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地場・旬・自給

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2012年:歴史の転換点

2013-01-16 04:21:09 | 自給
昨年は日本の転換の年であったという事に気付く。日本がもと来た道に戻って行く、折り返し地点であった。後の時代の人は震災後と震災前という風に分けて考えるようになるのではないだろうか。1945,8.15の第2次世界大戦敗北までの戦前社会と、その後の戦後社会というくくりと、似たような社会認識が出来て行く気がする。戦後社会から震災までの65年余りが、日本が民主主義国家を希求した、経済主義の時代。そして、2011.3.11の大震災を契機に、国家と国民の関係というものに、再認識があった。個人主義を前提にした民主的国家というものが幻想であり、日本国という全体の価値が個人に優先される、という認識である。原発事故という危機的状況において、人間というものが置き去りにされても仕方がないという、悲惨な状況を味わった。そのことを、民主党という、自民党に変わるべき民主的傾向のあるとされた政府が行った。

マスメディアは体制翼賛時代を思い起こすかの如く、報道の抑制を行った。そして、その後2年間その反省もないまま、衆議院選挙を迎え、自民党政権に戻ることになった。この選挙では、実際の個別政策が十分議論がされることはなかった「農業政策の転換」「原子力政策の転換」「消費税をはじめとした経済政策の転換」「福祉政策の転換」「能力主義へ教育の転換」「TTPにみられる貿易政策の転換」「憲法改正による軍事力の強制大国への転換」どれ一つとっても日本という国家にとっては大きな政策の転換が行われた。しかし、その政策変更の認識はないまま、選挙の結果として進められることになった。充分な民主主義が成立していなかったが為と思われる。議論も検討もせず、説明もないまま、決定的な日本国の進路の転換が行われた。その方向の転換は新しい日本に変わるというより、昔の日本に回帰したいという、疲れの目立つ折り返し地点のように見える。

世界情勢の変化が一番に大きい。アジアの中で優位な立場を維持しながら、世界での経済競争に勝ち抜いてきたのが、戦後から震災までの日本である。しかし震災後はこのままでは、経済競争に落ちこぼれて行くと言うことが、自覚された状況である。疲労しながらも負けてなるものかが、自民党の政権の復活であり、競争の確認である。その為には、あらゆる転換を目をつぶろうと言うのが、これからの自民党のやり方になる。しかし、困難な道である。たとえ安倍氏の望むように国防軍が出来て、かなりの軍事予算を掛け、核武装までしたとしても、中国の軍事的進出は止めることが出来ない。経済分野においても、日本の世界での優位性は、むしろ後退を続けるだろう。国民の生活では福祉は後退し、農業は荒廃する。TTPに加盟し、あらゆる分野でアメリカの進出に悩まされる。社会はいやおうなくここに突き進むのではないだろうか。アベノミクスは借金による一時しのぎである。莫大に膨らむ財政赤字から、福祉的予算は切り捨てになる以外にない。以上は悲観的側面である。

この転換点を契機に、日本人という人間自体は変わるということも感じている。こうした苦しい状況の中で、それぞれが国とは別にやって行くしかないとする人たちが、暮らしを探求し始める。むしろ震災前に埋もれてしまい、見えなくなっていた「地場・旬・自給」の意味が、一部の人には確認されるのではないだろうか。自分自身がどう生きるのかという、個人主義の基本に立ち戻り、自立てきに暮らしを探求することになる。その時に江戸時代の循環型社会モデルが、意味を持ち始める。暮らしにおいて、個人の自立と共同する意味が確認されてゆく。それは社会から離脱ではなく、社会を根底で支えしてゆく役割を担うのではないだろうか。繰り返し存在したユートピア願望だけでなく、人間の生き抜くせつない願いとして、自給的暮らしが見直されてゆくだろう。
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マイクロバイオーム

2013-01-15 04:17:35 | 身辺雑記
先日の発酵学の児玉先生の講演の中で、マイクロバイオームの事をちらっと言われていた。サイエンス誌で特集があったというのだ。早速読んでみた。去年の10月号である。これが面白い。人間の中には人間の細胞数の10倍もの細菌が生きている。この細菌たちをマイクロバイオームという。人間の生命活動を助けてくれているというのだ。その助け方が、免疫や消化を助けると言うことは昔から言われていたが、人間の感情にも影響している事が分かってきたというのだからすごい。ある微生物の出す酵素によって悲しく成る。楽しくなる。怒りたくなる。私が突然切れて怒りだしても、それは微生物のせいかもしれない。人間が生きているというのことが、どうも微生物に生かされているということである。この微生物がどのような構成になっているのかが、徐々に解明されてきたらしい。解明されてきてみると、宿主の人間に個人差があるように、微生物の構成も人によってかなり異なるらしい。これは面白い。微生物が変われば人間が変わる。

日々の食事が人間を作っているという事が、これで確認が出来たようなものだ。人間は食事をして、身体の細胞の代謝を作り出している。同時に、細胞の数以上の微生物も育てていた。この微生物叢の方は食事で細胞以上に変化する可能性が大。そして微生物が変われば性格も変わる。草食男子等と、最近の若者は揶揄されるが、何ら恥じることはない。肉食女子よりは大分微生物叢が良さそうである。すぐキレる若者が言われていて、ファーストフードが悪いなど言われてはいた。実はファーストフード好きの微生物が問題児のようだ。実に納得のゆく見解である。ある種の精神疾患にプロバイオティック補助食品というものを、商品化しようと言う事が書いてある。ああとんでもない。良い食べ物を食べるべきだ、良い食べ物とは、1里四方で採れたものである。野菜中心であり、偏食でなく。食べ過ぎないことだ。

免疫に関する疑問も、体内の微生物層の働きを考えれば、かなり見えてくる。アレルギーの問題なども、免疫力の問題というより、マイクロバイオームの変化が影響している可能性が大きい。現代人の、特に日本人の衛生観念が体内の微生物を減少させていないか。構成を単純化させていないだろうか。肉食の増加や、ファーストフードの利用が微生物層を弱らせていないか。今まで免疫を考える際にぶつかっていた疑問が、かなりの部分で氷解した気がする。

山北に入植して自分が変化したことを自覚した。東京に居た頃と、山北で自給自足を始めてからでは、人格が変化した。それは絵が変わったことで気付いた。それまでは、作り上げた絵を、よく言えば創作した絵を描いていた。自分の絵の世界を構築しようとしていた。その絵の世界は2次的情報によってもたらされたものであった。そうした作業が山北に移住してからは、吐き気をもようして出来なくなった。ただ眼前にあるものを受け入れる他無かった。徐々に、その受け入れ方に自分というものがある気がするようになった。食事が良くなったのか、悪くなったのかは、それぞれの判断である。少なくとも絵を描くと言う事が、競争したり、人に勝つためのものではなくなったのはほっとした。負けることが少しも怖ろしくなくなった。わずかの安心立命である。先端学問がたどり着こうとしている世界が、実は、仏教哲学では経験的にすべてが分かっていたことだ。ここが何とも面白い。


