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衆議院投票日

2012-12-16 04:33:55 | Peace Cafe
今回の衆議院選挙が日本の岐路にあると言われているが、それは違うと思う。むしろ、過去の失敗した道にもう一度戻るのか、あるいは道なき道に挑戦するかの選択である。自民党が勝利すると言われている。つまり、高度成長期の自民党ではない、あのどうしようもなくて、期待感だけで何の実績もない民主党に政権を奪われた自民党に戻ると言うことになる。麻生時代の自民党の行き詰まりが再現されると言う事になる。しかも、状況は経済も、外交も、エネルギー政策も、格段に困難さを増している。政治がそれらを解決できるとは到底思えない。この先日本は暗黒の時代を迎える可能性が高い。できることは、各々がこの最悪の時代への突破口を開いた世代という自覚を持つことだ。未来の世代に対して、もっとも批判さえるべき世代として、記憶されなければならない。この時代において、どこのだれに投票するのか、あるいは投票しなかったのか。それはそれぞれの生き方として確認されなければならない。

福島原発事故に置いて、日本の政治の危機管理はどの政党にも、準備がなかったという事が分かった。官僚批判どころではない。政権党の民主党は、責任が一番重い。彼らは事故対応に置いて、国民を見捨てた。原発がなければどんな暮らしに成るかを思い知らせようと、計画停電を行った。大飯原発の再稼働。そして六ヶ所村では原発工事の再開。核リサイクル事業もんじゅの再開。実は民主党を動かしているのは、安い電力という経済至上主義の要請である。理念が無いから、金権主義が唯一の行動原理である。民主党は政治哲学思想を、党の綱領として示す事は出来なかった。日本が何を目指すのかがないから、判断基準がない。結局はその日その日の一番強い圧力に従う事に成る。個人の思いつきで、その場の判断がぶれる。政治において決めると言うことは、この国の未来の方角に対して、棹差すということである。あくまでコンクリートから人へが政治思想であるなら、そこに照らし合わせて正しいかどうかの判断である。

自民党の保守化と言われるが、自民党の安倍氏の憲法改定論が再軍備という事なら、明確にそこまで主張して欲しい。それも一つの考え方である。徴兵制度を行うのか、核武装をするのか。こういう議論を明確に行うこと。軍を持って国を守ると言う事も、たやすいことではない。憲法にかかわる重要事項にもかかわらず、党の意見として出てきているとは思えない。曖昧な主張では、政治哲学を持つとは言えない。揺れ動く自民党では日本をさらなる混乱に導くだけである。さらに橋下新党もあっけなく、維新八策を放棄した。これも小選挙区制の下での、勝利の為の野合である。これでは選挙後は自民党と連立だろう。共産党や社民党はと言えば、正しいことを主張はしているが、そこへの道のりは国民への説得力が無い。国民側に立ってと言うが、国民という言葉を使う事がすでに怪しい。はっきり、貧乏でも幸せな国に成ろうとまで言うべきではないか。

赤字国債や、建設国債を日銀に引き受けさせるということは、未来の世代にさらなる負担を残すということである。デフレと言っても、安い製品が海外から幾らでも来る。農業で言えば、安い海外の農産物が農産物価格を決定している。関税が無くなれば、農業が衰退するのは明らかである。誰が食糧生産をやると言うのだろう。円が暴落すれば確かに輸入品は高く成るが。通貨を必要以上に人為的操作するのは経済の永続性の上でさらに良くない。中国の通貨操作と同じことに成る。企業が栄えて生活する人間が疲弊する。格差の拡大。どこを目指すかである。未来の暮らしが具体的に良く成る政治を行うこと。現世代は未来世代を食い物にしているとしか思えない。私は、今回は未来党に入れようと思う。原発の廃止1点の可能性である。神奈川17区では露木順一氏の可能性がありそうだからだ。また同時に行われる、10名の最高裁判事の審査においては、全員に罰を付けるつもりだ。それは、冤罪事件と裁判員制度において、信任できないからである。
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水彩画家柳田昭が死んだ

2012-12-15 04:11:06 | 水彩画
水彩画を描く友人が死んだ。昨日、水彩人の総会があり、その席で聞かされた。柳田さんは安井賞を受賞する2,3年前からとても面白いものを描き始めていた。ところが、安井賞を受賞して以来、絵が良くなくなった。まさかフランス風景を描くなど思いもよらなかったが、随分方向が違ってしまった。そんな無駄なことをしていていいのかということを、本気で話したこともあった。我関せずという感じで聴く耳が無かった。それ以来私も彼の絵に興味を失った。個展の案内は来ていたのだが、見に行くこともなかった。それでも農業機械のことでは時々連絡があった。春にも買いたいと言っていたのだが、そのままになってしまった。電話では意外にもあれこれ茨木弁でこぼしていた。安井賞を受賞したことが彼の画家人生をおかしなものにした気がする。彼はこれで絵で生活が出来るとばかりに、ヤンマーの販売員を辞めた。辞めたらだめだとこの時も何度も話したのだが。年間一億を越えるノルマは、農家を騙さなければこなせないよ。と答えた。

彼の持つ良質なものが、ワイエス流の水彩技法を獲得してから、徐々に展開を始めた。その良質なものとは、土地というものへの神聖な感触である。それはワイエスにもある種類の神聖な感触で、あくまで文化の未成熟なアメリカの情景であり、憧憬ではないか。集団の文化の匂いが無い風景。日本やヨーロッパのように、どの風景にも人間の痕跡が、こびりついているところとは異なる。つまり、そう言うワイエス風の視点をもって、日本の農村の事物を描いた。その即物性から生まれる視覚で日本の農村を見る情景が、柳田昭の世界として提示された。簡単に言えば、古民家の向井潤吉氏もリアルに描く農村絵描きだが、いかにも日本の因習を含んだ懐かしさに基づいている。その対極として、ものとしての認識に原初化して、農村を眺めた時に見えて来るもの。ビニールハウスにあるリアカーが彼の祭壇になりえる。打ち捨てられたもののなかに、ワイエス的視線が注がれ、何でもないものであればある程、現実に迫る。

風土とか、歴史とかそういうものをしょっているように見えながら、実はアメリカ的な、感情を切り捨て割り切った視線のなかに、物的な視点というようなものが生まれる。これはワイエスの問題でもある。彼は農村の長男としてと語るが、下館の農家に養子に入ったとも言われていた。何度か農の会の農業機械を、探してもらって下館まで取りに行った。その時彼のアトリエも見せてもらったが、それは冷たく暗いアトリエであった。やたら次に描く絵のパネルや、描きかけの絵が積みあげてあった。手順が決められていて、順序正しく進められていた。灰色から褐色までの絵だと思っていたが、彼はどうしても絵の具は全色使うと言い張っていた。あれはどういう意味であったのだろう。色が足りないと言われている、反発だったのだろうか。私は、あんたの仕事は、ここが出発点で本当の農村を描く仕事は、まだ少しも始まっていない。日本人が描く日本の風景は、人間が作り上げた農村を描かなければ。これでは、廃墟を描いているようなものじゃないか。等と憎まれ口を聞いていた。

