴る日に来たからだ。雷は田んぼの豊作を意味する。犬は1匹で飼うものではないと考えている。犬同士の付き合いが大切である。そこで、似たような犬を探したのだが、どうしても見つからず、京都にピットブルのブリーダーがいて、この方は、ピットブルの闘犬という誤解を解こうと頑張っている人だった。グローリータッズ犬舎というところだ。ショータイプのピットブルはおとなしく、飼いやすい犬だと考え、日本で犬種として認めさせようと頑張っている人だった。これにはちょっと打たれるものがあり、それならこの犬種にしようと考えた。ピットは闘犬という汚名を着せられた不幸な犬である。今では、ショウタイプの愛玩犬が主流で、これほど頭の良い、性格の良い犬はいないと思う。いつか日本でも主流の犬種になるだろう。長年ラブラドルを飼っていたのだが、頭の良さはラブラドル以上である。確かにラブほど従順ではないが、飼い主に対しての向かい合い方は、とても本気でまともである。



そして3歳の犬がセントバーナードである。メスで南相馬の誰かから預かっている犬である。預かっているのだから、返すつもりであるが、どうもそうはなりそうはなりそうもない。事情が許される限り飼い続けるつもりである。メスで50キロぐらいの体重で小さい方だと思う。性格はおとなしいのだが、甘えすぎる犬だ。寂しい思いをした犬は甘えるのは仕方ががいことだ。誰とでも、どこの犬とでも仲良くしたがる。飼いやすい良い性格の犬には違いない。騒ぐこともないし、散歩もしやすい。力はさすがに強いが、逆らうようなことはないので問題はない。雷田と仲良くならないところに困っている。福は仲良くしたいのだが、雷田がどうも駄目だ。大きいので、怖いのだろう。実際は攻撃性がないので、その内仲良くなるだろう。餌は意外に食べない。雷田と同じくらいである。
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学校5日制

2013-05-06 04:14:50 | Peace Cafe
学校5日制になって、また6日に戻るようだ。理由は学力が低下した為とされている。これは間違いだ。授業など増えたところで、学力が上がるなどあり得ない。勉強とは自分でするもので、したくなければやるべきものではない。義務教育というものは、親の受けさせる義務で、子供に受けなければならない義務などない。これは私の中学生の時の屁理屈であるが、今もそう思っている。学校で教えてくれることなど知れている。そんな物が役立つのは、受験のときだけである。しかし、自分で知りたくて学んだものは、実に役立つ。だから、学校など週3日ぐらいにして、後は子供の自由選択にしてもらいたいものだと考えてきた。週5日制が教員の労働条件の改善と結びついたところが、間違いだった。子供のために学校へ行く日を減らすべきなのだ。そんなことをしたら、企業に役立つ人間が出来ないと、たぶん政府は思いこんでいる。知識を詰め込んで競争させて、嫌なことにも耐えうる人材を企業が求めていると思い込んでいる。たぶん世間でもそういう人が多いだろう。

大きな間違いである。ノーベル賞を採るような人がいやいや勉強をしたなどということは、ありえない。未来を拓く企業が必要としているのは、未知の創造的な発想を持った人である。やりたくて自ら勉強をした人の世界だ。中国や韓国は強烈な受験勉強の競争を行っているが、ノーベル賞受賞者は居ないようなものだ。本当に未来を切り開くような学者は、学校教育の詰め込みなどで出てくる訳がない。オリンピックの金メダルとは違うのだ。今だかつてないものを発想する能力は、感性の問題である。そういう人間が生まれるためには、子供のころから、新発想の感性を伸ばすことだ。押しつけ、詰め込みは、無駄な努力である。農業をやって居るとそういうことは良くわかる。優れた農業者が、受験教育の場面でも優れていた、などということはない。