ーー服部正平 東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。
血縁関係が近かったり,同じ衣食住の環境にあっても,ヒトの体内の細菌叢のパターンは1人ひとり異なる。一卵性双生児の間でも違いがみられる。
一方で,ヒトの細菌叢の持つ遺伝子を調べると,多くの人が共通した細菌の遺伝子機能を持っていることがわかってきた。細菌の種類は様々であっても,その遺伝子(機能)はほぼ同じである。ヒトは自らに役立つ遺伝子をもとめて細菌を選んできたとみることができる。
細菌叢の遺伝子をひとまとめにして解析するメタゲノム解析という方法で,こうしたマイクロバイオームの謎が次第に解き明かされてきた。
腸内細菌など腸管の細菌叢の乱れが,免疫機構を通じて,全身の病気や健康と関係しているという見方が有力になっている。


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体罰と運動部

2013-01-14 04:41:40 | 身辺雑記
高校時代陸上部に居たのだが、陸上に興味があったというより、唯一体罰がない運動部と聞いたから選択した。暴力は教師だけではない。先輩からの暴力もひどいものが運動部にはあった。大阪で顧問の教師による暴力事件から、キャプテンの自殺が起きてしまった。しかもこの教師が暴力指導の常習者だったようだ。周りの教師もこの暴力教師を止めることが出来なかった。その背景にあるものは、厳しい指導が無ければ、強いチームは作れない。勝つチームは出来ないと言う。スポーツに対する脅迫観念がある。厳しい指導がなければ弱小のクラブになる。こうした事件が起これば、必ず、厳しいスパルタ教育が、運動部には必要だ。こういう現実論が一般社会では語られる。その意味を考えてみたい。建前でなく、高校の運動部とは何かを考える必要がある。

オリンピック選手などというものは、天才である。大多数の並みの人間は、異常ともいえる努力で、その競争に加わろうと言う事になる。私も、一時期そういう練習をしたことがある。ところが、足のくるぶしが異常に腫れてきて、軟骨が飛び出してきた。歩けなくなってしまった。走るどころではない。練習しては休みの駄目な陸上部部員になってしまった。身体がそれに耐えられたら、どうなっただろうと思うことはある。プロ野球の桑田選手が、小学、中学の体罰を語っている。PL高校時代は体罰が無かった。プロを目指す天才の集まる、PL学園では体罰はいらなかったのだろう。PLの野球部に入るためには、体罰が必要だと考える人もいる。強く成るためには体罰を必要だと考えるプロ野球選手が82%だそうだ。ダメな人間をしっかりさせるには、少々の暴力は必要だ。こういう教育哲学が無責任に存在する。体罰は我慢する人間を作る。しかし、我慢する人間は生み出す人間ではない。

強いことは良いことであり、暴力教師の存在価値は、競技に勝つことである。勝って褒め称えられ、この学校の不可欠な誇りの先生であったはずだ。こういう事件が起きても、いい先生だったと言う人は沢山いるはずである。競争に勝つことが、価値の社会だからである。私のように弱い陸上選手は、学校にとっても、地域にとっても何の意味も、価値もなかったのである。しかし、一人の人間の成長の為には、生きると言う事の為には違う。陸上の練習を自分の意思で限界までやったこと。そして体をダメにしたこと、自分の限界を知ったことは、掛けがいのないものになっている。自分の意志だけでは、大した限界ではなかったかもしれない。仲間が居たから出来た。名前は今も記憶している。安藤君や染谷君という同級生がいた。臼井さんや柳さんという先輩がいて、一生懸命練習できたことは大切なものだ。一人の人間の成長にとって大切なことは、それぞれの意思で、限界まで努力をすることだ。励ましは必要だが、暴力や強制では意味がない。

こうした馬鹿げたことが起きているのは、競争社会の問題なのだ。能力主義の問題なのだ。それを是認して、必要としている社会の方向の問題だ。競争を頑張る張り合いにすることはある。しかし、その頑張りを自分自身に向けることが大切なことだ。他者との競争は分かりやすいが、間違いやすいものだ。学業の目的であっても、強制力を持って競争を強いることは人間を育てることにはならない。学校の目的は人間教育である。全人教育に専念すべきだ。学校は生きて行く力を育てる場所。より良く生きるための人間力を育てること。それぞれの一番である事を大切にするのが人間のための教育である。その一人の人間を、その人間として育てることが教育の目的である。競争社会の中の学校教育で見失われている物を思い起こすべきだ。安倍政権になり、学校教育への競争導入がさらに言われるはずだ。子供たちがさらに追い込まれる。

昨日の時給作業:竹竿3時間 累計時間:13時間
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「免疫の話」

2013-01-13 04:42:17 | 
西村尚子さんという方の書いた、「知っているようで知らない免疫の話」を読んだ。(技術評論社1580円)ーーヒトの免疫はミミズの免疫とどう違うーーこういう副題が付いている。医学ミステリーのような本だ。「外科の夜明け」を読んで引き込まれたことを思い出した。記号の羅列のようで面倒で、ちょっと厄介なページもあったが、それで、それで、と一気に終わりまで読んでしまった。そして、ミミズの話がないことに気付いた。しかし、そのことがそれぞれに判断できるように書かれている。読者にゆだねると言う、価値のある本だ。しかし、この本での、西村氏の考え方も私の読み方も、あくまで免疫というものの一つの切り口であり、あくまで参考である。今でも免疫の仕組みに関する疑いの気持ちは山ほどある。当然結論が書かれている訳でもない。これは一つの免疫に対する哲学なのだと思う。微生物の話と、免疫の話は、とても関連していて知のジャングルである。

免疫を考える上で重要なことは、生命という連なりに対する哲学ではないだろうか。命というものが50億年という長い年月を掛けて、継続してきた摂理のようなものを背景にして免疫はある。生命の歴史学。まずここを把握しなければ、免疫の各論に入り込み、何のための学問かを見失う。免疫学では、北里柴三郎氏や、利根川進博士のように、日本の学者が大活躍をしている分野である。今も日本には、多くの優秀な免疫学者が存在する。基礎学問に予算のない日本の悪条件の中、驚異的な成果が展開されている。想像だが、日本人的思考法が、免疫の哲学に有用なのではないかと思う。日本人の自然観である。里地里山を作り出した、自然に対する手入れの思想である。曖昧なまま、全体を受け入れる思想。アニミズムの哲学。西欧的な科学原理主義では、踏み込みにくい所が免疫学にはあるのではないだろうか。

生物には、未知の化学合成物質にも、抗体反応を持って防ぐ仕組みがある。命には、単細胞生物でも、補体と呼ばれるような仕組みがあり、異物を見分け防ぐ仕組みを持っている。だからこそ、今存在する生物は生きながらえてきた。この防御システムを解明するのが、免疫学である。ワクチンで作られる免疫システムは、特定のウイルスに対するものだ。ところが、自然免疫では多様な手法で、幅を持って対応する。免疫を司る細胞があり、幾つもの異る、重層する方法によって異物を見分け、対抗する。そもそもウイルスの変異にまで対応して行く能力が存在する。それがないとすれば、生命は継続できなかったはずである。この自然免疫でも、仕組みは多様で複雑で、解明されたとは言い切れない。実に複雑に巧みに、組み合されながら生命が守られている。ここが一番研究の最先端のようだ。これらの仕組みに、マイクロバイオームのような微生物群が影響している可能性もある。