彼は口は重い方だったが、自分の絵に対する思い込みは絶対なタイプで、他の絵描きと接することは苦手だった。誰をも切り捨てている調子だった。ヤンマーを辞めてしまってからは、自分の絵のバイヤーのようになった。これは少し哀れだった。絵を売るのに画廊を通すと、バカに取られてしまうので、直売でやると言うのだから変わっていた。フランス風景の方が少しは売れるので、絵はフランス風景になってしまった。日本には絵描きを育てようという画商が少ない。ワイエス、ワイエスと言いながら、アメリカの田園風景を描き始めるならまだ分かるが。結局、あの下館の農村をワイエス風に描いたものだけが、画家柳田の作品として残った。その絵だけで評価するしかないのだが、どうしてもやるべき仕事がこの先にあった気がする。死んだ友人を悪く書いている訳ではない。この時代数少ない絵描きだった。認めていた人間が、仕事を進めることが出来なかったことが悔しいのだ。
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トンネル事故と原発の解体

2012-12-14 04:00:26 | Peace Cafe
笹子トンネル事故は経年劣化による可能性が高まった。高度成長期作られた公共事業の建造物は経年劣化が深刻ことになっている。当時から材料や工法が杜撰ではないかということは言われていた。コンクリートに海砂が使われているから、塩分による腐植が起こると言われた。大きなコンクリート建造物は、作られた時から後の管理が重要になる。40年の間に様々な形で劣化が進むことは当然のことである。特に、水である。水が浸み込んでゆくようなトンネルや橋では、ひび割れを通して中の金属部分の腐植が進んでいる可能性が高い。それは鉄筋の公団アパートなどでも建物の老朽化と、住民の老齢化が進み、今後の再生に困難を極めている。一方、特に自民党は公共事業を選挙の目玉として、新幹線、高速道路、連絡橋、ダム、堤防、とさらに新しいものを作る方へと主張を展開している。それどころではないというのが、原発の事故が示したものではないか。

今まで高度成長期に作ってきたものを、一度立ち止まって、再点検することが今必要なこと。笹子トンネルの天井板崩落事故は、そのことを警告している。下り線においてもでつり金具のアンカーボルトの脱落やゆるみなど670カ所の不具合を確認した。建設国債を日銀に買い取らせて、新しいものを作るということどころではない状況だ。既に、国債を発行しても、修理点検すら十分に出来ない状況に来ている。毎年、修理費が増大して行くのは、40年を過ぎたコンクリート建造物の宿命である。このことはGNPに負の生産コストを入れなければならないという議論が、高度成長期にもあった。つまり、建造物を作るということは、廃棄処分する費用をマイナス資産として含んでおかなければならないという、当然のことである。ここにも政府が複式簿記で会計をしてこなかったバカバカしい程の怠りがある。その最たるものが、原子力発電である。安い安いと有頂天になって、出て来る核廃棄物の処理の、手当てが付かない。活断層の上に立てれば、どれほど無駄な投資なるかなど、考えてもいないでの杜撰な認可。

今中国で起きているむやみな建設ラッシュを笑っているが、日本はその愚をさんざんに犯し、今その付けを払わなければならない時が来ている。年金ではないが、未来の世代へそのつけを先延ばしにしておけばいいというのが、今生きて暮らしている、我々の卑怯な姿である。特に我々団塊の世代はその負の遺産の責任者という意識を持つ必要がある。にもかかわらず、国防軍である。この上、軍事予算が増加するのでは、この国はどこまで落ちぶれるだろうか。北朝鮮では人工衛星が上がった。つまり、いつでも日本に各弾道ミサイルを撃ち込める状態の準備が整ったということである。対抗して軍備を増強するなど、北朝鮮と同じように、国民生活を無視することになる。

まだ、選挙でこの国の方向は変えられる。これが軍事国家になった暁には、進路を変えるにはどれほどの、困難が待っているか思えば気が遠く成る。いま、国民はこの国の衰退におびえ、強い発言をする政党に、依存する気持ちが芽生えている。この国を立ち直らせるのは、国民一人一人である。一人ひとりの暮らしかたである。誰かがこの国を救ってくれるようなことは無い。当たり前のことしか政治にはない。幸い、この豊かな国土がある。放射能で一部汚されたとはいえ、多分、平均寿命がいくらか下がる程度であろう。大変なことではあるが、まだ十分にやりなおせる。まずは、我々団塊の世代が責任を取ることである。新たな公共工事は、修繕に集中する。原発の解体に集中する。核廃棄物の安全な処理に取り組む。何かを生み出す事ではないので、恩恵を受けた我々世代の年金を充当するくらいの気持ちで行うしかない。動ける間はひたすら、働いて生き延びるしかないだろう。
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自然農法技術交流会

2012-12-13 04:34:18 | 地域
なんくる農園において12月12日自然農法技術交流会が行われた。農の会のメンバーも5名参加していた。なんくるさんが小田原に見えて、始められる時から、つぶさに変遷を見てきたので、興味深く、感慨深く、見せていただいた。一つの家族が新規就農し、10年間かけて農家になって行く姿は感銘を受ける。なんくる農園は面積1町歩だそうだ。多品目の野菜と、田んぼや大豆小麦と、大抵のものは耕作している。身体が丈夫でも無かったそうだ。喘息の転地療養で会社を止めて、沖縄の蘭農家等で、2年間研修したと言われていた。農業技術は今でも年々向上している。できた野菜を毎週見せてもらっているからそのことは、良く分かっている。私にとって野菜作りの先生である。農家の人に聞いても、自然農法の技術は分からない。新規就農者として、技術を学び試行錯誤の中で進歩させている人の意見は、実際参考になる所がある。

理屈ではそうなっているが、実はそうやるにはこういう経過がいる。良いとしても、作業や畑の手順でそうはいかない。こういうことはいくらでもある。又、なんくるさんの背景には、自然農法国際研究開発センターがある。研究員の石渡さん程土壌の自然を理解している人を知らない。おかしなことが自然農業では繰り返し起こる。つまり、繰り返して自己否定することになる。思い込みを自己否定して進めるかである。この時、正しい指針を持った人が近くにいるかいないかで、どこで停滞するかになる。新しい、一挙に解決できる農業技術というものは、日々登場していると言ってもいい。それに惑わされて右往左往することもある。そしてすべての技術に目を閉じることもあるだろう。農業者は全員が一国一城の主になりやすい。こうやるものだと決めつけてしまう事になりがちだ。なんくるさんの進歩は、その柔軟でありながらも、正しい方向を捕まえている所にある。

基本は緑肥作物を、織り込んでゆくことである。圧巻は自生えしてきたクリムソンクローバーの中に、ターサイが埋もれるように、しかしがっしりと立派に生育していたことだ。クリムソンクローバーの花が好きなのだそうだ。だからいつまでも残していて、それが種になり、自生してきたのだそうだ。びっしりと覆い尽くすようなクローバーの中に野菜がある。幸せそうな野菜である。条件の悪い畑ばかりで始めている。雑草さえ生えないような、山の真土を客度した場所。酒匂川に接するような、水が何時でも上がってくるような条件。野菜など出来るはずがないという、周辺すべてが田んぼという場所。その悪条件を乗りこなしながらの農業である。そう言う困難な農業であるから、その技術や観察力が磨かれているとも言える。循環農園さんが、苦労していると感想を言われていたが、この苦労こそ何かを磨いているとも言える。