先日、自然農法の石綿さんから、自然農法をやっていながら、猪が採れないようでは話にならないと怒られた。石綿さんによると、子供のころシートン動物記を読んでいないからいけないということだ。私は石綿さん以上に、長時間シートンを読んだ。しかし、猪は捕れない。石綿さんは実際的にイノシシに対しながら、読んだということだろう。学校など3日ぐらいにして、あとは自由に好きなことを好きなだけやれば、人間本来の能力が育つ。その好例がフィンランドである。学力が世界で一番高いとされる国である。フィンランドの学校は、年間授業日は190日ほどである。日本より40日ほど少なく、先進国中最低の日数である。塾もなく、校外や家庭での勉強時間も低い。生徒たちがソファーで休んだり、授業中に歩き回ったり、友達同士で教えあう授業風景だという。16歳までは他人と比較するためのテストはないし、長期的な能力別指導や順位付けも否定されている。

教育とは何かを、それぞれの立場で、実際的に考えてみる必要がある。日本社会が失っているのは、新鮮な発想である。今だかつてない世界に取り組む勇気がない。そのために、ありきたりの先入観に縛られて、授業時間が長ければ、能力が向上すると思い込んでいる。日本人が能力が高かったのは、自然に密着しながら、近代社会を構築したからだ。里地里山の中に暮らし、田んぼや畑に接しながら暮らした。俳句や、版画を日常的に作りながら、勉強をしたから他民族にはない、素晴らしい発想力を持てたのだ。そうした独特の感性の養い方が、西欧諸国にはない自由な発想を生み、産業的にも先端を切り開くことが出来た。それが、学校のつまらない勉強に追われて、大体のところ失われている。まずは、親が週に2日子供と過ごせないという現状がある。忙しい社会である。だから、学校に行かせて置いた方がましだ。こんな親の暮らしでは、この先はますます危ういだろう。

昨日の自給作業:草刈り1時間 累計時間12時間
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子供の日の子供人口減少

2013-05-05 05:10:29 | Peace Cafe

去年の代かき

人口問題研究所がこれからの日本の人口推計を発表した。2010年に1億2806万人の日本人口は30年に1億1662万人と減り始め、50年後の60年には8674万人になると予想されている。50年で4000万人の日本人が減少する。人口のピークが過ぎたために、急にこのことが話題になり始めた。人口問題研究所では以前から、人口減少を予測していた。インターネットで公表されていた。ごみの広域処理が15年前に問題になり始めた。ところが、神奈川県ではどこの自治体も、人口は増加することへの対応ということで予測を立てていた。人口が30%減れば、ごみも30%減らなくてはならない。必要以上の規模の焼却炉を作ることは、無駄だと繰り返し抗議をした。無駄であるどころか、ごみを他所から集めて、連続焼却せざる得なくなる。埋火事、立ち上げ時に焼却は問題がある。ところが、小田原市を始め、どこの自治体でも努力をして人口を増加させるから大丈夫だと答えていた。

何が大丈夫な訳かと思っていたが、案の定小田原でも人口減少は始まった。人口減少が実際に起きてからの大騒ぎである。政治や行政は先の見通しを立てて、政策を進めるのが義務であり、当然のことである。50年後には4000万人が居なくなる、将来日本の人口が30%減少するという前提で、長期の判断はは考えて置く必要がある。電力だってそうだ。例えば食糧自給の計画など、人口減少と連動して考えなくては意味をなさない。職業として、農業を選ぶという人にとっても大きな要素になる。農地価格を始め、住宅用地の価格も大きく下がるだろう。とても良い材料だと思っている。15歳以下年齢の子供の人口は32年減少を続けている。日本の子供の比率は 13%で世界の最下位である。 世界平均は 27%。少子化政策の中国でさえ19%である。日本は最先端の少子化社会となっている。いまさら慌てても遅いということである。この人口減少状況をもろにかぶっているのが、過疎地域である。

人口減少は中山間地に大きな影響を与えている。集落がなくなる。人間が住んでいた地域が失われるという、恐るべきことが起きている。一番の原因は人間の暮らし方が変わったためである。労働人口が減少して、GNPが下がることなどどうでもいいことである。当たり前のことだ。近く起こるだろう混乱は団塊世代が65歳を超えたときである。後、5年くらいか。農業者は一気に半減するだろう。このままでは、条件不利地域は一気に人間が住まなくなるということである。農業は伝統文化として、世界遺産になるしか生き残れない。天皇家が田んぼを続けているという意味である。日本人が田んぼを失うということは、日本人でなくなるということである。新しい日本人としてやってゆく道と、世界の競争から離れて生きるという2つの道になるだろう。