免疫力の強化ということは、大いにあり得ることだ。ワクチンによる免疫は、有効ではあるが、限定的である。自然免疫力を弱体化する可能性もある。少なくとも自然免疫力を育てることを、阻害しかねない可能性がある。人工的なワクチンには一定の幅でしかウイルスの変異に対応できない。蔓延した鳥インフルエンザウイルスが、何故人間への感染爆発を起こさないでいるか。豚の中に入り変異を遂げた、ウイルスは簡単に人間に感染を広げる。いずれにしても巨大畜産施設での、感染の連鎖はとても恐ろしいことだ。感染し新しい個体にウイルスが入ると言う事により、ウイルスが変異する可能性は格段に高まる。病気というものはすべて、広い意味のストレスから起こる。ストレス対して対応を間違う、ストレスでないものをストレスとして認識するのが、アレルギーである。ストレスに負けるのが、病気である。それではどうしたら、自然免疫力を高められるか。改めてこの事は書きたい。
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尖閣問題の緊迫

2013-01-12 04:35:06 | Peace Cafe
少しは落ち着いて、尖閣問題が書ける状態が出来てきた。日本の未来にとって極めて大きな問題である。中国は国内の民主化の動きが強くなればなるほど、尖閣問題での緊張を高め始めている。石原慎太郎氏の唐突な、選挙パフォーマンスで、尖閣国有化問題が起こされた。もちろん石原氏の主張である日本の軍事国家、強盛国家への布石である。軍隊のない国家日本という姿が、頼りなく許せないものなのだろう。尖閣を国有化するのであれば、事前の中国との外交交渉の積み重ねることが必要である。中国の政府の交代時期にぶつけて、領土問題の先鋭化を起こす姿は、関東軍による満州事変へ日本全体を引きづり込み、満州国の建国をした戦略を彷彿とさせる。尖閣問題を本気で考えているなら、石原氏は自分が過去衆議院議員時代に、外交を持って中国と渡り合うべきだった。石原氏の行動は、長い日中の友好構築の努力を、無駄にしかねない暴挙である。

領土問題は経済と結びついている。中国が日本の経済力を必要とした時代が、解決のチャンスであった。あの時代何故手をこまねいていて、今になって騒ぐのか理由は強盛大国である。北方4島も、竹島もそうである。領土問題が今出てきている真実の狙いは、日本に軍隊を作ろうと言う事だ。自衛隊では心もとないという気持ちだろう。北朝鮮にまで、軽く見られているのは、軍事力がないからだと考えているのだろう。軍事力というものには、限りがない。現在の自衛隊でも、そこそこのものである。最近軍事拡大で目立ってきている中国の軍事力と同等の日本の軍事力とみていい。自衛隊とは言え、現実にはそこそこの軍事力である。つまり、軍事力とは常に相手を上回っていなければならない性質である。しかし、核保有すれば事情が異なる。北朝鮮をあまり脅せば、暴発し原子爆弾を落とすかもしれないという、威圧感がある。

平和のための軍隊と言うと、オウム返しのように、スイスの軍隊が言われる。スイスは軍事力で国を守っている。本気でそう考える人もいる。あの程度の軍事力など、ひとたまりもない。しかし、スイスが永世中立で、ナチスですら攻撃しなかったのは、永世中立国スイスという国の不可思議な外交戦略の歴史的成果と考えた方がいい。ナチスの経済がスイスの経済と密接に関連していたと言われる。どこの国の独裁者も、スイスの銀行を利用するらしい。スイスの小さな軍隊に全く効果がないとは言えないが、ナチスにとって占領する意味がリスクに比べて小さかった。どれほど軍隊が強大であれ、ナチスは、イギリス、ソ連、アメリカを同時に敵に回したのだ。北朝鮮まで核武装する時代である。軍事力の対抗で、自分の意見を強引に通そうと言うことは無意味である。戦争によって解決できることなど、何一つない。第2次世界大戦に勝った国々にも、傷を残しただけである。

安倍政権は北方4島の返還問題に手をつけるだろう。既に、4島返還の主張を譲る可能性を見せている。3島返還を現実的に示唆している。それも外交的に出来るなら、大いに進めるべきだ。ロシアとの関係で何らかの成果を上げる必要がある。朝鮮、中国に圧力がかけられる。この外交戦略は間違っていない。何をロシアに譲るのかである。ロシアの天然ガスを北海道にパイプラインを作り運ぶということを、大地の党は主張していた。経済的互恵関係の強化はいい。日中は、日韓は互恵から、競争関係になったことが、領土の対立を高めている。中国の経済的なメリットは何か。ここを考えなければならない。日本の経済界は中国市場をどう利用するかだけを考えている。これでは、排除されるのは当然である。ロシアとインドの友好関係、経済関係を先行させることは、中国に圧力を掛けるためには、必要な外交である。アジア諸国との経済関係で、中国と競争しないことである。この点アジア市場を主張する、安倍政権は間違っている。枠組みを明確にして時間を掛ける。スイスに学ぶのはそうした外交戦略であって、軍備ではない。

昨日の自給作業:5時間竹藪の片づけ 麦の草削り 累計時間:10時間
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ノロウイルスの流行

2013-01-11 04:02:26 | 環境関連
ノロウイルスの集団感染が報道されている。毎日聞いていると、大流行でもしているような気になる。報道というのは、興味を引けばやたら重箱の隅までつつき回すから、本当のところはどうなのだろう。国立感染症研究所によると、昨年12月時点で過去10年間で2番目と出ている。月変化の図を見ると12月は徐々に収まっているようにも見える。ノロウイルスは変異しているのだ。防げば防ぐほど、変異して猛威をふるう。薬で病原菌と対抗しようとする仕組みの限界を表しているのではないだろうか。ノロウイルスに効果のある、ワクチンが開発されたと言う。それはそれで素晴らしいことだと思う。しかし、こうした防御方法を強化すればするほど、人間がワクチンなしには生きられない動物になりそうである。ワクチンが危険なものだと主張するつもりはない。ワクチンで作る免疫の限界を押さえておく必要がある。ワクチンによる免疫と、自然免疫では仕組みが異なる。

鶏では鳥インフルエンザの流行が危機的に言われた。そして、世界では1、鳥インフルエンザに対応しない国。2、不完全と言われるワクチンを使用した国。3、日本のようにワクチンを使用せず、消毒で対応しようとした国。この3通りの対応をした。結果はどうだろう。全く対応の優劣は言えない状況である。野鳥というものが無数に存在するのが自然界である。野鳥には何の対応も行う事が出来ない。国境もない。養鶏場や動物園を幾ら消毒した所で、自然のすべてを消毒することなど不可能である。一時不忍池の渡り鳥までどうにかしろと言われていた。不可能どころかやれば生態系がおかしく成る。鳥インフルエンザ自体が、変異し強毒化した。この原因の一つは、養鶏場にあると考えている。1万羽もの鶏を1か所に飼育すると言う事は、鶏の生き物の生態として異常なことだ。そこで鶏を効率よく、機械のように合理的に飼育しようとすれば、外界との遮断、消毒への偏向、飼料への合成化学物質の添加。自然界にはない特殊な状況が生まれる。