後半は自然農法の概論のようなものの解説があった。岡田茂吉氏の「大自然を尊重し、その摂理を規範に順応する。」これは農業を行うものすべてに大切な理念であろう。だったら、EMにこだわるのはどうかと思う。と頭をかすめた。EMが放射能低減に利用できるなど、本気で主張するのは、自然の摂理に従おうとしていないという事だ。素晴らしい方々なのだが、このゆがみというか、意固地が、どこかにあれば、素直な成長は出来ない。この技術交流会に参加した動機は、田んぼのトロトロ層を形成するヒントをもらえないかという事であった。正直もらえなかった。トロトロ層形成には微生物が関係していると思っている。トラックタ―の耕しかたで、作られるトロトロ層ではない。確かにそれもあるが、トロトロ層というものの自然の摂理に入り込みたい。
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倉田ペッパー

2012-12-12 05:01:06 | 身辺雑記
倉田ペッパーを取り寄せた。倉田ペッパーとはカンボジアの日本人倉田さんの作る胡椒のことである。カンボジアはその昔胡椒が作られていた。しかし、ポルポト政権による国家崩壊状態が続いたため、カンボジア胡椒はほぼ絶滅していた。その胡椒を産業として復活させようとしているのが、日本人倉田さんである。倉田さんの胡椒には物語がある。食べ物には必ず物語がある。物語を聞く耳を持つか持たないかである。ナンシーで暮らした頃、カンボジアの人たちと交流があった。ポルポト政権による弾圧によって、国外に脱出してきた人たちの、フランスの一時避難を受け入れている、カンボジア人協会のようなものが、ナンシーにあったようだ。フランス語を話すカンボジア人が沢山いた。フランスはベトナム、ラオス、カンボジアを支配し植民地化していた。その為に、フランスとは関係が続いていた。富裕層と思われる人たちが、留学生としても来ていた。

ナンシーで接するカンボジア人の人間の穏やかさというか、優しさいい人たちだと言う事が良く分かった。一度訪れて、カンボジアの虜になる日本人が沢山いるのが良く分かる。倉田さんはタイ国境の難民支援に行かれたのは最初のようだ。そこで復興の始まるカンボジアに難民キャンプから送り出していたが、カンボジアに帰っても仕事が無い。そう言う話を聞くことになる。それで何とかカンボジアに仕事を作り出せないかと、倉田さんは考える。そして、かつてカンボジアは世界最高品質の胡椒を作っていたという事に気付く。そして、カンボジアでかろうじて3本の胡椒木が残っていたことを見つける。この品種を何とか増やし作りつづえけていた農家に出会う。そこからも、倉田ペッパーが生まれるまでの苦闘は続く。この苦闘は、日本人の誇りでもある。素晴らしい日本人の若者がここにもいて、カンボジアの農業の再生に本気で取り組んでいる。

倉田ペッパーはアマゾンで買える。50グラム399円で送料込というから、そう高いものでもない。倉田ペッパーはドイツで一番売られているらしい。有機栽培という事もある。味が良いという事もある。ドイツ人の胡椒の消費が大きいという事がある。肉の保存を考えると故障というものは必需品である。我が家では毎朝野菜スープを飲む、そこには胡椒を掛ける。味が締まる。その時倉田さんという人が頭をかすめる。食べ物は生産する人の気持ちも頂いている。食べ物が人間を作り出す、根源とも言えるのだから、良いものを食べた方が良い。良いものとはただ美味しいとか、安いとか、そう言う事ではないだろう。手元にある胡椒を眺めながら、倉田さんという日本人に思いをはせ、感謝と豊かさに触れる。

そしてそういう物語を日本でも、作り出せないかと思う。私の暮らしている久野にも物語が無尽蔵にある。どの食べ物にも物語がある。手前味噌である。自分の手を掛けるという物語が、自給の魅力である。自分で作ったお米で暮らす事が出来る、自給の物語は自分という人間を作り変える物語である。そうしたフィールドを提供して行く。無限とも思える耕作放棄地を自給の農地に作り変えて行く。産業としては使う事が出来ない農地を自給の為の農地として見直してゆく。倉田ぺパーは経った数ヘクタールの胡椒畑である。これがカンボジアの農業の再生の、一つの導になる可能性は高い。倉田ペッパーも都会への農村人口の流出によって働き手の不足が起きているそうだ。どうやって、地域の中で周年雇用が可能な体制が作れるのか、オオガニックコットンの草木染めの生産を展望として持っているらしい。有機農業というものが、農村の再生の糸口になる可能性は高い。
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敦賀原発の活断層判断

2012-12-11 04:06:14 | Peace Cafe
敦賀原子力発電所内に活断層があることは分かっていた。12月10日原子力規制員会において評価会合が行われた。島崎規制委員の発言によると、以前から活断層と判断されていた、浦底断層から延びる、D-1破砕帯は浦底断層の活動に連動して動く可能性が高いということである。原子炉から200メートルの所に活断層が存在すると言う事自体、極めてリスクが高い施設とされていた訳だが、活断層が原子炉直下に存在する可能性が高いということである。廃炉にして、核燃料の移動を早急に行う必要がある。この事に対し、発電事業者である日本原子力発電はこのような結論は到底受け入れがたい」とコメントを出した。「専門家からは活断層の可能性がある地形が示されたと指摘があったが、その地形に本当に活断層があるのか、(活断層の目安となる)後期更新世の地層を切っているのか判断できない」と指摘。「耐震指針には他に地質調査や物理探査もある。きょうの議論は地形だけに終始した」

敦賀市市長は敦賀市の河瀬一治市長は「事業者も追加調査を続けており、再稼働の可能性はゼロではない。100%クロでない限り、“疑わしきは罰せず”という気持ちは変わらない」「廃炉になれば、交付金をあてにしないまちづくりも考えないといけない。原子力と40年以上付き合ってきた町として寂しいが、やむを得ない」と唇をかみしめた。福井県の西川一誠知事は「科学的な根拠に基づいて、納得できる調査にすべきだ」とのコメントを発表した。県安全環境部の石塚博英部長は、新たに破砕帯「D-0」が議論の俎上に載ったことについて「突然出てきた上、範囲もD-1との関係性もよく分からない」と疑問を呈した。さらに、判断した根拠や現在議論中の新しい安全基準との関係性が不明確と指摘。「規制委は再稼働を判断しないとしている。そうなると、規制委の立場や今回の議論の結論がどういう位置付けになるのかも分からない」と国に振り回される現状に憤りを示した。

規制委員会の田中俊一委員長は「今のままでは再稼働の安全審査はできない」と述べ、敦賀原発の2号機は、運転再開できずに、今後廃炉になる可能性が出てきた。藤村官房長官は記者団に対し、「原子力規制委員会の田中俊一委員長は、個人的な印象という言い方で話をしたと思う。今後、有識者会合が報告書を取りまとめて、規制委員会で最終的に検討するという手順だと思うので、途中の段階で予断を持ってコメントすることは差し控え、今後の状況をよく注視していきたい」敦賀市、福井県、政府、そして規制委員会の見解を並べて見ると、原子力発電に対する、安全神話信仰の復活が見える。誰だってめったなことで地震など起こらないと思っている。だから、日々不安におびえず暮らしている。しかし、すべての安全神話を裏切る形で、巨大地震が東日本を襲い、福島第一原子力発電所が崩壊した。その事故の収束もままならない。この時点で、事業者による安全神話の復活である。本来事業者こそ、東電の二の舞になるのだから、リスク管理が必要である。