可能性が高いのは、日本人が、日本人でなくなり生き続けようとするだろう。日本企業が、日本出身の企業になり、世界の競争に巻き込まれている姿である。しかし、地場・旬・自給で生きようとする人間にとっては望ましい状況が生まれる。耕作放棄された農地が至る所に存在するだろう。そして、棚田でも耕作していれば、伝統文化継承者として評価されるだろう。今、農の会で一緒に田んぼをやっている子供たちが、私の歳になるころにはそうなっているということだ。私の今研さんしている農業技術もそういう形で評価される日が来るかもしれない。となると、天皇家のように、もっと過去の伝統農法を研究する必要があるかもしれない。自給の合理性だけでは、日本人としての意味が薄くなる。こういうことが冗談ではなくなる日が近づいている。農の会の子供たちが、幸せに暮らせるように、田んぼのやり方だけは伝えてゆきたい。
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苗作りの多様性

2013-05-04 04:06:50 | 稲作

欠ノ上の苗床


新永塚の苗の様子


欠ノ上の苗の様子 4月21日播種

農の会では4か所の苗代で苗が作られている。10グループの苗である。グループ田んぼは全体で2ヘクタールぐらいだ。特徴的なことは、この苗作りがそれぞれで、同じではないということである。農の会らしい良いところである。それぞれのやり方を見せてもらい、自分なりの工夫に進んでいる。まず種まきの時期がずれている。早いところでは、4月6日に行った。遅いところで21日である。浸種の期間も1カ月から、2日まで様々である。結果は3,4年はやってみなければわからない。周囲の農家並みの収量は採れなければだめなやり方となる。自給農は自分たちのやり方を見つけないと続かない。子供がいれば、子供が参加しやすい形が必要になる。年寄りなら年寄りでも出来るやり方。それぞれが発想して、工夫してやるところに合理性がある。1ヶ月川に浸けて置く私の方法は、とても面倒くさいという欠点がある。2日でもお湯を使って大丈夫だというのも一つの考えである。人のやり方は、否定せず、何かを学ぶ。

苗代には保温やスズメやカモやネズミの防御にシートを懸ける。カバー材料もそれぞれに違う。欠ノ上田んぼでは、ラブシートである。保温性がいいし、破れにくいのでこれを使っている。欠点は価格が高い。大事に3回ぐらいは使わなくてはならない。この管理が厄介である。保管も面倒くさい。隣に苗を置いている新永塚田んぼでは、穴あきビニールである。今のところ一番生育がいい。保温性がいいのだろう。気になるのは熱くなりすぎて焼けることがないかであるが、今のところ大丈夫のようだ。穴あきビニールでも、2つ穴、3つ穴もあるし、小さな穴あきを密着させているところもある。いつ剥がすのかが興味深い。密着させているのが、子の神田んぼグループである。密着しているということは、保温性は小さいということになりそうだ。この後の生育を見較べてみたい。パオパオでの密着は出てきた芽が、シートに食い込んで、後で手に負えなくなる。パオパオ密着も保温というより、鳥よけという感じか。

苗床での管理を長くする、じっくり型の苗作りと、保温して生育を早めるすくすく育苗と、その後の稲の状態はどのように変わるのか。この点を着目して収穫期に確認したい。舟原田んぼでは、保温なしの育苗である。確かに生育は遅い。しかし、2週早く蒔いた。田植えのころには大きさは並ぶのだろうか。今年は4月後半が寒かったので、どうなるか。さらに田植えを遅らせて、大苗でやるのだろうか。ハウスで発芽をさせて、1,5葉期ぐらいで水苗代に入れて育てているのところもある。欠ノ上でも同じ発想で21箱だけやってみている。しかし、私は水苗代でも、保温はしてみようと考えている。苗はある程度勢いよく、短時間勝負のすくすく育苗がいい気がしている。苗の時に生育が滞ることはあまり良い結果にならない気がしている。苗土を発酵させたり、堆肥を加えたりも様々だ。苗代の作り方も無肥料もあれば、堆肥を入れるところもある。