そうした所から、抗生物質耐性菌が生まれたことは有名なことだが、ウイルスの変異も引き起こす可能性が高いと言える。1羽が感染したとする。何千羽の感染の連鎖が起こる。感染を繰り返しているうちに、ウイルスが変異し強毒化する可能性がある。自然界であれば、感染し衰弱したものは淘汰される。乗り越えた種はそうした種として生き残る。しかし、人工的な環境では、感染を見逃す事や、隠ぺいされる可能性がある。実際にそうした事例はいくらでもあった。大規模養鶏が世界中に広がった。国によっては生産性だけを追い求め、農家の請負のような制度のもと、衛生観念の欠如と環境の劣悪な場合も多々ある。一度強毒化したウイルスが収まるためには、自然界の吸収能力を待つしかない。すべての鳥類にワクチンを打つようなことが出来ない以上、成り行きに従うしかない。自然界では何千万年もかけて、そう言う仕組みが出来上がったのだと思う。問題は人間では淘汰の論理という訳にはいかない点である。

このまま行けば人間は病原菌や、ウイルスにさらに弱く成るだろう。どんどん弱く成って最後には、完全防備をしなければ、室外に出られなくなるだろう。その時にどういう国の人が丈夫かと言えば、消毒をしなかった国の人々ではないか。何度も病気の大流行で悲惨なことは起こるだろうが、むしろそう言う事が起こるような国の人の方が、健康的な人類として生き残ることにならないか。ワクチンが完成して、ノロウイルスを克服したからと言って、少しも安心はできない。ウイルスの変異はインフルエンザでもわかるように、毎年変わる。変わって対応が出来ているうちはいいが、この速度の競争は、人間が追い越される可能性が高い。免疫の仕組みをもっと研究すべきだ。ワクチンで作られる免疫は、不完全なものだ。免疫については素人なりに勉強をしている。正月にも2冊免疫の本を買って読んだ。学者によって意見が異なる。免疫と微生物の学問は哲学である点が興味深い。
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生ごみリサイクルフォーラム

2013-01-10 04:53:36 | 環境関連
生ごみリサイクルフォーラムに出掛けた。江戸東京博物館という所の会議室で開かれた。そこには友人の絵を描く人が勤めていた。今でもいるのかは知らないが、金沢以来の友人で布目さんという。この人の絵が、江戸の長屋で描いたような絵だったので、長屋のような所に努めていると思い込んでいた。時々テレビで放映される、江戸東京博物館の映像が江戸の町の再現という長屋だったこともある。所が初めて行ってみて驚いた。両国の駅に隣接して国技館があり、その隣である。国技館を威圧するように、設計のおかしな建物である。江戸というイメージをぶっ壊すために作ったような、奇妙奇天烈な建造物である。会議室というのが一階にあって、そこを3部屋使って開催されていた。70人の参加ということだった。

私の目当ては、児玉徹東京大学名誉教授の「微生物の話」の講演である。1時間余りの話であった。微生物学の入門をお願いしたようで、もったいな気がした。主催者の微生物に対する理解が不足していて、どうも講演の依頼趣旨が曖昧だったようだ。高校の先生が教室で話す一般論で、かなりの時間を使ってしまった。生ごみをたい肥にする微生物について、先生の御考えを話してもらうべきだ。それが生ごみフォーラムの趣旨と思うのだが。発酵の話を色々な先生に伺うのだが、段ボールコンポストと繋がるものは少ない。児玉先生に来ていただきながら、一般論ではもったいないということである。それでも先生の話の中には、興味深いことは山ほどあった。「人の細胞の数より、人の中に居る微生物の数の方が多い。」人間には100兆個の微生物が取りついている。待てよ、人間の細胞数は60兆説のようだ。数えた訳でないからな。微生物も数えた訳ではなかろう。

まあすごい数の微生物が取りついて人間というものが出来上がっているイメージは素晴らしい。この微生物を安易に抗生物質を飲んで殺してはいけないと、先生は3回言われていた。「微生物は多様に総合的に働いているものである。」単一の有用微生物を利用する、という考えは20世紀特に西欧の応用微生物の考えであったが、21世紀は群として、遷移する微生物を見て行く必要がある。これは清酒醸造の話だが、生ごみコンポストも同じではなかろうか。有機物に対しては、光合成と還元があり、生ごみはCO2とH2Oになる。燃やすのもこの点では全く同じ。何故、生ごみの堆肥化はCO2の削減になるという間違ったことを言う人がいるのだろう。1、有機廃棄物の分解は、人類が出現する前からあった。2、省エネルギー的である。必要に応じて、反応触媒(酵素)が生成し、分解を行う。3、ローカルで小規模な反応に適している。処理はオンサイト発生源で行われる必要がある。

後半のフォーラムでは、第2分科会で小田原市の環境政策課の石井さんから、小田原の取り組みについて発表があった。さすが落ち着かれていて、分かりやすく話されていた。充分小田原の魅力も語られていた。このフォーラムは各地での生ごみの取り組みが紹介されていた。カラットという生ごみ乾燥バケツの紹介もあった。乾かして燃やすという事のようだ。リサイクルとは違うが、焼却炉の経費と寿命の話。生ごみは資源であるということは忘れてはならない。一つ気付いたのは、各地の活動には基材配布の補助がないと言われていたが、活動自体にかなりの金額が出ている。小田原の生ごみクラブには、補助はない。補助がないからここまで広がったということに気付いた。生ごみリサイクルでは小田原の活動が、注目をされていることは確かだ。小田原の活動が今後どうなるかは、今や小田原だけの問題ではなく成っている。ごみの回収有料化。週一回の回収にすべき。こういう事も話が出た。
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醤油の作り方

2013-01-09 04:00:57 | 自給
笹村農鶏園の醤油の作り方は、簡単に出来る方法を考えた手抜き法である。手抜きではあるが、大豆と小麦は自前で手抜きなし。塩も作りたいと考えて準備したのだが、さすがに日本近海の海水はしばらく見合わせるという事である。今年で6回目の醤油の仕込みである。大した経験という訳でないのだが、充分に美味しいものが出来ている。お腹も壊さないので、一応大丈夫である。

準備するもの
材料 1、大豆(6k) 2、小麦(6k) 3、海水塩(4k) 4、醤油麹(40g) 5、良い水(16L) 
☆材料の味で醤油の味は変わる。2年という歳月を掛けて作るのだから、できる限り良い材料を集めないと後でがっかりする。できれば材料は自給する。

器具など6、麹室 7、樽 8、大ポリ袋2枚 9、大鍋 10、扇風機 11、ホットカーペット 12、温度計 

☆麹の温度管理をする部屋が必要。温度の上がり過ぎが課題。放熱の為には、寒い季節しか出来ない。又寒い季節の方が雑菌が少ない。部屋自体を暖められない場合は、ホットカーペットを下に敷くと便利。私の作る量で4畳半は必要。雑菌が多いいような部屋では良くないだろう。私は絵の飾ってあるギャラリーの床に広げている。ブルーシートを広げ、その上にシーツの大きいものを2枚広げる。
☆樽は作る量しだいだが、重いので動かせなくなる。2年間置きっぱなしでもいい所が必要。樽の置き場所は冷暗所。しかし、あまり少量では作る負担に比べて情けない。
☆ポリ袋は丈夫で大きなものを2重で使う。可塑剤が溶け出すとか不安な人がいるようだが、マヨネーズの容器と同じで大丈夫。
☆菌の量は40gは多い。もっと少なくても大して変わらない。多分専門家はこの10分の1.安心量。