今まで地震で崩壊しなかったことを幸運だと考えるのが普通の感覚である。日本において、原発を作れるような安定した個所は極めて少ないということである。大陸のふちで地球の大きな褶曲がぶつかり合う個所である。火山帯の上に日本列島が存在する。しかも、大量の水を必要とする原子力発電では、海岸に作ることになる。地震による津波の襲来も怖ろしいものである。しかも人口過疎地域にしかつくれない。日本には適地は極めて少ない。大飯原発も、浜岡原発も、極めて危険な地盤に存在する。科学的な判断を待つまで、本来なら再稼働などしてはならない施設である。再稼働の理由は安い電力という事に尽きる。それは、安全対策をないがしろにしてきたことに他ならない。地球や地震に対する科学は、確かに未解明部分が多い。しかし、不安がある以上、絶対的安全が確認できない以上行わないというのは原則である。

昨日の自給作業:竹伐り3時間 累計時間:6時間
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福島小国試験栽培の結果

2012-12-10 04:35:01 | Peace Cafe
第五回放射能の農畜水産物等への影響についての研究報告会が開催された。東京まで行くことは出来なかったが、インターネットでの放映がされているので、見せていただいた。全体では学問的には研究途上であるが、新たに見えてきたことが色々あることも分かった。一番は根本先生の報告にある、福島の昨年度500ベクレルを越えたため、作付が禁止された地域での試験栽培の結果である。細かなことはこの報告だけでは分からないが、全体として考えると稲作においても、私の予想をはるかに下回る数値になったことである。これは根本先生自身も言われていた予測通りである。私は、山の樹木が吸着したセシュームが落葉し、むしろ今年の稲作への影響の方が強く成る可能性を危惧していた。久野地域でもその結果を自分達で把握するために、農の会の放射能測定の会の方が、測定を継続してくれている。放射能に関するデーターというものは、専門家が行うものと農家自身が行うものとを並行して進めなければ意味が無い。

一枚の田んぼの中でも、セシュームの玄米への移行は、とても違いがあると言う事がある。その理由については、専門的な研究を経なければわからないことであるが、耕作する者しか推測できない、田んぼの癖のようなものとの、関連も出て来る。平均的な流れでは、昨年と今年との稲のセシュームの減少は2分の1から5分の1くらいになっている。これは、セシウム134 の半減期から来る要素だけではなく、減少の大きさが予想をはるかに超えている。この点では根本先生の報告と同じ傾向になっている。これは、山からの水への流出も、意外に少ないと思われる結果である。根本先生の研究では、土壌への吸着量はそれほど減少していない。つまり、土壌に吸着され、稲に吸収されにくい状態にセシュウムがなったと推測されている。それは土壌中にリンやカリが大量に存在していても、作物にとってリンやカリ不足になる土壌と同じようなことらしい。土壌中の粘土質の粒子と結合してしまう状態なのか。

しかし、昨年水からの移行が水生植物の場合大きいと予測したのであるが、これもそう単純なことではないようだ。舟原田んぼでも、欠ノ上田んぼでも、水を上の田んぼから、順番に下の田んぼに流れて行くような構造を徹底した。しかし、その数値が水口に近い上の田んぼの方が下の田んぼより、数値が低いという、逆転現象がある。同様の結果が、舟原、欠ノ上両者で出ている。ということは、他の要素も様々あり、田んぼ全体での結果はそう単純に現われないと見なければならない。これは肥料の出現の結果という事によく似ている。私たちの自然栽培では、少ない肥料での栽培である。この場合、水温の変化、堆肥の腐植の状態。こうしたものが稲にすぐに表れる。水温が一度高ければ分げつが1本は多く成る。栽培に勢いがあると、肥料の取り込みも大きく成る。セシュームの取り込みも増える可能性がある。又、昨年の稲藁堆肥を入れると言うことは、稲藁に存在したセシュームが比較的取り込みやすい状態にあるようだ。

根本先生の報告では、水に存在しているセシュームでも、混濁態と溶存態がある。水への溶け方で稲の吸収が異なるという推測である。これも単純なものではなく。複雑な要素をがあり、特に8月以降の玄米が吸着して行くメカニズムが大きいようだ。つまり穂肥の吸収を考えて見ると良い。稲の葉や茎にある程度セシュームが存在しても一般にその4分の1位の値が玄米に現われる。実際の栽培においては、この現れる値を下げる期間の限定的技術が重要な気がする。例えば入水口のフィルターを付けるなら、7月後半から、設置することが効果的ではないだろうか。いずれにしても、今回の根元先生の研究は、作物でデーターを取るという、作物の実験方法において、とても重要な方法を示されている。今回の放射能は不幸なことではあったが、福島の全袋調査において、高く出る田んぼが特定できることと、試験田の詳しいデーターとを比較することで、稲の肥料吸収のメカニズムがかなり正確に見えて来る気がする。今後の研究の展開は、日本の稲作技術の科学的農法への転換になるだろう。
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年賀状を描く

2012-12-09 04:35:38 | 水彩画
年賀状を書き始めて、3週間ほどである。やっと絵の方は出来上がった。300枚くらい書いている。230枚くらいが使えるかどうか。絵は水彩画で描いている。絵を描きたいというわずかな火種のような気持ちを年賀状の絵にしている。絵を描く心のリハビリテーションだと思っている。絵を描く心が、しおれて自信喪失状態である。どこへ行ったのかさ迷っている。絵を描くと言う事に、自慢したいとか、自己顕示欲とか、名誉欲とか、そう言うものが含まれていたのかもしれない。自分ではそう言う事と絵を描くと言うことは一番離れたもので無ければと考えてきた。ところが、捨てても捨てても、残っている残渣のようなものがある。諦めるとは明らかにすると言う事だという事が良く分かる。絵を描くと言う事が徐々に見えて来ると、自分の内なるしっくりこない、おかしなものが不満げである。人間は厭なものだ。

子供の頃からだから、50回以上年賀状を作ったことに成る。小学生の頃は、干支をテーマにして木版を彫っていた。すぐ父が横取りをして彫りだした。父はとても器用な作品を作る人だった。本当の木版作家のようで、上手すぎた。上手いだけだからだめだと父は言いながら作った。私の中には上手いという要素はないので、不思議に思う。叔父の草家人はさらに器用な人だった。祖父は細密画を書いたらしいから、さらに器用な人だったらしい。木版で作るのは、中学、高校の頃もやっていた。大学生の頃は、記憶が途切れているが、止めていた時期があるかもしれない。販売中止になったプリントごっこでやったのも長い。シルクスクリーンのような作品まで、凝って作ったことが何とも懐かしい。ここ十数年は、水彩で描く。それが一番手っ取り早いし、自分らしいものが出来る気がする。デッサンだけ、プリンターで入れることもあったが、どうも、作業のようで気分が悪いので、図柄はその場で思いつくものにして、全部異なる絵になる。