苗代は代かきをした方がいいかと思う。代かき前に十分に土を良くして置くことも重要。苗を置くときに苦労はしたが、何とかなった。その方が平らになるし、密着もする。密着しないと水を吸い上げない。水没をすると、酸素不足で発芽しない。当然のことだが水は出来る限り温めたい。そのためには入水量は制限したい。そう考えると、全体を代かきしたい。苗作りでは、苗採りの作業の軽減が課題であった。昔の人のように田んぼに作った苗代に種を播くのでは、苗採りが大変なのだ。誰でもできる田植えにするためには、セルトレーの育苗がいいという方向で進んだ。セルトレー一株をそのまま植えるということが、初めての人にも分かりやすい。苗採りも格段に楽だ。メンバー全体が慣れてきたら、機械植えの苗箱でもいいが、良い苗を作れるかどうかはまだ課題がある。今回もいくつかのグループで試みている。結果を良く見てみたい。
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自民党の憲法草案を読む。

2013-05-03 05:58:53 | Peace Cafe
憲法記念日である。自民党憲法草案を読んでみる。わかりやすい文章になっているのはいい。現在の日本国憲法は、文章が硬い。良く言えば重々しい。悪く言えば法律的難解文章である。現憲法は国民が政府に対し、国の運営の在り方を求めたものである。だから、国民一般を特別に意識しするものではなく、国政の運営方法が、憲法違反になっていないかを制御しようという意図で出来ている。その理由は、第二次世界大戦の敗北という大失敗を二度と、繰り返さないために作ったものだからであろう。今回の自民党草案を見ると、国民の義務が至る所で強調されている。つまり、自民党憲法は国が国民に対して、このような国民でありなさいという、国民に対して作ろうという明確な意思を持った憲法草案である。

現憲法の前文で最も大切だと考えられてきた、日本国の平和主義が削除されている。世界平和に対する、日本の思いが削除されて良いのだろうか。このことによって、憲法の精神にある世界平和への希望が失われた。その代わりに国に対する愛情を義務付けて強制する。品格が失われてしまった。前文は短く半減した。その分、本文は国民の義務のあれこれを法律のように加え倍増した。第2章の戦争の放棄は安全保障と変わっている。つまり「国防軍」を新設するためである。これは新憲法草案と言ってもいい部分だ。「領土の保全」というものも新設される。自民党に言わせれば、改正である。思想の自由については、これを侵してはならないとなっていたものを、「保障する」と変える。自民党憲法は国民の責務に向けての憲法であり、国家権力に対し、憲法によって縛ってゆくものではなくなっている。背景にある意識は「最近の国民は、国に要求ばかりして、義務を果たさん。」こんな苦々しい気持ちが浮かび上がってくる。

第24条には「家族は、互いに助け合わなくてはならない。」という条項が新設される。余計なお世話である。そんな道徳的な規定を改めて憲法で示したくなる心情が、自民党議員の中に充満しているということがわかる。20条においては、国の宗教的行為を、社会的儀礼の範囲を超えないものについては、認めるとしている。これは靖国参拝を意識したものであろう。国が宗教とかかわらないというのは大原則であり、拡大解釈をされるような文言は入れるべきではない。至る所で国家とつながる公益や公の秩序を強調し、国民への規定があふれている。国民の義務や責任を強調し、軍事裁判所の規定(76条3項)を置くことで、人権保障規定という憲法の本質を変容させようとしている。地方自治の確立も阻害する95条の削減など、地方自治の確立を妨げる、逆方向の憲法の匂いがする。日本国を大切にしない、国民へのいら立ちのようなものが、この憲法草案を書いた人の意図として、全体を通して感じられる。