作業
1、大豆を煮る。一昼夜水に浸した大豆を煮る。大豆が崩れる寸前まで10時間、味噌の時より良く煮る。蒸しが出来るならその方が美味しいはずである。煮る場合、煮汁がもったいないので、出来上がり時に水なく成る仕上がりを目指す。

2、大豆を煮ている間に小麦を準備する。小麦はまず良く煎る。色が変わり香ばしい香りが出て来る。焦げる寸前と考えている。大きなフライパンがないと作業が大変なことになる。

3、炒った小麦を砕く。製粉機を荒くして使う。製粉機がない場合はひき肉の機械。すり鉢すりこぎ根気良く砕く。

4、大豆が煮えたらをざるに上げて適度に水を切る。少し水分があっても、煎り小麦と混ぜるから心配ない。40度まで下げて使うので、少しさめてから作業をした方が安全。早くやりたい場合は扇風機で冷ます。

5、砕いた煎り小麦に、味噌麹菌を混ぜる。味噌の時と同じ要領で、ボールに少量取り出しまず混ぜ、その上で全体にまんべんなく混ざるようにする。

6.40度になった大豆と小麦を丁寧に混合し、シーツで包む。シーツの上から段ボールなどで保温。本来であれば湿度のある32度の麹室で管理するところだが、温度計を中に差し込み32度を目指して温度管理。電気毛布やホットカーペットでもいい。しかし、気温によるが下がるより、上がり過ぎに注意。デジタルの温度が上がるとピピとなるのがあれば、より望ましい。

7、麹の塊が40度を超えないように厳格に管理し、6時間が経つ頃には、熱が上がり始めるので、保温を止める。このまま18時間経過させ、ただし上がり過ぎの時は、早めに広げる。ブルーシートの上にシーツごと広げる。この際、温度の変化を見ながら、平均32度前後を目指して、畝を作る。周辺は冷えるので、熱い所と上手く混合する。このあたりは付ききりで、目が離せない。

8、麹の温度管理では、気温が低くてもすぐ上がり過ぎになるので、要注意。そこで薄くして大きく広げるために、広い面積が必要になる。盛り込みから29時間(時間にはこだわらないこと)後に2番手入れ。全体を平らに広げ直す。麹菌が繁殖しているのだから、麹菌の好むように水分を霧吹き出掛けてやったり、加湿器が使えるなら加湿する。麹は余り触らない方が、良い繁殖をしてくれる。40度を越えると言うことは、納豆菌のような雑菌が混入し広がることなので、35度以下に管理する。もし温度があがりそうになったら、手入れを繰り返す。

9、盛り込み後45時間ほど経過し、充分に麹菌が回っている状態になれば、出麹となる。ぼそぼそな状態になる。菌の回り具合で足りない気がしたら、続けてもいい。

10、もろみの仕込み。麹が完成したら、大きな容器に2重のポリ袋を入れて、中に麹を入れる。上から、塩水を注ぎ込み、攪拌する。攪拌が出来たなら、袋から空気を抜きながら、ゴム輪で2重にふさぐ。

11、1ヶ月ほど経ったら、開けてかき回す。櫂入れと言って、上のものを下に押し込むように行う。後は3~4カ月ごとに同じことを行う。その都度舐めて見て、よしと思えば出来上がり。早い人は一年もしない内に使うようだ。私は2年物から使い始め、何時も2樽仕込んである状態。

☆アルコール発酵のような味が加わることがあるが、問題ない。高温になり納豆菌が繁殖した場合、幾らか納豆の匂いがするが、納豆用の醤油と思えばいい。
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放射能の除染作業

2013-01-08 04:07:03 | 環境関連
朝日新聞では除染作業が、杜撰に行われている状況を報道している。環境省では調査し、監視すると発表した。確かに、放射能除染すると言いながら、ただ川に流しているのであれば、とんでもない話である。しかし、私もどちらかと言えば、除染に働く現場の作業員の意識に居る。お茶畑の刈り払った枝葉は、畑の隅に置いてあるだけである。あれは500ベクレル以上だから、除染すべき残骸である。当初からどうすればいいのかという話はさんざん出ていた。冗談のように、東電に送りつけようと言う人もいた。福島第一から発生したのだから、発生地に返すというのが原則だと力説する人もいた。結局農協の指示のとおり、畑の隅に置いておくと言う事になった。その結果はどうなったかと言えば、堆肥化して20分の1くらいの大きさになった。あの5トン車にやっと乗るほどあったものが、1年半でケイトラに乗るぐらいまで小さく成った。小さくはなったが、放射能はどうなったか、20倍に濃縮されたという事ではないか。

500ベクレル以上あった枝葉が、20倍の1万ベクレルを大分越えている可能性がある。こういう不安があった。畑の隅にそんな高濃度の汚染物質があること自体そもそもまずいだろう。1トンはあるのだから、中間貯蔵施設に持ってゆくべき廃棄物だ。下水汚泥と同じではないか。そこで測定をすることにした。何と、値は下がっていたのである。来年になればたい肥として使えるんじゃないの。という位の状態である。要するに雨で上部の方の堆肥から流れてしまったのである。堆肥場には屋根が無ければだめだと言う事が良く分かる。どんどん流出する。放射能も大半流れ去ったのである。堆肥の下の土壌を測定すれば、高いのではないかと思われる。土壌から地下水へ、そして河川へも流れ出ているのだろう。結局は水に流すということではないか、海に行き沈澱しているのか、浮遊しているのか、太平洋のもずくとなったのか。放射能対策は、すでに人間の手に負えることではない。

私には、川に流した除染作業の担当者を怒る気になれないし、又その資格がない。文句のある人はその作業をやってみればいい。写真を見ると、足場の悪い川べりで足で落ち葉を川の中へ蹴っている様子である。そのようなことは、雨風では日々ありうることだ。在ってはならないと、怒り心頭の知事や、市長の談話が出ているが実情を分かっていない。否、分かっていながら、怒るそぶりをしているのではないか。そもそも除染などできない仕事なのだ。福島県の面積は13,782平方キロ。この広大な土地の、表土5センチを取り去りどこかへ運ぶなど出来る訳がない。できるとしても、その500分の1位をその場の地中に埋め戻す作業がせいぜいである。忽ち、周囲から放射能は戻ってくる。空しい作業に多くの人が費やされているのではないだろうか。空しい作業を延々としていると、少々のことは、どうでもいい気分になるのではないか。

除染は大企業の希望に沿った、公共事業である。有効な除染が出来るなら意欲もわく。かなりの部分で無意味な作業ではないか。確かに、一番上のお茶畑の人はまだいい。下の畑、下の田んぼへと放射能は移動するだけである。取り去ると言っても500分の1くらいやったのでは、すぐ雨やら風で戻ってしまう。除染作業には多くの大津波で、被災された人たちが当たっていると聞く。除染よりも、もう少し前向きな作業をやってもらうべきだろう。一般住民の年間被ばく線量の上限1ミリシーベルトとするには、時間を待つ以外にない。どれだけ待てばいいかは分からないが、そうして海に流れてしまうのを待つ以外にない。最悪のことだが、アメリカやソビエトは、さんざん核実験でやってきたことだ。どうしようもないことは諦めるしかない。畑の土壌を汚されたことは、諦めきれないから苦しいが、どうしようもないことを悩んでいれば、自分がやられてしまう。
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原発新設再開