やる気で継続してきたのは、年賀状だけでも連絡をとりたいからだ。すごく親しいつもりなのだが、全く年賀状だけで、一年音信の無い人が沢山いる。年賀状を書くとき、今年も会えなかったと思う人がばかりだ。それでも、年賀状だけは出せる。それだけの付き合いではあるが、気持ちの中では、色々の濃淡する気持ちがある。書く前には一言位は言葉も添えようかと思うのだが、大抵は絵だけに成る。そして住所はパソコンで入れる。手描きと思うのだが、それだと管理が出来ない。基本は去年頂いた人には出す。去年頂いた人は、パソコンを見ればわかる。問題は、喪中である。これで分からなくなることがある。私も喪中はがきを出した後、大分途絶えた。また、何か事情があって、来た人にだけ返信したらこともある。向こうからは来ないが、出している人もいる。そう言う事がパソコンがあるので、10年分のデーターが残っている。

文章も付ける。文章が無いと近況報告が出来ない。昨年、打ちのめされた近況報告をして、どこか悪いのかと心配の電話が来た。有難いことである。今年はカラ元気でも元気な角度から書いて置きたい。まだ考えてはいない。人に心配を掛けるのも良くない。もしどんな年賀状なのだろうと興味を持たれた方がいれば、年賀状を頂けば、必ず返信をするので、興味があれば出してみてもらえば分かる。ダイレクトメールまで返事を書いていた年もある。ちょっと変なのである。年賀状は私の年一回の勝手なダイレクトメールなのだろう。普段こんなことを屋えば、ストーカーかもしれない。勝手な存在証明が許されると言う事が、年賀状の有難い習慣である。私のやることは突飛になりがちだが、まだしばらくは続けられそうである。
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手ぬぐいとタオル

2012-12-08 04:16:24 | 身辺雑記
子供の頃は手ぬぐいしかなかった。タオルというものは外国から来た贅沢なもので、普通の場面で使うようなことはないと、思い込んでいた。少しづつ山梨の山村でも使うように変わったのは、昭和30年代に入ってからのことである。母親は田舎育ちゆえに都会風が好きだったというか、子供にタオルを使わせたがった気がする。おじいさんやおばあさんは当然、手ぬぐい派である。タオルなど、「ダッチョモナイコンジャン」抵抗感があった。昭和40年には一気にタオル派が勝利をおさめ、手ぬぐいを使うのは偏屈な年寄りの、意固地のように見えるようになった。当然バスタオルなど見たことも無かった。あれは、アメリカのホームドラマの贅沢蔓延作戦に乗せられたものではないか。身体を拭く位であんなに毛布のようなものが必要なものか。あの頃から、もったいないとか、節約は美徳、というようなことは戦時中の悪夢であり、消費こそ美徳という風潮である。

何故こんなことを思い出したかと言えば、南足柄の日帰り温泉のおんりー湯に行くと、バスタオルとフェースタオルと、館内衣を貸し出してくれるからである。5年前始まった時からそうなのだが、館内ではこれを着て下さい。と強制的に着替えさせられた。ある時風呂に入るだけだから、服は脱ぐだけなので、もったいないので館内衣は免除してくれとお願いし許可してもらった。最近では結構いらないという人もいる。私が使わないで返却しても、洗濯はしなくてはならない。これは余りにもったいないではないか。しばらくして、バスタオルもいらないので、フェースタオルが2枚が良いとお願いをした。今でもそうしているのだが、一人だけこれを許してくれないおばさんがいる。3回その人と押し問答したが、決まりだからと言ってバスタオルを押しつける。もう諦めてその人が受け付けにいたら、そのまま受け取る。悪法も法なり。その人が悪い訳ではない。

バスタオルなど大嫌いだ。身体を1回拭く位であんなに大きなものを洗濯しなければならないと思うと許せない。本来手ぬぐい1本で身体は拭ける。日本人は歴史的にそうやって拭いてきた。最近では実用的に手ぬぐいを使う人は殆どいないだろう。今思えばお爺さんが手ぬぐいで身体を拭く方が気持ちが良いと、うそぶいていた事が懐かしい。手ぬぐいを帽子のように頭に巻いて農作業をする若い人が結構いる。昔なら、腰にぶら下げるか、首に巻く。口に隅を噛んだ粋なお姉さんや、鉢巻きにしたいなせな兄さんもいる。タオルでは厚ぼったくて、格好が悪くこうはいかない。タオル地は繊維がループ状に成っている。多分こういう織り方はとても難しかったのだろう。織物が自分の家で行われていた時代には考えられないものだ。家で作れる手ぬぐいが当たり前で、ものを買うと言う事を極力避けていたので、タオルは贅沢品の感じがしたのだろう。私などはタオルなど、戦後のものだとづ―と思っていた。どうも関西では違うようだ。

手ぬぐいの布には、タオル地にはまねのできない染色的魅力がある。私の家でも暮れに成ると、毎年、お月さまカレンダーを買いに行く。もう満月だなという確認に部屋に張り出してある。そう、今月は28日が満月である。レインボーカラーの平和の手ぬぐいというのは、あっても良いと思うのだが。何かと使えそうだ。今やタオルの方が、手ぬぐいより安い。手ぬぐいは1000円するが、タオルは100円でも買える。たぶん100円の手ぬぐいでは、却って売れないのだろう。今治のタオルなら、1000円はするのだろう。私が使うような安い100円タオルは多分、中国かベトナムでの製造だろう。あっという間に、手ぬぐいとタオルは立場を逆転した。随分の変化である。これは物のことだからまだいいが、こういう変化がすべてに及んでいる気がする。
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B層狙いの選挙

2012-12-07 04:34:39 | Peace Cafe
自民党優勢が伝えられている。自民党はマーケティング選挙を実行している。このやり方が今の所成功している。小泉郵政選挙の時に、B層狙いで成功したと分析されている。ひどい話なのだが、選挙の場合は、当選するためには、特定の層にだけ働きかけることが有効であるとする。その層がB層と言う事になるそうだ。ラジオで聞いて腹が立ったので、書けば不愉快になるのだが、B層とはIQの比較的高くない層のことだ。具体的に言えば、主婦層、若年層、シルバー(団塊世代以上の人)層とある。この層をめがけて、イメージ戦略を展開する。ひどい分析であるが、勝利のための戦略として、自民党の成功事例になっている。なるほどと思うのは、自民党は日銀批判を突然始めた。これに対して、経済の専門家は、経済は政策全体で動く、世界経済との関連もある、問題はそれほど単純ではないと、賛否が分かれる。

しかし、B層の人は単純に、日銀がおかしいから日本経済は落ち込んだ。どんどんお札を印刷すれば、デフレ脱却が出来る。中学生でもわかることだと言う事になる。そう言う反応をしてくれる層をB層というらしい。これは私の考えではなく、自民党の分析のようだ。確かにテレビは視聴率を狙うために、小学生向きになっている。チャンネル権が子供にあるということなのだろう。小選挙区の選挙は長年、アメリカで行われてきた。その経験からどこをどう押せばどう票につながるのかと言う、選挙手法が徹底研究されている。その結果をいち早く取り入れたのが、小泉郵政選挙だそうだ。というか、電通である。今回の選挙では、候補者数が多い。一人しか当選しない選挙区に、4,5人出ている。こういう時に、どうすればいいかが分かっているのが、自民党である。突如保守色を強めた。国防軍である。4人のうち3人が国防軍は厭だと感じているとしても、4人に一人は国防軍が必要と単純に反応する。国防軍の必要性主張すれば、4人の一人は、他の問題などさておいて、自民党に入れる。