それにしても、全面改定である。これだけ多くの条項を新設し、その根本精神を変えようということは、新憲法制定ということである。新憲法制定は憲法違反だ。96条によって改定は定められているが、国会議員に対し新憲法の制定の発案は認められていない。これだけ根本的に変えようというのであれば、新憲法検討委員会を国民より募り設置することが大前提である。はたして、そこまでするような状況が日本にあるとは思えない。何故膨大な改定を提起したのかは、問題をわかりにくくするためだろう。本質は国防軍の新設である。このことを全体の中に紛れ込ませるために、あれこれ細かく出してきているにすぎない。問題のすり替えが意図。国防軍問題を紛れ込ませている。しかし、自民党の体質というものが良く見えてくる自民党憲法草案である。憲法記念日に改めて、現行憲法の素晴らしさを確認するものである。

昨日の自給作業:お茶摘み8時間 累計時間:11時間
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沖縄の主権を考える。

2013-05-02 04:05:33 | Peace Cafe
政府は主権回復の日を開催した。1952年4月28日サンフランシスコ講和条約の発効によって戦後の占領支配から解放された日である。一体この日を記念する意図は何であろうか。どちらかと言えば忘れたい屈辱の過去である。日本が愚かな戦争を行い、敗戦をしてしまい、日本が占領下に置かれていた屈辱を忘れられない。戦争に敗れれば主権を失うということを記念しようということだろうか。主権を回復したことは忘れがたい、屈辱の期間があったということである。沖縄では、この日を屈辱の日として記念してきた。当然のことで、沖縄の人たちは日本国民から切り離され、この日以降もアメリカの占領下に置かれていたのである。沖縄が本土に復帰したのは、1972年5月15日である。つまり日本が本当の意味で主権を回復したのは、この日である。一部の地域が占領下では主権回復とは本来言わない。

日本本土から切り離されたアメリカ占領下の沖縄では、米軍基地が拡張され現在にいたっている。今もって、沖縄の現状は日本本土の為の犠牲的状況にあると言えるのだろう。はたして、沖縄の主権というものは、現状で存在するのだろうか。沖縄では市街地の中に存在するアメリカ軍普天間基地の移転が、叫ばれてきた。しかし、今日まで実現をしない。普天間基地の危険性は米軍すら認めるところで、使用禁止が要請されるような基地である。ところが、日本政府は辺野古への移転を主張するばかりである。沖縄の基地負担の軽減は政府は繰り返し述べている。にもかかわらず、辺野古という沖縄の北部地区への移転以外ないとする。これは沖縄に主権がないということを意味しているのではないだろうか。政府は口では、基地負担の軽減を言いながら、辺野古への移転はごり押しする。沖縄では辺野古への移転はこぞって反対である。何故、それが出来ないのかと言えば、沖縄の主権が認められていないからである。

沖縄の辛苦には、永い歴史がある。日本本土からの差別の歴史がある。今に至る大きな負担を課せられている。特段太平洋戦争においては、激しい地上戦が行われ、政府調査では死者・行方不明者は188,136人で、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。悲惨な民間人を播きこむ戦争があったことが分かる。その結果、占領され、本土が主権を回復したとする日より、さらに20年の長い期間米軍占領下の時代が続くのである。そして、やっと復帰したとはいえ、基地の軽減はなさっれないまま今に至っている。原因の一番は、戦争を行い、敗戦したことにある。その愚かな戦争の第一責任者は当時の軍部である。自ら主権を失う行為をしたのは、日本国である。それを回復したことが意味するものは、2度と戦争をしないということではないか。にもかかわらず、平和憲法の改定を画策する、第一歩として96条の改正を画策するなど、もってのほかである。

主権とは何か。日本国憲法では、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と宣言している。沖縄に主権があるということは、沖縄県民に主権が存するということである。沖縄県民がこぞって米軍基地の移転を望めば、米軍基地を排除する権利を有しているはずである。にもかかわらず、辺野古への移転を、政府は押しつけようとしている。日本政府自身が、沖縄の主権を認めていないということにならないか。沖縄県民の主権は踏みにじられていると言えないか。この日沖縄では、屈辱の日として抗議集会が開催された。安倍氏は主権回復の日の式典において「沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く、思いを寄せる努力をなすべきだ。」このように述べたという。その言や良し。後は行動である。沖縄の人たちが望む、普天間の県外移設を果たしてもらおうではないか。

昨日の自給作業:お茶摘み3時間 累計時間:3時間
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