2013-01-07 04:12:07 | Peace Cafe
安倍総理大臣の中の軍国主義的傾向をとても危惧していたのだが、総理大臣になってみると、やはりこの人は力の政治思想の人だと言う所が見え隠れする。よほど心していないと日本は大変なことになりそうだ。原発の新設を発言した。予測の通りなので、この事は驚きはしない。驚くのは、すぐさま軌道修正したことだ。本音は力の政治を目指しながら、参議院選挙後だと我慢している。既に本性を、現して来たと見るしかない。こうして総理大臣が明確に原発推進を発言するということは、再生可能エネルギーに力が入ることもないだろう。せいぜい既成大企業の後押しぐらいで行くと言う事のようだ。 これでも選挙民が自民党が良いというのであるのだから、仕方がない。私が希望した未来党は選挙に負けて消えてしまった。日本を諦める訳には行かない。こうした状況では政治に期待はできないと言わざる得ない。安倍氏の耳には原発はもう嫌だという声など、全く届いていない。

安倍氏の頭の中では40年前の原発と、現在の原発では安全性において随分違うものと言う理解があるらしい。これは原発技術に対する認識不足である。原子炉は実験段階から、現在に至るまで安全性の確立には進歩は少ない。そもそも原発というものの仕組みが、安全性を高めるには、壁を厚くするとか、原子炉の強度を増す位しか改善ができない。津波対策とか、地震対策とかすべては、外部的な補強である。核分裂そのものの仕組みを、安全に変えると言うようなことはできない。放射能は永遠とも言える半減期を待つ以外、無害化できない。使用積み核燃料が行き場がなく、原子炉建屋の上部にプールを作り、貯め込んである。40年前より安全性は後退している。これが原発の現状である。安全性を高めるに、核廃棄物の安全管理が出来てから、次のことは考えるのが、福島の大事故後の普通の考え方だ。

安倍氏の中にある日本の向かうべき姿は、北朝鮮の言う「強盛大国」とよく似ている。北朝鮮も原子力発電に熱心だ。軍事力の増強も熱心に行う。軍事施設の建造も力が入るに違いない。既に予算の増額が言われている。オスプレーを自衛隊が装備するという話も出ている。自民党が選挙で選ばれるということは、そう言うことだろう。安倍氏がそうそうに、原発推進を発言したということは、国民の本音はこちらにあるという判断がある。原発を曖昧にして置いて、参議院選挙を迎えるより、再開を明言した方が良いと考えたのだ。ところが、参議院選挙が終わるまでは我慢です。殿。というような声が入ったにすぎない。しかし発言を聞いていると、日に日に強盛大国の本性が顔を出す。集団的自衛権は当然のことのように言われ始めた。自由にやって良いことになれば、核武装したいと考えている人と見なければならない。プルトニューム生産は間違っても止めないだろう。

原子力を民間企業の仕事だと、主張する人がいるが、今回の安倍氏の発言で分かるように、原子力は国策事業である。政府の考え次第で推進か廃止かが、動かされている。常に莫大な税金が注ぎ込まれる。安倍氏は安全神話を復活させて、福島第一の事故に至った道を、もう一度たどろうとしている。既に40年前より安全になったなど、どういう根拠の安全神話を述べているのだろうか。このようになった一番の原因は、反原発勢力の分裂である。互いの問題点をあげつらい、当たって砕けろどころか、当たる前にまとまることが出来ないでいる。今回の選挙で明らかになったのは、30%の得票があれば、政権を取れると言うことである。そう言う選挙制度なのだ。反自民の政党が、反原子力発電の政党が、この国の危機を認識してまとまることである。政治家、政党のレベルがあまりにひどすぎて、政治を見ないようにしたい気分ではあるが、まだまだチャンスはある。
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あしがら農の会設立の頃

2013-01-06 04:41:14 | あしがら農の会
今年、農の会も20年である。私が山北に移住したのが、農の会を始める7年ほど前のことである。すぐ思い出せるのは、まだ昭和であり、大島の噴火の火が開墾していた畑から見えたことである。7年間開墾し、畑や田んぼを作り、自給の暮らしを確立したことになる。その面積や労力を計算してみると、日本は自給できる国だと言う事が分かった。少し人口が多い。優良農地に住宅が広がってしまった。しかし、まだ500万ヘクタールの農地がある。今なら何とかなる。やってみる価値がある。こんな考えを持つようになる。たまたまお隣に、MOAの川口さんという方の畑があった。その方が、田んぼをこんな条件の悪い場所でやるなら、下の町の方でやらないか。こういう話を何度もされた。川口さんはMOAの地域ごとに自然農法グループを作るという方針に従い、それに私も入れということだったと思う。それで、山北有機農業研究会という名前で、山北の生活改善クラブ方々と一緒に活動を始めた。今でも川口さんは農の会のメンバーである。それが20年まえのことだ。

それらの動きを、酒匂川グリンフォラムを一緒にやっていた山田純さんに話した。そこから徐々に今の農の会が形作られることに繋がったと思う。当初から活動を作り出すというより、田んぼや畑をやると言う事が主目的だった。私を外に引っ張り出してくれて、スタートを切ることができたのは、宗教活動と環境活動だったことが今になれば印象深い。誤解があるようなので、明確にしておきたいが、政治的意味合いも、関係も全く無かった。他所からの呼びかけが無ければ、今でも、山北の山奥で自給自足で暮らしていたかもしれない。結局町で田んぼを始めようとしたのだが、水利組合から自然農法でやるなら、水を分けてやるわけにはいかない。こういう事になった。他の田んぼを探したが、結局見つからなかった。それでも、あちこちにみんなで見学に行ったり、ぼかし肥作りやマイタケの自然栽培の実習をしたり、細々と活動は続けていた。成田自然農法研究会に自然養鶏を見学に行ったこともある。その時、坊所でキウイを作っている石綿さんと知り合う。

その頃、CLCAという組織の事務局になった加藤さんが尋ねて見えた。加藤さんも農業に興味があり、高校生の頃には、実際に農業をやったこともあるなど話していた。酒匂川グリンフォーラムで山北の奥の不老山の山間の塩沢の田んぼの跡地でイベントが行われた。お年寄りから昔の暮らしを聴く会があった。その田んぼ跡地が借りられないかという事になり、CLCAの代表の和田さんの親戚が谷峨のお寺なので、頼んめば借りられるだろうと言うことになる。それで、CLCAと一緒に田んぼをやることになる。ここで、水土社の岩越さんや内山の瀬戸さんと知り合う事になる。何年かやるが、収穫を問わずという意味が合致しない。お金を集めて子供が田んぼ体験をやれればいいというのと、農の会の自給自足の意味が違いすぎる。それでCLCAとのかかわりは止める事にする。加藤さんが辞めたという事もあった。