これが郵政民営化選挙の経験を踏まえた結果だ。それまでの選挙では、一人でも多くの意見を取り込もうとした。それが民主主義の基本ルールだと考えてきた。しかし、小選挙区選挙に5人の候補が出るなら、国防軍を主張すれば、間違いない4分の1がつかめる。どうせ公明党は自己保身のため、何を言っても付いてくる。という談合が成立している。軍事ですべてが解決できるわけなどない。当たり前である。イスラエルのように軍備をしている国が戦争ばかりしている。軍備は相手より強いうという事が、有効な抑止力である。核武装まで行くとしても、そこそこの軍事力を持つことで、単純に日本の安全保障になるとは言えない。アメリカを越えるような軍事力まで持てると考えているのだろうか。などという分析したり、考えたりする人はそもそも対象にしない。シンプルに、竹島奪還だ。朝鮮人を追い出せ、国土を守れ。こういう意見に乗ってしまう人が自民党の選挙のターゲットなのだ。B層といえば失礼である。

反原発勢力は、票を一人に集めなくてはならない。票を集めれば、4人に2人は反原発なのだ。ところが、反原発の主張はB層ではない。単純に止めればいいというような人たちではない。意見を持っているからゆえに、似て非なるものと分裂する。脱、卒、反、こんな細かな違いにこだわったりする。電力は命の問題だから、簡単に原発を即廃止など言えないなどと言われると、考え込んでしまう。そうして維新の党のように、訳の分からないフェードアウトは政策ではないとか何とかごまかしている間に、お前たちは石原党で原子力推進派だと言う事になる。マーケティングに負けてはならない。知性でB層に打ち勝とう。それは韓国の選挙ではないが、統一候補を立てることである。反原発の有権者は、この1点で誰が当選する反原発候補になるかを見定めなくてはならない。このまま自民党が勝てば、原発はすべて再稼働になる。
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自給可能年齢

2012-12-06 04:44:21 | 自給
体力衰退の老化と言うことは、何歳から始まるのだろうか。私の場合63歳に成って、体力が落ちて来たという自覚がある。自給農業には深刻なことである。今まで出来たことが同じ時間ではできない。すぐ休みたくなる。仕方が無いとするしかないが、やっちまえとか。終わりまでやろうと言うことは無理がたたるようにもなってきた。高校まで陸上部だった。この事が大学の頃登山しても、それなりの耐久出来る体力の強さがあった。テントを担いで1週間位の登山が出来た。サッカーが好きで、他所の学部の授業にもぐずりこんでまで、毎日やらないと気が済まない位だった。加藤文太郎の影響で日ごろの暮らしの中で体力をつけると考えていた。とにかく3歩以上は走ると言うのが、信条でいつも走っている奴だった。そう言う事で、体力の継続力にはそれなりの自信あった。それが昨年あたりから、少し落ちて、今年はいよいよだ。

力仕事ではすぐ息が上がると言う事がある。力自体も少しづつ落ちている。今のところ、農作業に困ると言うほどではないが、始めるのに、億劫に感じることが増えた。特に暑い頃は動きたくなかった。もちろん無理に動く気も無い。やりたくもないのにやることは無い。すべてが好きでやっているのだから、やりたいと思わない限りやらない。そうしたら夏の間は、農作業が減った。その範囲でそれなりの自給を考えている。体力任せをしない自給農業である。機械を使う所は使う。トラックタ―を購入したのもその一つである。自給を止めるより、機械を使う方がましだと考えている。山北で30代で開墾をしていたころは、シャベルだけで山の斜面を切り開き田んぼまで作った。そんな風に体力のぎりぎりまで使いたかった。それが面白かった。今そんなことが出来る訳がない。それでも、一日2時間位の農作業はできる。やった方がいいと思っている。自給もできなくなるのは、あと10年くらいか。

犬の散歩が一時間ぐらいかかるのだが、自分の為に散歩をするというようなことが出来ない性格である。犬を散歩させることが、自分の運動にもなると言うのあたりが良い。農作業も食べるものが出来ると言う事と、自然と言うものを知ると言う事の両方がある。身体で自然を受け止めると言うような感じ。種を蒔き芽が出る。これは自然の摂理である。小麦の播種を11月11日にするか、18日にするかは、違う。まるで同じこともあるし、全く異なることもある。許容範囲のようなものもある。この感じを身体で受け止めることが出来ればと思う。何故だかわからないが、今年はやけに身体が種まきを急がせた。そう言う事に従って間違いが無いというようでありたい。冬に向かう時期1週間種まきが遅れることは、2週間発芽が遅れると言う事がある。間違ってばかりだけど、そうしたことを気お付けているのが、面白いという事だ。歳をとって体力は衰えたが、こうした蓄積だけは増えたというようでありたい。

体力は63歳にして落ちた。目は悪くなった。忘れっぽくなった。頭がどのくらい衰えたかは、自覚は無いが、多分相当なのだろう。不思議とそれを補う何かが、多分経験と言うようなものなのだろうか。いまのところこれで何とかしのいでいる。その結果、20年前よりは、田んぼではお米が多く採れる。今年開墾した田んぼが、山北で開墾した時より、50%収穫が多く31キロだった。面積は同じなのだが、知識や感じる量が20年分増えたということだろう。大豆も少しづつ方法が見えてきて以前よりは採れる。もちろんこれは耕作法の習得であり、体力勝負ではない。来年大豆を山の畑で作ることが、とても興味深い。小麦と野菜全般の作り方は研究課題である。最近はプランター作りに力を入れている。体力の衰退に合わせて、自給向きな手法の開発である。

昨日の自給作業:竹林の片づけ3時間 累計時間:3時間
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衆議院選挙神奈川17区

2012-12-05 04:36:54 | Peace Cafe
今回の衆議院選挙の重大テーマは、「憲法を改定して軍隊を持つのか。」「原発をどうするのか。」この2点である。自民党の国防軍の主張は、25%の支持があればいいという考えだ。公明党を加えて、30%取れれば選挙に勝つという目論見。確かに、4人に1人は憲法改定での主張で自民党を支持するだろう。保守的色合いを強めれば、4人に1人は自民党に投票する。神奈川17区立候補者は5名いる。この選挙区で政策による候補者の選択が行われることは、実質的には初めてのことではないだろうか。たぶん17区だけでなく、全国的にそうなっているような気がする。この選挙区は何と言っても河野洋平氏の選挙区であった。中選挙区制であった時代には、それなりの政策論争もあったと思われるが、小選挙区に成ってからは、もう選択の余地が無いということだった。それが前回の選挙で、民主党のチェンジ選挙の勢いがこの地域にも及び、河野氏後継ということだった、牧島氏を破って神山洋介氏が当選する。他所からの落下傘候補という所が、小田原の人には嫌われた。

しかし、今回の選挙では現職でありながら神山氏はかなり下位だ。原発推進派の民主党候補では、民主党の凋落をもろに受けるだろう。もう一つのテーマである。原発については、ほぼ反対の候補が、2人いる。それぞれに票が分散する。今回は自民党の牧島氏が一歩リードしていると見る。公明党票が加わることが選挙では大きい。公明党の支持者は、国防軍についてどう考えているのだろう。言われたまま自民党の候補に入れるのではないか。国防軍に賛成なら、牧島氏に投票するのは、正しい選択である。公明党も本音では、国防軍が必要というのであれば、それはそれで認める所である。ところが、どうもそうではないようだ。テレビ討論などで、立派な建前論を述べている割に、尻が抜けている。

自民党の牧島氏の個人的な政策という事に成ると、ホームページを読んでも私の頭では、不明である。むしろ意見は不明瞭にすると言うのが、選挙の方針のようだ。明確にすると、平和憲法論者の河野洋平氏の支持を得られなくなる。地域のお祭りや、運動会にはよく顔を出していた。どこにでも顔を出せるだけの人脈ができつつあるのだろう。意見はあるのだが、表明すると選挙に不利になると言うのが、本音と推理する。自民党支持者は政策ではない。利権的結合を重んずる。国防軍など実はどうでもいい、地元に仕事を持ってくる議員が良い議員。そのしがらみ選挙は根強く地域に浸透している。だから、自民党票というものは、政策とは別物と考えた方が良い。もし憲法を改定するなら国民投票である。むしろ勝負はそちらではないか。現在の小選挙区制度では、死に票が多く出て、本当の民意は反映できない。

井上氏露木氏は横一線ではないか。井上氏の不思議なのは、自民党代表の安倍氏の秘書をされていたと言う人が、何故、自民党で無くみんなの党なのかである。どうも秘書時代、農林大臣の身体検査に失敗したと週刊誌記事にはある。自民党公認がすでに、小泉派の牧島氏に押さえられていたので、やむなくみんなの党から出たという感じもする。みんなの党は原発は推進という考えである。井上氏が脱原発を口にするのは、矛盾である。前回の選挙の票の出方から言って、当選まではさすがに厳しい気がしていたが。小田原の建設業はみんなの党が食い込んだようだ。小田原の人であるということは、有利に働くだろう。井上氏が当選はしない程度に、自民党票を食い破ってくれれば、露木氏に当選の可能性が出て来る。露木氏に反原発票がどこまで集まるかである。民主党支持でも、神山氏が反原発で無い以上、反原発を求める人は票を露木氏に集めるしかない。共産党の横田氏は明確に反原発であるが、失礼ながら当選の見込みが無い。この場合、共産党支持の人も、今回は反原発の実現のために、露木氏に票を集める方が賢明ではないだろうか。すべては小選挙区制の問題である。
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笹子トンネル天井崩落事故

2012-12-04 04:50:05 | Peace Cafe
驚愕するような、人災である。とっさに原発の安全神話を思い出した。この事故で亡くなられた9名の方の無念に対し、「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」 ご冥福を祈らせていただきたい。トンネル自体の経年劣化が原因ではないかと言われている。原発と同じで、事故が起きて見れば、驚くべき工法であり、何時か落ちるのは当然のような天井の構造である。今では床下の方に作るらしい。トンネルを丸く掘る。掘り終わった所に、一定の厚さでコンクリートを打つ。この厚さが十分でなかったのではないかという疑いもあるらしい。乾いたコンクリートにアンカーボルトで天井を吊り下げる。この吊り下げた天井が何故か、コンクリート製で一枚何トンもあるらしい。何故軽いもので出来なかったのだろう。この天井裏が、吸気と排気のダクトに成っていた。軽いダクトを取り付けるのではなぜいけなかったのかが分からない。9月に点検をしていたと言うが、劣化を見落としたということである。

事故の原因を徹底して調査することが、第一である。原発でもそうなのだが、事故原因が明確でない。分からないのか、分かりたくないのか。事故調査というものが、責任問題になるのを避けたいと言う事がある。それは賠償問題にも直結しているから、経済がすべての国では、原因調査というものが見えなくなることが一般的である。今回のトンネル事故でも、中立的第3者機関があり、徹底した調査が行われるということが当たり前のことだ。ところがすでに、会社と政府で合同調査組織を作ると言われている。こういう所に、政府の無能が良く表れている。真実を覆い隠そうという意図が、初めから感じられる。中国の列車事故ですぐ埋めたことを隠ぺいだと、あざ笑っていたが、日本では形式だけは整うが、何が変わると言うのだろうか。原因が分からない限り、対策が打てない。事故はまた起こる。問題は3つ。工法上のこと。直接の事故原因。点検や修繕の方法。

経年劣化と言われる、コンクリート公共事業の結果は山積みなのだ。全国の国道のいたる所の橋が既に老朽化している。トンネルはもちろんのことである。お金が無いから、直せないのである。新しい公共事業どころではない。今あるものの管理を総点検する。危険度の高いものから、手を打ってゆくことが、政府のやるべきことだろう。まず原発である。この国はすべてがぐずぐずになり始めている。東京湾横断道路である。この必要度と、各地の橋の修繕とをどちらを優先すべきかである。やん場ダムのようなものを新たに作ることと、山の管理とをどちらを優先すべきかである。林道を作り管理をしない事が山の崩壊に成る。第2東名高速を作ることと、全国のトンネルを改修することと、どちらが先かである。派手で経済効果があると言われるような公共事業がやたら行われる。それが地元に公共事業を引っ張ってきた、立派な政治家という事に成る。

今起きている経年劣化は、日本のすべての分野に及ぶ、仕組み自体の経年劣化である。責任の所在が曖昧なのだ。原発事故の責任を自ら名乗る者がいない。久野川で4か所の崩壊が起きた。今も坊所川で危険個所がある。そこで畑を耕作する者として指摘をしてきた。そして指摘箇所で当然のごとく事故が起きた。そんなものだと言う事に成って終わる。原因の究明など全く無い。当然のこと責任はだれも取らない。取らないことが普通で、何故そんな責任追及をするのかという顔をしている。責任と原因を明確にすることが次の事故を防ぐのである。すべての公共事業の結果を総点検すべき時ではないか。要らないものを作っていないか。壊れかかっていないか。私は役所ではクレーマー扱いに成っている。要注意人物一覧に入っているらしい。それでも言わない訳にはいかない事が、本当に多い。
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もみ殻クン炭と籾酢液の作り方

2012-12-03 04:14:17 | 自給


もみ殻クン炭を今年5回目を焼いた。一回で70リットルの袋に7杯採れるので、1回500リットル。これを5回だから、2500リットルもみ殻クン炭を作ったことに成る。籾がらを有効利用したい。農業から出るものは、すべて自分の循環に取り込みたい。もみ殻クン炭の作り方は以前書いた。その後、繰り返し作る内に2つの工夫をした。一つは、焼き上がり時間を調整する方法である。朝作り始めても、夕方までに出来ない場合もある。もみ殻の湿り具合で完成時間が異なる。袋に入れてはあるが、野外に置いてあるので湿っている。それを繰り返して気付いたのは、あと何時間で出来上がるかの予測である。夜7時の状態で翌朝7時に完成させるための方法である。その時のもみ殻の燃え具合で変わるので、経験での微妙な調整が必要であるが。じわじわ夜の間燃やして置くためには、上の層に濡れたもみ殻を10センチほど加えて少し固めてやる。これで翌朝まで上まで燃えていることはない。もう少し熟達してくると、この覆う厚さであと何時間で完成させるというめどが立つだろう。時間を延ばしたからと言って下の方が灰に成ることは無い。