山田さんと話しているうちに、産廃処分場は弱い地域に出来る。地域を強くするためは、放棄農地を出してはならない。それが、採算的に農業者に出来ないのだから、市民が農業に入るようにならなければならない。農の会を耕作放棄地を無くす組織としてして行く必要があるとなる。その頃から自分達が、やれればいいということから、農の会を地域農業の新しい形の組織にすることになる。その時農業を始めていた加藤さんを誘った。当初加藤さんは誘いを固辞していた。風の谷農園というようなものを独自にやりたいと言う事だった。その頃の農の会には他所から来た人しか居ない。地元出身の加藤さんに加わってもらう必要があり、代表という事でお願いした。何故、今さら立ち上げの頃の事を書いてみたかと言えば、京都の方から、自然農法の田んぼを始めたいが、借りられない。というメールがあった。それで、私たちが当初どのように田んぼを始めたかは、どこかで新しく田んぼをやろうと言う人の参考になるだろうと思った。
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竹林の管理

2013-01-05 04:24:20 | 自給
竹林の中は実に清々しいものだ。不思議な静寂がある。かぐや姫伝説が生まれるのも良く分かる。竹という植物の強い生命力が独占した世界が形成されている。他の植物が入り込むことのできない。遷移の終着点の単一な姿をしている。1カ月で20メートルも伸びる竹という植物の生命力は、驚異的なものである。竹林の中にはすばらしい気が満ちている。それは竹林の中で優先し、空間を占める微生物の安定によるのではないだろうか。10メートルも奥に入れば、外部からの音も光も、すべてベールに包まれ、神々しい色彩に変わる。そうした美しい竹林は、人の手入れによってつくられるものである。一度、人の手から離れると、一歩も中に立ち入れない、手に負えない竹藪に変わる。笹村農鶏園のある場所は真竹の元竹藪だった所だ。竹藪を外周から切り開き、整地をして、鶏小屋を作った。果樹を植えた。それでも鶏小屋の周囲は1反ほどの竹林が残っている。

鶏の暮らす環境を整えるために残してある。竹と畑や鶏小屋がバランス良く維持されてゆくためには、日ごろの良い手入れが欠かせない。良い手入れとは、必要な竹を切りだすことである。子供の頃の暮らしでは、竹ぼうき、竹の背負いかご、田んぼのハザ掛けの竿、毎年作るものだった。鶏小屋など、孟宗竹で作られていた。奥のトイレはすべて竹で作られていた。多分これは風流の意味もあったのだろう。衛生という事もあったかもしれない。床から壁天井と竹で出来ている。風の通り抜けるトイレだ。竹竿も様々な用途に使われていた。毎年冬になると甲府から、竹屋さんが切りだしに来ていた。どこの家でも、竹竿で洗濯物は干していた。竹の皮を貯めておくと、肉屋さんの包み紙として買って行ってくれた。競って拾い集めたものだ。農家には竹林は必要で、大切なものだった。中国では竹を材料にした紙が長い間使われていた位だ。暮らしが変わり、便利で格安なプラスティックに変わった。そして手入れは無くなり。竹藪は厄介者となり、集落の空気を犯している。

竹林が広がっている。竹は肥料分の多い土地に侵食する。放棄された畑など一気に竹が占拠してしまう事がある。これを取り払い畑に戻すには5年かかる。5年の間は根が死に絶えると言う事がない。もちろん根まで掘り起こせば違うだろうが、重機でも竹に引っ掛かりキャタピラが壊れたりするほど、竹の根は強い。5年間根気よく出て来る竹を切り続けるしかない。それは養鶏小屋でも一緒で、鶏小屋の中ににょきにょき出て来る。出て来る竹の子を鶏が食べてくれないかと思うのだが、案外に生育してしまう。筍の子もとても美味しいものだが、10本もあればいい。最近はイノシシが掘り起す。イノシシは竹藪を掘り起こすのだからすごい。よく傘がさせるぐらいの疎らな竹林がいいと言われる。1㎡に1本は多いいぐらいだから、1反に1000本にしなければならない。今ある竹が1本は増やしそうだ。つまり、1000本毎年何とかしなければならないという事になる。

暮れから正月にかけて、300本ぐらいは切っただろう。切り倒すのは簡単なことだが、枝を払い長さをそろえることが大変である。5メートルの長竿と、1,9メートルのハザ掛けの足を貯めている。前回の半分は先日、欠ノ上の竹置き場に運んだ。残りは舟原田んぼ分のつもりである。13日には舟原のみんなで竹切りをすることになっている。竹林を作り出す暮らし。竹林を必要とする暮らし。人の暮らしが山里に戻り、昔の暮らしの良さを思い起こすことである。そう思って竹林を眺めると、いかに美しいかに気付く。この美しさは里地の美しさである。竹林を作り出すのは、絵を描く気持ちと似ている。畑も、田んぼも、そうなのだが良い調和が生まれると、美しいものである。美しい里を作り出す事が、昔の日本人の誇りであった。美しい集落に暮らす喜びと充実。

自給作業:竹藪の手入れ5時間 累計:5時間
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味噌作り募集

2013-01-04 07:21:13 | 自給
あしがら農の会では、今年も味噌作りを行ないます。
大豆栽培に参加されなかった方で味噌作りを希望される方を10人程度を受け付けます。
麹作りと味噌の仕込みの両方に参加可能な方のみとなります。

【日程】
◇麹の仕込み~2升のお米に麹菌を仕込み、持ち帰り各自で保温、発酵の手助けをして2日間ほどで完成させます。
1月24日(木)小田原久野の笹村宅 又は
1月26日(土)大井町「ブルーベーリーガーデン 旭」 
上記2日のいずれかに参加(2-3時間)してください。

◇味噌の仕込み
2月2日(土)準備作業(大釜の移動・設営、大豆の洗浄・浸水など)-半日程度を予定
2月3日(日)大豆を朝から煮て、米麹と仕込みます-お昼持参で終日

【参加費】
大豆栽培に参加されなかった方は一口(味噌約10キロ)6500円です。
麹用の米2升を持参できる方は5000円となります。

【申込み・問い合わせ】 なるべくメールでお願いします。
sasamura.ailand@nifty.com

その後醤油作りも引き続いて行います。予定では、2月末から、3月にかけてでいます。
醤油作りも毎年行っていますが。こちらは発酵が味噌より大変です。
その為、ある程度経験があり自分で醤油麹の発酵を出来る人だけです。
麦と大豆を混ぜた全量を発酵しなければなりません。
味噌では米を発酵させて、糀を作るだけなので、
米袋の中だけの面積で可能です。

自給分の10リットル程度の醤油作りでも、10平米位の面積が無ければできません。
醤油麹は量が多く成ることもあり、コントロールがより困難になります。
その後2年間かかります。
これで5年ほど醤油を作っていますが、最高の醤油が出来上がります。
又、絞りは特に行わず、醤油粕を醤油麹として、漬けものに利用します。
これが又絶妙な味で、幅広く利用できます。

できれば、味噌仕込みの日の2月3日に合わせて、豆腐を作り販売したいと計画しています。
お願いするのはお豆腐屋さんなので、現在調整中です。
毎年納豆も作りますが、これが案外に難しいようです。
今年はどうしようか、迷っています。