もう一つやってみたのが、「籾酢づくり」である。木酢液は取ったことがある。籾酢も自然農薬として利用できるらしいので、カルシューム入り籾酢液を是非作ってみたいと考えていた。どうせなら、籾の中に竹を混ぜて焼き、竹の有効性分が入った方が良いと意味無く思った。正直こういうものがどの程度効果があるかは、眉唾ものだ。出ている煙をそのまま無駄にするのも気分が悪いので、ともかく取り組んでみた。10メートルもある煙突がいいらしいが、6メートルでやっている。採れたがやはり煙突が長いというのは、有効なようだ。煙突が短くても気化している煙を冷ましてやればいいのだから、蒸留機のように途中で水槽を通すような工夫をすれば、短くてもいいはずである。羽根のついた放熱式の煙突でも使えばいいのか。煙突にアルミホイルを巻きつければいいか。今回はあり合わせのものでやってみた。煙の温度で成分が変わるらしいが、籾酢の場合、製造方法から言ってそれほど厳密なことはできない。それでも1回1リットル位は採れた。

もみ殻クン炭を使いたいのは、このあたりの土壌の酸性が強く、ホウレンソウなど作れないからである。タマネギも良くないのは土壌の酸性が強すぎるのではないか。と言って石灰は土壌には良くないと思うので、堆肥を入れ続けて土壌の中和改善を図っている。徐々に改善されてきてはいるが、もみ殻クン炭や草木灰を加えることで、さらに土壌を良くしたい。良く成るとは普通にホウレンソウが出来ると言うことである。田んぼにもクン炭を入れてやれば、稲は良くなるはずだ。小麦畑がこれで土壌がだいぶ良くなってきている。小麦がそこそこ伸びた時、土寄せと草抑えにもみ殻クン炭を蒔いている。徐々に土壌が改善された結果、先日の大雨でも畑に川が出来なかった。以前は水たまりや川が出来て表土が流されていた。今回の大雨は種を蒔いた後だったので、流されていないか不安だった。ところが、土壌の浸透性が改善されたのだと思う。一か所も水溜りや川は無かった。

家の方の野菜の畑にどんどんもみ殻クン炭を入れている。ホウレンソウなど現在、クン炭が表面を覆い、地表が見えない状態。昨年より生育が良いようだ。気を良くして大麦や、タマネギにも撒いた。養鶏場には1回分全部を入れて見た。表面はほぼクン炭になった。籾酢は2リットルガラスの瓶に入れて、中に牡蠣ガラを入れた。ビデオではあぶくが出て沸騰しているようだったが、それほど激しい変化は無かった。酸性のレベルが低いのだろうか。半年こうしておけば使えるものに成るだろう。今年は甕虫が大量発生した場所がある。えひめAIと混ぜて撒くのも良いかもしれない。来年病気が出たり、虫が来たりした時に散布してみる。
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経済政策(自民党)

2012-12-02 04:43:14 | Peace Cafe
自民党阿部総裁によると、物価を2から3%上昇させることを経済政策にするという。しかも、建設国債を日銀に引き受けさせて、公共事業をどんどんやろうと言う事を選挙公約にしている。なんとも無謀なことだ。生活する者にとって、物価が上がることは少しも良いことではない。狂乱物価時代を経験したものとして、インフレにすればいいという経済政策は庶民の暮らしを無視したものだと感ずる。確かにデフレが良くないというのも分からないではない。狂乱物価時代は給与も上がった。仕事もあった。しかも、日本経済が上昇気流に乗っていて、拡大再生産が経済の姿としてあった。しかし、今の社会状況で3%の物価が上昇するとすれば、消費税の値上げ以上の暮らしへの影響がある。消費税と異なり、まんべんなく上がるのではない。一部のものは10%も上がり、変化しないものもあり、中には下がるものさえあって、平均が3%に成る。人口減少の中での物価上昇は、生活者を追い詰める。

自民党は企業向けの経済政策を主張しているのだ。ただでさえ法人税の税収は減少を続けている。法人税を下げなければ、国際競争に勝てない、海外に出て行くと言う主張である。法人税と消費税はバランス取る必要がある。消費税の増税は止むえないと思うが、法人税も増やさなくてはならない。企業が良くなることが日本が良く成ることに繋がり、日本人の暮らしも良く成る。こういう経済の考え方なのだろうが。企業が日本経済のすべてという考えである。企業の業績が上がることだけが日本の経済だと思い込んでいる。大半の日本人は企業とは直接の関係が無い。今の日本企業はグローバル化している。利益を求めて日本という国の不利益な行為も平気で行う。例えば、尖閣問題があっても国益とは別の見方をしている。経団連の尖閣に対する発言を思い起こせばわかる。企業経済を日本の経済と同一視しているのが、自民党の経済政策である。民主党もひどかったかとは言え、自民党に戻ることだけはまずい。

建設国債をどんどん発行して、日銀に引き受けてもらう。つまり、お金を印刷して貰おうと言う事だ。印刷したお金で公共工事を行う。これで経済が回り始めるという考えだろう。しかし、これが今の財政赤字を莫大に作った、過去の自民党の経済政策の結果である。経済成長が背景にあり、インフレが起きている時なら、まだ消化される可能性はある。しかし、消費が落ち込んでいるデフレ下、無理やり不要不急の公共事業を行えば、自転車操業に成り、ギリシャの二の舞に成る。現在必要なことは健全な国内消費が起こすことである。不安な政治状況。年金の破たん。不安でお金を出来る限り貯めておく以外できない状況である。人口減少傾向の中で、どうやって安定した暮らしを保証できるかを政府は考え無くてはならない。教育など人間への投資を中心に行う。公平で安定した年金制度の構築である。どうせ貰えないから、国民年金未納者が半数に近付いている。政治の敗北である。

経済を日本一国で考えても駄目だ。アメリカの物価も、中国の物価も、日本の物価に影響している。ユニクロが安いヒートテックの下着を海外で生産している。私も買いに行きたいと思う。安いからである。最近は、あらゆる企業が同じことをして、安くて高性能な製品を販売している。それでも爆発的に売れる訳ではない。下着は1度に2枚は着れない。物が十分に行きわたっているから、製品の販売量が落ち着く。しかも、良いものは長持ちして消費しない。良いことである。これが日本の平均的現状であろう。そこで、無理やり公共事業で、諸費を起こそうとすれば、要らない道路やダムを作って、国土をめちゃくちゃにすることに成る。人よりもコンクリートに成る。そして大規模公共事業の誘致が選挙公約に成る。農業分野でも使いもしない田んぼの干拓事業などが行われることに成る。さんざん失敗したことを繰り返しである。昔の経済政策しか思い出せない自民党には、投票できない。
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