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サプリメントの問題

2013-01-04 04:28:50 | 暮らし
巷ではサプリメント全盛である。何故、こういうものが流行しているかと言えば、健康不安が増幅されているからであろう。サプリメントを売るということは、健康に対して不安を煽らなければ販売が出来ない。病の時代、不安社会が広がる。テレビコマーシャルを始め、健康食品本や雑誌が書店には並ぶ。インターネットでも、多くのコマーシャルが流されている。もちろん経済不安というものが、連動している。格差社会の深刻化もサプリメント文化を生んでいる。本来であれば、生活の中で食べ物を改善して行くことが、正しい選択である。それを安易な解決で済まそうということだ。常日頃の食べ物で解決できないことはない。サプリメントで不完全な食事を補うという発想が、ファーストフードの上を行く、安易さである。食事では無理というなら、病気ということで、医療にかかる他ない。医療と、食事との隙間に入り込もうというのが、サプリメントである。

毒にも薬にもならないならば、まだ良いが、過剰なミネラルや、ビタミンは単体で取れば有害である。何故有害と考えるかは、単純なことで、人間の身体は普通に食べ物を食べて、生きるよう出来ているからだ。人間は特定の抽出した、ミネラルやビタミンを特別にとる様なことはなかった。生きものすべてがそのように生きてきたのだ。特殊なことをしても、良い結果が出るわけがない。病気になってしまい、改善を目指す場合でも出来る限り薬など使わない方がいい。薬は効果があればある程、半面の障害も伴っている。問題点を持っているから、病気に効果があると考えた方がいい。私のばあい、この25年間一度だけ漢方薬を飲んだだけである。出来る限り薬はのまないという気持ちできたのだが、それで何とかなった。もちろん幸運だったということだ。しかし、風邪を引いて、薬を飲まないと決めたら、風邪をひかなくなった。風にかかりたくないから、そういう生活をするようになったということである。

もう一つはアンチエイジングとか言う、老化防止の流れがある。私も元気百歳であと36年生きることにしている。元気で長生きするには、サプリメントなどもってのほかと考えている。薬に頼るようでは、長寿など出来るわけがない。上手く年をとることこそ、長生きのはずである。老化は当たり前のことで、受け入れることが基本姿勢だ。これに逆らう為に、サプリメントを飲むなど、命を縮じめることだ。痩せるサプリメントというのもある。これなど典型的な、有害物質以外の何物でもない。よくまあ―こんな恐ろしいことをと思う。その人成りの健康体重というものがある。それを目指すことはとても大切である。必要以上に体重があるとすれば、それは生活のどこかに問題があるということだ。もちろん食事が悪い。体重増加がシグナルである。それをサプリメントでもし減らすとすれば、大切な情報を見落とすことになる。

この時代を反映しているのが、サプリメント文化である。錠剤一つで済まそうという発想である。食事もサプリメント化するという発想がある。そうしなければ、やってゆけないほど忙しい生活。そんな暮らしはおかしい。一流のスポーツ選手がサプリメントの広告に使われる。お金の為なのだろうか。例えば、三浦雄一郎氏はゴマのサプリメントの広告をやっている。80歳でエベレストに登頂するという、元気な長寿国、日本の誇りともいえる快挙である。この人は国会議員に落選してよかったと思う。当選したらエベレストには登れなかっただろう。悪影響を考えるとゴマのサプリメントはよしてもらいたい。ゴマが悪いのではない。ゴマがいいと考えるなら、食事に取り入れる方向に進んでほしいのだ。

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日本人と農業

2013-01-03 04:32:14 | 自給
日本は山、川、平地、海と恵まれた自然環境の島国である。このすばらしい日本列島が日本という国の原点であり、条件である。確かに自然災害はあるが、あまりに素晴らしい環境にこの地に住みつき、繁栄した民族なのであろう。この地に安心立命の暮らしを打ち立てようと言うのが日本人である。たぶん2万年前には縄文人としてこの島に暮らし始めた。おおよそ3000年前に稲作をはじめた人々である。この間大陸からの流入も何度もあったのだろうが、日本列島の独特の文化の中に融合しながら、日本人が日本人という一塊として成立した。日本人は稲作を基盤とすることで、循環する暮らしの中に生きてきた。稲作農業をすることで、日本人が生まれてきたとも言える。自分達を取り巻く自然環境を、里としてとらえ、里地、里山、里海として受け入れてきた。自然に織り込れる暮らしをよきものとした。稲作をその暮らしの根底に据えて、ますます日本人の資質が洗練された。

稲作を生産基盤として成立させるためには、共同する暮らしを作り出した地域が優越する。地域を形成することが稲作には合理性がある。単位の運命共同体の成立。稲作を暮らしの基本に据えることで、競争や対立ではなく、どう分かち合うかを大切にする日本人の資質の醸成がなされる。用水の確保のための水土技術は、天皇家を中心とした水土を操る技術集団が、日本全体にその技術を普及していったと思われる。それは中国から渡る先進技術であったのだろう。水土技術が国の形成の大きな要素であった。日本各地で、先進稲作技術を受け入れながら、地域を形成したと思われる。荘園制度による、技術の全国への波及。それは対立というより、どのように調和し協調するかを主眼とするものである。共同体の価値観の共有を必要とし、又そこに導かれるものだった。米本位制による経済。そして江戸時代の石高による全国の経済の統一。こうした国家形成は、日本が平和の国として成立した大きな要因である。

江戸時代には遠島、島流しという処罰は追放ではある。追放刑には、江戸に入らなければいいものから、徐々に入ってはならない地域が広がる刑罰になっている。島の暮らしが厳しという事で、島流しが重罪なのではなく、住んでいる所に戻れないという絶望感が存在した。江戸時代の人にとっては生まれ故郷から離されると言う事自体が、重い刑罰であった。地域の中で初めて生きることが可能な生き方。地域を離れると言うことは、生きる価値を失うつらいことであった。ご先祖に見守られながら生きる、安心立命の世界。それは同時に、地域を運営する藩としては、農民が地域から出て行くことは、地域が消滅する経済的な大打撃であった。江戸時代農民は藩にとって貴重な財産であり、蔑まれる身分制度の下のものではなかった。明治の文明開化思想の為に、帝国主義を目指すために、江戸の武士文化が武士道として着目される。むしろ地域に密着した農民の文化こそ、日本人の文化であると見直す必要がある。

島での暮らしは案外に豊かで、島にわざわざ移住する人も多かった。青ヶ島が夢の国と思われていた時代がある。天明の大噴火の際には100名が死亡し、200名が八丈島に避難したと言うから、現在の165人の人口から思うと、かなり多くの人がし間に暮らしていた。明治14年には、最大人口754人が暮らす事が可能だった島。それは山の中での暮らしも同様で、山北でも江戸時代はむしろ山の中に多くの人口が暮らしていた。江戸時代の貧困というのは、明治政府の圧政に対する批判を避けるために、意図して作られた歴史観である。農民の貧困は明治時代の富国強兵で追い込まれた農村の疲弊の方が深刻である。もう一度、日本が再生するためには、地域の復活にカギがある。地域の復活には、地域の暮らしの循環を見落としてはならない。日本人が再生するためには、稲作農業の見直しである。稲作を経済活動の側面からだけ見るのでなく、日本人が大切にすべき文化として位置付けなければならない。地域で取り組む田んぼを作り出す必要がある。やりたいという者であれば、誰もが加われる文化としての田んぼの始めることである。
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